【オランダ】親じゃなく話せる人の存在
学校は再開したものの、塾の再開は6/1まで行えないため、対面の授業が出来ず、オンラインの日々が続いています。
オランダに住む私が知る限りの先生たちは、
「やっぱり、学校で直接子どもたちと会わないと元気が出ないよね」
と、言っていました。
そして、私たちもそれと同様の気持ちでいます。
子どもたちに直接会えない日々は何となくしょんぼりしてしまっています。
もちろんオンライン授業も元気にやっているのですが。
VWOで教師をしているというあるママは、
「思春期には親には話せない色んなことがあるものよ」
と、言っていました。
「今は生徒たちと面と向かって話が出来ないし、話が出来たとしてもオンラインでしょ?私も家で4歳の子どもを育てているから、いつでも話が出来る訳ではないし。でも、生徒たちの「親ではない誰かに話を聞いて欲しい」という欲求は日に日に高まっている気がするわ」
そんな風に話をする先生ママの話を聞きながら、
「自分もそうだったなぁ」と思っていたのでした。
私自身は校風が合わず、高校を中退し、高校卒業程度認定資格を取得して大学進学しました。
私がかつて進学した高校は、一般的な公立高校ではなく、私学の、しかも音楽に特化した超スパルタ高校でした。全国大会金賞なんかを狙うような高校です。
自分の暗黒時代を思い返せば、私の抱く感情や、思考を吐露していたのは当時の学校の先生でした。
また、高校を中退してからは、私を大学現役合格に導いてくれた塾長です。
もちろん親とも話をするのですが、親には話さないような内容もたくさんありました。
それは決して「親子関係が悪い」ということではなく、「親からの意見ではない意見を探しにいきたい」という欲求の表れだったのだと思います。
要するに、「外の世界の人の話を聞いてみたい」という気持ちです。
教師として働いていた現役時代、私や彼は生徒からの相談をたくさん受けるタイプでした。
「先生、放課後話しに行って良い?」
「ちょっと聞いて欲しい話があるんやけど…」
と、私たちの役割というのは、教師というより「ちょっと年上のお姉ちゃん/お兄ちゃん」くらいな感じだったかもしれません。
担任をしていた頃は、三者面談などがあったため、保護者も交えて話をする機会がありました。
私の場合、生徒に特別な悩みがある場合は、事前にその内容を聞いておいて、
三者面談の時に私がいる状態で話をしてみたいか。ということを尋ねておきます。
つまり、私に緩衝材のような役割を担って欲しいか。ということをあらかじめ聞くのです。
高校生の進路の悩みや、家庭の躾、教育方針などに関して言えば、
子ども自身は「親の言うことに従うしかない」と考えていることも多くあります。
しかし、どこかで「従いたくない」「おかしい」と思っている生徒も少なくありません。
そんな時、教師を使うことで保護者に対して「外のエッセンス」を入れて欲しい。
そんな風に感じて、教師の存在を利用したがる生徒もいます。
私としては大いに賛成です。
これは生徒自身が「殻を破りたい」と願っている証拠で、尊重されるべき成長過程です。
しかし、こういった打ち明け話を聞くことで、時にショックを受ける保護者もいます。
「ここではなく、直接家で話をしてくれれば良かったのに」
「何故今日までずっとそのことについて言わずにいたんだろう」
「前に聞いた時は大丈夫だと言っていたのに」
子どもというのは、よっぽどのことがない限り親のことを想っています。
虐待やネグレクトを受けた子どもでさえ、親に愛されたいと願うものです。
そして、時にその愛のかたちが、彼らなりの「遠慮」や「従順に振舞うこと」に変化することがあります。
しかし、
「親の言うこともわかる、でも、自分のやり方も貫いてみたい…その考えについてどう思いますか?」
そんな気持ちがふつふつと湧いてきた時、話を聞いて欲しい相手はたいてい保護者以外の存在です。
子どもたちの悩みの多くは、人間関係や進路の悩みです。
しかし、時に保護者に関する悩みもあります。躾の在り方などがそうです。
そして、保護者に関することではない場合、性の悩みなどがあります。
保護者に関する悩みに関して言えば、当の本人に話せないのは当然のことかもしれません。
性の悩みに関して言えば、保護者に話せないのは、保護者を落胆させたくないからです。
これは、彼らなりの愛のかたちかもしれません。
もちろん友人に打ち明けることができれば、それで乗り越えられることもあります。
しかし、具体的にどうしたら良いのか。というアドバイスを求めるような内容の場合は、同世代の友人では不足だと感じることもあるかもしれません。
仮に、彼/彼女に、保護者以外で安心して話が出来る1人の大人がいて、
3個の悩みを全て打ち明けることができれば、それはとても運の良いことです。
しかし、時に子どもというのは、
「この悩みはあの人に聞いて欲しい」
「この悩みはあの人には話せない」
というように、話の内容に応じて人を選ぶことがあります。
そういった意味で、子どもには相談できる多くの大人がいる方が良い。と私は思っています。
相手を「自分で選択できる」という自由が、子どもに安心感と成長をもたらすと感じています。
私はというと、先生をしているママの話を聞きながら、昔の自分を振り返っていました。
決して親子関係が悪かった訳ではなかった、私の思春期。(もちろん反抗期はありましたが)
その中で、私の本当の気持ちやモヤモヤを精一杯聞いてくれた大人の存在。
私は悩みを吐露する中で、自分の気持ちを整理し、行動を決め、実行しました。
今となっては、その時に“自分の意思で決断できたこと”が全ての行動の基盤になっていると思います。
まだ4歳の娘。
彼女にとって、何でも話ができる親でいたい。と思います。
しかし、同時に、私に話せないことを安心して話せる存在がいて欲しい。
まだまだ先の話かもしれませんが、寝顔見ながらそんな風に思うのでした。