《Special Report》母娘で立ち向かう異文化の大きな壁!
ブルキナファソから、こんにちは!
今日も虫とヤモリと汗と土ボコリにまみれて育児に奮闘中の堀井あいこです。
私たちが暮らすブルキナファソでは、言語、宗教、食事、時間の感覚、子育てetc. 様々な面において、日本とは大きく文化が異なります。
今回は、娘の保育園と幼稚園での経験を通してぶつかった異文化の壁について、お話したいと思います。
親子で異文化の壁をどのように乗り越えていったのか……いいえ、実はまだ乗り越えられていません。
今日は、高い異文化の壁にどのように立ち向かっているのかということを混じえ、私たちが体験したブルキナファソの幼児教育事情をお届けします。
ブルキナファソの幼児教育システム
ブルキナファソはフランスが旧宗主国なので、公用語はフランス語で、教育システムもフランス式が取り入れられています。
〈幼稚園の年齢区分〉
年齢 | ブルキナファソ | 日本 |
3歳 | Petite Section | 年少 |
4歳 | Moyenne Section | 年中 |
5歳 | Grande Section | 年長 |
新年度は9月から始まり、翌年の6月で終了します。
4歳になったばかりの長女は、日本でいうと年少にあたるPetite Section(プティット セクション)に所属しています。
3歳になる前の子どもは、“Crèche(クレッシュ)”と呼ばれる保育園に通うこともできます。長女も現在の幼稚園へ通う前は、保育園へ通っていました。
<幼稚園>日本とはちょっとちがう⁉入園時に準備するもの
長女が通う幼稚園に、制服や指定のバッグはありません。
服装は自由で、キラキラのパンプスを履き、フリフリのワンピース、アフリカ布で作られたドレスを着ている子もいます。何を着ていっても、注意されることはありません。
新年度になると、提出物リストが配られます。リストに基づき、各自で必要な文房具をそろえます。クラスの絵本も持ち寄りで、好きな絵本(フランス語)をひとり1冊提出します。
私が驚いたことは、リストの中にトイレットペーパーやティッシュの記載があったことです。子どもたちが幼稚園で使うトイレットペーパーもみんなで持ち寄っているのです。
(ここだけの話)
ひとり6ロールずつ提出したはずのトイレットペーパーは、おしっこの時には使わせてもらえないことを、ここにひっそりと記しておきます。娘曰く、「おしっこをした時には、おしりを振っておしまい」らしいです(あぁ、これも文化の違いなのでしょうか…)。
<保育園>意外とスパルタ⁉ 2歳からアルファベットを習う英才教育
長女の通っていた保育園では2歳になると、アルファベットや数字を習うようになりました。
もちろん2歳や3歳の子どもでは、まだまだ上手く書けません。
それでも長女は3歳で、アルファベットのA〜Z、数字の1〜10をフランス語で言えるようになっていたので、驚きました。
先生1人につき、生徒4人という少人数のクラスで、
- 校庭に積み木で大きなアルファベットの文字を作る
- 大きく書かれたアルファベットの文字の上におもちゃの車を走らせる
- マンゴーを数えながら数字を覚える(その後、みんなで食べる)
- みんなで協力して、色や形ごとにおもちゃを分類して数を数えるetc.
