【オランダ】「社会に出たときには」と保護者や子どもをいたずらに煽る風潮

「社会で働く上で必要な資質として」
「これからの社会で求められる力は」
「もっと社会で活躍できる人たちを輩出するには」
「社会で即戦力となる人材とは」

教育の先には、社会がある。これは当然のことかもしれません。
しかし、私がインタビューをする教職員からは「社会に出たときに」という言葉があまり聞こえてこないと感じています。

「子どもは子どもらしく」で良いじゃない

もちろん、教育文化科学省や日本の文部科学省が子どもたちの教育の先に社会で働く姿を想像することはとても大切なことだと思います。
また、現場の教職員が学校教育を行う意味や、世界や社会の変化、どのようなアプローチを持って生徒と関わり、どのようなスキルを身につけて欲しいと考えることは必要不可欠だと思います。

ただ、行き過ぎた「逆算」はかえって自分たちを苦しめ、その苦しみは子どもたちに伝播していくのではないか。

「子どもは子どものままで良い」
「子どもは子どもらしくいるのが一番」

口を揃えてそう言うこの国の大人たちには、子どもを大人と同じ土俵に乗せるという考え方が日本ほど見られません。

「背伸びしなくて良い。今しかできないことをしていれば良いんだよ」

落ち着いてそんな風に声をかけてくれる存在がどれほどありがたいことか。
私はこの年齢になって、子どもを育てる親として、そのありがたみを感じています。

教育を通して”子どもの将来の不安”を煽らない

子どもたちの未来が社会とつながっている以上、社会に出た時に役に立つ知識や経験をもっと教育活動に入れるべきではないか。という意見も聞こえてきます。

日本の学習指導要領にある、英語やプログラミングはまさに「これからの世界で生きる子どもたちに必要なもの」として追加されたものでしょう。

その流れはオランダにもあり、現場の先生たちはどんどん増えていくカリキュラムにとても困惑しています。特にオランダは深刻な教員不足に悩まされており、ただでさえ人手が足りていません。

そんな状況下でも、

「子どものうちは、子どものままでいさせてあげられるように」

という言葉を優先する教育者たちに出会ってきました。

実際、この言葉を「生ぬるい」と捉える人たちが一定数いることは確かですが、私は時々、日本の中に「社会にでた時はね…」と、子どもたちに対して、社会との接点に過剰に意識を向けさせようとする人たちが一定数いることに疑問を感じます。それがまるで「煽り」のように見えるのです。

オランダの(特に小学校の)教師たちは子どもたちを子どもたちらしくいさせてあげること、そこに教育の本質があり、何にも変え難い経験や心で感じたものが、大人になって社会に出たとき、市民として生きる人間の本質へと戻っていく。そんな風に捉えているように思えてならないのです。

「誰だって自分の子どもにベストな環境、ベストな教育を与えたいと思っている。それはとても自然なことですね。でも、”不安”を使って家族を、子どもたちを煽るような風潮は教育の本質ではありません」

オランダの先生たちは、目先の手軽さに惑わされず、もっと人間の生きる本質を見つめよ、教育の本質を見つめよ。とメッセージを送ってくれます。

「自分の子どもだけには」という想い

結局のところ、保護者が子どものために、ベストな環境を教育を整えたいと思うのは、愛情故かもしれません。

しかし「子どもは子どものままで」という、ありのままの子どもの生き方に対して欲をかき「でもやっぱり…」と言い訳をし始めた時、歯車が狂い始めます。

「生きていてくれるだけでありがたい」
そう想い我が子を抱いた日のことを忘れてしまいがちになります。

「でも、これが結局子どものためなのだから」
「将来、この子が困らないように今はこうするしかない」

そんな言葉を呪文のように唱え続ける時、その保護者もまた「煽りの呪縛」から解き放たれていないのかもしれません。

「大人になったら英語が話せる方がいい」
「人前でプレゼンテーションができる方がいい」
「パソコンスキルは高ければ高い方がいい」
「プログラミングはできた方がいい」
「何か得意だと言えるスポーツがあった方がいい」


人の人生は「できたらいいこと」だらけです。
でも、全てを「できるようになること」は難しく、徐々に「そもそも子どもが望んだことかどうか」…という判断がどんどん薄れていきます。

「…それで、子どもは幸せですか?」
「”幸せ”という言葉を自分で定義できるように育っていますか?」

オランダの先生たちと話をすると、私自身、自分があまりにも「幸せ」という定義を固定化させ、問い続けるという行為を忘れてきたことに気がつきます。
そして、自分と同じ分だけ「幸せ」という定義の問い直しが子どもにも必要であるにも関わらず、自分の幸せを子どもに押し付けてきたことにハッとさせられるのです。

「不安を材料に誰かの心を揺さぶることはとても簡単ですね。でも、そこに本質がないということを1番知っておかなければいけないのは大人です」

「社会に出た時に必要な力」
それを逆算し、全てを教育に落とし込もうとすることは一見正しいように見えます。

「でも、それで子どもは幸せですか?子どもらしく生きていますか?」
その問いを投げかける教育者たちは、子どもたちを大人のエゴから必死に守ろうとしているのではないかと思っています。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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