【オランダ】海外への教育移住の裏側にある日本の教育の闇

こんにちは。
今日は、「海外への教育移住」に関して私なりに感じたことや気づいたことについて書きたいと思います。

日本の教育に外からのヒントを…オランダへの移住

私たちがオランダへ移住した主な理由は、子どもの教育環境だけではありません。
もちろん、子どもは日本でインターの保育園に入れていたというのもあって「言語」やそれにまつわる「異文化」を視野に入れて子育てをしていたことは確かです。

しかし、それ以上に学校現場で自分たちの教育者としての視点不足を感じていました。
「日本の教育に変化をもたらすには広い視野が必要だ」
オランダに拠点を置くことで、北欧などにもアクセスしやすいことを考え、
オランダへ移住を決めました。

また、多くの世帯で当たり前になっている「子どもとの時間を確保することの難しさ」に、これ以上目を瞑れないと感じました。
教育者として、高校教師として、そして、保護者として、
「大人になったら、死に物狂いで働く。子どもとの時間を削ってね」
とは言えなかったし、言いたくなかったのです。
私たちは教育者として、子どもたちに本音と建前を使い分けることが出来ないほど不器用だったのかもしれません。

オランダで生業とする仕事は「子どもたちのためになること」に絞りました。
私たちはどこで生きていても教育者でいたい。そういう想いから、かねてから日本の教育現場でも問題視されている「国語力」について日本にいる時から少しずつ学び、言語と文化、アイデンティティの形成などについて勉強を進め、オランダに移住しました。

言語習得への覚悟

オランダに移住するにあたって1番心配事としてあったのは、子どもの学習言語(オランダ語)です。私はアメリカへ留学していたこともあって、ほとんど問題なく英語を話すことが出来ますがオランダ語はさっぱり…さてどうしようかと思ったのですが、子どもを現地校に通わせようと思った時に覚悟しました。「自分もオランダ語をきちんと勉強しよう」と。

言語を教えてきた立場として、言語が親子関係にとってどれだけ大事な要素であるかは理解しています。そこに目を瞑り、
「お母さんは出来ないけどあなたは頑張って」
と言うのは、あまりにも身勝手だと感じました。私が子どもだったら爆ギレすると思います。笑
「そんな無責任なことを言うなら日本で良かったわ!!!!!」
私ならそう言うと思います。
それくらい子どもが学習言語の理解に苦しみ、それを親が理解してくれないということは、精神的な負担をもたらすと思うのです(これには外国籍生徒の指導で感じた経験があります)。

もちろんこれらを全てお金で解決し、アウトソーシングするという手もあるかしれません。
「全て自分でやらないと」という日本人的な考えは、時代の流れからみても限界だという見方もできると思います。(うちにそんな余裕はありませんので、草の根根性でがんばります!笑)

親のコミュニケーション能力 ≒ 子どもの人間関係

娘は4歳からオランダの現地校に入り、私たちはクラスで唯一のアジア系家族でした。私たちともう1組、オランダ語を母国語としない家庭がありますが、それ以外の子どもたちは全てオランダ生まれオランダ育ちです。

オランダの小学生の中には、放課後は子どもたち同士で約束をして遊ぶ子どもたちもたくさんいます。ということは、そういった放課後の約束(プレイデート)をするのは保護者になります。

そして、結局、保護者のコミュニケーション能力が子どもの人間関係、言語発達を狭くも広くもするということをとても強く実感しました。
学校からも「◯◯(子ども)には、引き続き放課後もオランダ語の環境を用意するように心がけてください」と言われています。
オランダ語のベビーシッターを雇って、オランダ語だけで話しかけてもらったり、私たち親自身もオランダ語を勉強する時間を確保しています。

私自身は性格が社交的な方で、職業柄もあってかいろんな人と話をするのが好です。
それでも、入学当初はオランダ語が飛び交うメッセージのやり取りに多少なりとも不安を覚えました。保護者たちの輪に入るために「えいやっ!」と自分自身をプッシュしなければいけないこともありました。

