《Special Report》私の感じる、シュタイナー教育

ヨーロッパ暮らし

子どもを持つ、親になる、学校や教育についてあれこれ思い巡らす––––––
そんなことは頭の片隅にもないまま、日本を飛び出して、ベルギー、イギリス、そしてまたベルギーと、計15年に渡りヨーロッパで暮らしています。

元はといえば、自分のやりたいこと–ダンサー業–だけにフォーカスし、チャンスがあればどこにでも行くような生活でした。
今も常に変化を求めている、フットワークが軽いなど、メンタルにおける部分ではあまり変わってはいませんが、パートナーや子どもがいることで、社会の中でそれなりの枠にははまっています。

2人の子どもは、ロンドンでイギリス人のパートナーとの間に生まれました(娘2010年、息子2013年)。
どちらも、私そしてパートナー側の双方の家族の実質的な手助け皆無の、2人だけの出産・育児でした(お祝い等はいただきましたが)。

ただロンドンという移民だらけの地にあっては、それもさほどめずらしいことではなく、若さもあって特に辛いと感じたことはありません。
たまに「今日は母に子どもを見てもらって・・・」「義母にお願いしちゃった」などと聞くと、もちろんたまには羨ましくも思いましたが、基本的にはそういったことは「なくて当たり前」のコミュニティにいた気がします。
文字通り、病気になっても倒れても24時間週7日、子どもと一緒でした。

シュタイナー幼稚園へ

そうして、どちらの子も3才のお誕生日の後から、近所のシュタイナー幼稚園に通い出します。

なぜシュタイナーか?
正直に言うと、そこまで思い入れがあって選んだわけではありませんでした。
ただ、あと半年ぐらいで幼稚園、、、という頃にふと手にした本で触れられていたこと、見学にいった際に、カラフルなおもちゃに埋め尽くされていない、木をメインにした素朴な空間にほっとしたこと、など些細なことの重なりだったように思います。

今でも「シュタイナー教育とは何か」を語れる自信はありません。
本もいくつかは読みましたが、お世辞にもたくさん読んだとは言えません。
そしてシュタイナー幼稚園・小学校以外に子どもを通わせたことが(子ども達が7才、4才時に日本に滞在した3ヶ月以外に)ないため、比較もできません。
あれこれリサーチして選んだ、のではなく、「あぁここにしよう」と思ったのが始まりで、そこから浮気をしていないというだけです。

ですので、ここでシュタイナー教育について四角四面に述べる気も全くありません。
そういった情報でしたら他でどうぞ(笑)。
私の文章の端々から感じていただけるものがあれば、と思っています。

一緒に、楽しむ

さて入園はすんなりいったか?

生まれてから3年間、私とほぼ離れたことのない娘です。
しかも一週間前に弟が生まれたばかりです。
「ママを取られた」うえに「よそにやられる??」
もちろん時間はかかりました。

新生児だった息子を抱え、出たり入ったり5週間は教室にいたのではないでしょうか。。。。
日々の創作活動や散歩、季節ごとの歌やお遊戯、みんなで準備するパンやスープ、軽やかなものから厳かなものまで様々な祝祭行事・・・・
そのうち私もルーティーンをすっかり覚え、半ば楽しんでいたのを覚えています。

息子は???
おんぶ、もしくは部屋の隅っこでバスケットに入って寝ていましたね。先生にだっこしてもらっていた時もあります。

シュタイナー教育は家庭での時間を重視するため、園で過ごす時間は一般より短いことが多いです(現代はみな忙しいため、延長保育など工夫はされてきているようですが)。
私の子ども達の場合は、週4日午前中のみでした。午後はそのまま園の近くの公園へ。
なんとものんびりと過ごしていました。

ロンドンからベルギーへ

こんな調子で息子が入園するあたりまでをロンドンで、その後ベルギーへと移ります。

ベルギーでもやはりシュタイナー教育を選んだのは、私にとってそれ自体が自然であるとともに、言語の異なる国でスムーズに学校生活に馴染めるように、との思いが大きくありました。

その選択は正解でした。
英語でこそないものの、同じ歌、似たようなおもちゃ、同じようなルーティン、同じ季節には同じことをし、子ども達の中には
「あぁこれ、ロンドンでもジャネット(先生)とやったね」
「ママ、ベルギーではこうやるんだよ、あのフェスティバル」
のような繋がりがしっかりと生まれていました。

シュタイナー教育が重視する「手仕事」や「表現活動」は言葉に頼らない部分も多く、そういったアクティヴィティは安心してできるものだったのでしょう。
子どもたちは、ベルギーでの園生活にすんなりと馴染んでいきました。

生活の中での言語習得

ベルギーは公用語だけで3つ(仏蘭独)、それにプラスして移民も多い国です。

私達はオランダ語圏にいますが、娘のクラスも息子のクラスも街も常に多言語が飛び交っています。
ベルギーの、特に蘭語圏で育つと、最低英仏蘭の3言語は流暢に話すようになり、その子のバックグラウンドや環境によっては5−6言語も普通のようです。

先生ももれなく多言語を話すので、よっぽどのマイナーな言語の子どもが来ない限りは支障がありません。(学校や自治体の方針により、その地域の第一公用語に限定している学校もあります)

私の子ども達は始めは英語で対応してもらい、プレッシャーのない状態で、徐々に、ごく自然にオランダ語を習得していきました。
娘は既に字が読めたので、主に視覚に頼って「読もう」とする目からの習得で、字の読めなかった息子は「聞こえたことを言う」、耳だけに頼った習得でした。

性格や適性の違いもあるのでしょう。観察していて非常に興味深かったです。
少々わからないことやできないことがあっても、そこにフォーカスし修正するようなことはありません。
歌も謳って、たくさん遊んで、お話を聞いて、、、、できそうであれば書いたり読んだり。お話に出てきた情景を蜜蝋や水彩絵の具で再現、編み物や縫い物もします。
その内におのずとできなかったことができるようになっていたり、心の中のブロックが外れていたり、そんなこともありました。

シュタイナー教育の基本

身体を使い、全感覚を動員し、部分部分ではなく全体的に学んでいく、これもシュタイナー教育の特徴です。

ただこう書くと何か大げさで特別なことでもしているようですが、そうではありません。
素朴にシンプルなことを繰り返す、時間をかけることをいとわない。
それが基本です。
ただ、現代では実は難しいことかもしれませんね。

また多言語ということは、思想も考え方も多種類あるということです。
そしてそれは、ここでは「自然」なことです。

子ども達も「みんなが同じ」とは決して思っていません。
はっきり言って、そこにフォーカスすること自体が不自然といった感覚です。

今娘は5年生、あと1年で次の学校に進みますが、私も本人もやはりシュタイナースクールを希望しています。
再び、「そうでなければダメ!」と思っているわけではありませんが、そうでなければ、なんとも違和感があり、不自然に思う、というところでしょうか・・・。

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