教室を飛び出して、体を使ったアクティビティーが多く取り入れられた授業のおかげかもしれません。
ここまで書くと、先生たちもさぞかし熱心なのかと思いますが、そんなことはありません。先生たちはのんびりとしていて、教室で携帯をいじったり、携帯で動画を見せたり、なんていうことも日常茶飯事です。
お昼寝の時間には、先生たちも一緒に寝ています。日本だとクレームが来てしまいそうですが、ここでクレームを入れる保護者は誰もいません。
<保育園>先生が時間通りに来ない⁉
ザンビアやベナン、ブルキナファソなど、アフリカで暮らしていると“アフリカンタイム”と呼ばれる新しい時間概念の壁が大きく立ちはだかります。
「今向かっているよ!」と言ったザンビア人の友人が、
待ち合わせ場所に到着したのは2時間後—
水漏れの修理に呼んだ配管工が「すぐ行くよ」と言って、
家に来たのは3日後—
などと言ったように、時間に正確な日本人と比べると、時間の感覚がのんびりしているのです(もちろん時間通りに来る人もいます)。
保育園の先生も、例外ではありませんでした。
サマーキャンプ(夏休みに学校を開放して、アートや音楽、ダンスなどをやるコース)中に、先生が遅刻、時には来ない日もありました。
日本の常識だけで捉えると、先生が何の連絡もなしに遅刻するなんてありえません。校庭にすわり、じっとカタツムリを眺めながら先生を待つ娘の背中を見て、みじめな気持ちと怒りが同時にこみ上げてくるのを感じました。
しかし、私たちが暮らしているのはブルキナファソ。先生たちが育った文化や環境があるのも、ここブルキナファソです。
日本で培われた “日本人としての価値観” だけをぎゅっと握りしめていると、ここでの生活はどんどん苦しくなっていきます。握りしめた手をほんの少しゆるめておくと、全く別の新しい文化として捉える余裕が生まれることを学びました。
とはいえ、費用は納めているので、しっかりとクレームは伝えましたけどね。
たったひとりの日本人
長女が通う幼稚園には、日本人の子どもはいません。もちろん日本語がわかる先生もいません。ブルキナファソに、日本人学校や日本語の幼稚園はありません。
はじめのころは、毎日泣きながら保育園や幼稚園へ通っていました。
日本語がわからない先生に抱きかかえられながら、
「やだよぉ〜」
「おうちにかえりたいよぉぉ〜」
と日本語で泣き叫ぶことしかできない娘を見ては、かわいそうで何度も心が張り裂けそうになり、罪悪感を感じる日も続きました。
それでもしばらく通ううちに、クラスメイトの名前を覚え、少しずつみんなと遊べるようになってきました。
家でお絵かきをする時には
「〇〇(=友達の名前)は〇〇色だよね」
「〇〇は、うすだいだいと茶色が混ざった色だよね」
と言いながら、友達の似顔絵を描いて、見せてくれます。
「〇〇先生は、英語も話すよ」
「〇〇は現地語のモレ語もわかるんだよ」
と私に教えてくれます。
長女は3歳にして、
- 人によって肌の色がちがうこと
- 人によって話す言葉がちがうこと
を理解していました。
気づけば、自分から友達にフランス語で声をかけ、いろんな色のクレヨンを使って友達の似顔絵を描き、ジャンベと呼ばれる西アフリカの太鼓を叩いて踊り、泣かずに幼稚園に通えるようになっていました。
そんな娘の姿から、子どものたくましさと適応能力の高さに気づかされました。
子どもと一緒に成長してみよう
ブルキナファソでの生活は、戸惑うことも多くあります。しかし娘たちを現地の保育園や幼稚園に通わせる中で、母親としての私の価値観も少しずつ変わってきました。
多様性の中で「いろんな壁にぶつかりながら、子どもたちと一緒に成長していけばいい」と思えるようになりました。
幼稚園がイヤで泣く日があったって、いい。
給食のバオバブソースが苦手で食べられなくたって、いい。
先生がちょっとくらい遅れてきたって、いい。
友達に噛まれて、背中に見事な歯型がついて帰ってくる日があったって、いい。
みんなが手を使って食べているからと、家のごはんを手で食べ始めたって、いい。
これから小学校、中学校…と大きくなるにつれて、きっと新しい悩みも出てくると思います。どんな環境でも、彼女たちのたくましさを信じ、ゆったりと構え、受け入れられるよう、私自身も成長していきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ばーるか!(現地モレ語で「ありがとう」)