娘が「◯◯と遊びたい!」と言った時、私はそのママ/パパに連絡し、何日にするのか、どちらの家で遊ぶのか、学校帰りなのか、アレルギーはあるか、何時に迎えに行くのか…といった細かいことも当たり前に決めていかなければいけません。
もちろん、子ども自身が「学校の友達とのプレイデートはいらないよ!」と言う子なら、それはそれで良いと思います。

ただ、我々の娘はいわゆる”outgoing”な子です。私自身がそういったことが言語的に、性格的に億劫だと感じる場合、子どもの人間関係に制限をかけることに繋がるんじゃないかなと感じました。(あくまで個人の意見です)

実際に教育移住家庭の話を聞いてみると

ここからが本題ですが、私たちはオンラインも加えると、比較的広い範囲でオランダに住む「何かしら日本にルーツを持つ子どもたち」に教科指導や日本語指導を行っています。
そのメソッドは型にはまったものではなく、私たち自身が日本の高校生を見て感じた「これからの時代を生きるために必要な力 × 日本語」にフォーカスし、それを低学年から積み上げていくイメージです。
入塾の際には保護者とこれまでの子育てや言語環境、お子さんの特性、保護者が感じていらっしゃる不安や期待すること…など、とても細かく様々なことについてお伺いしています。

そこで感じたのは、ある一定数「日本の教育では、子ども自身が学校生活に難しさを感じて海外に出ました」というご家庭がある、ということでした。

この意味が読者の方々に伝わるでしょうか…

つまり、一斉指導の授業を行い、点数主義の日本の教育の中で、ある意味「居場所を失った」と感じた家庭やその子どもたちが、「ここではないどこかへ行かなければ、自分たちが潰れる」という思いで日本を脱した…
そういった経緯をお持ちのご家庭が複数存在したということでした。

私たちは元公立学校の教員としてこの現実をとても深刻に受け止めています。

日本の教育現場にはそれくらい「異なる特性を受け入れ難い」という現状があるのかもしれません。

もちろん海外に移住したら言語の問題が浮上してくる

「日本の教育の中では子どもの心が潰れてしまう」
そう感じて日本を脱し、多様性を認めてくれやすいと思う海外へ移住する。

「いや、日本でも出来ることがある/あったでしょう」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、日本の子育て世帯における「孤立化」は深刻です。初めての子育てに対する不安、誰にも相談できない、サポートしてくれる仕組みもない、どこへ行っても白い目で見られる…

私はそこに言語(日本語)がわかるからからこその苦痛があると思います。
文化がわかるからこその辛さがあると思います。
周囲の人間たちが自分(たち)のことをどう思っているのか。
それが「わかってしまう」ことが辛く、家族を孤立化させていくのです。

それは本人たちの責任でしょうか?私は違うと思います。
人は支え合って生きていく。そこには制度やサポート、人の支えが必要です。
「人が持つどんな背景にも共感し、時に助け合い、みんなが居心地よく暮らせる社会」
私はその姿勢の大切さを英語という教科を通して教えてきました。
違いを認め、自分の物差しで人を計らない。点数主義に固執せず、人が人として、自分として幸せに生きる社会はどのような社会なのか。
日本にはその問い直しが必要なのではないでしょうか。

もちろん、海外に移住したからと言って、全ての問題が解決される訳ではありません。
子どもにのしかかる「言語の問題」はとても大きく、保護者が英語もしくはオランダ語を操れない場合、それが延いてはさらなる子どもの負担になります。

そういった家庭を受け入れる学校や、広く見れば国からしてみても、
「その問題は自分の国で解決してきなさい」
という風に考える人もいると思います。

ただ「もうここにはいられない」と判断した家庭の存在を、どうかみなさん他人事だと考えないで欲しいと思います。
これは、この記事を読んでくださっているみなさんの国や教育、そこに暮らす人々が抱えている「大きな問題」だと認識して欲しいのです。

私は日本という国が大好きで、高校教諭という仕事が天職でした。
今でも教育者でいることは私たちにとって天職です。
その大好きな仕事を手放したのは私たちの勝手かもしれません。
「自己責任」を押し付ける社会において、個人の決断は「自己責任」として片付けられます。

しかし、その「自己責任」を「社会の責任」に少し変化させられた時、
初めて人々は「当事者意識」を手に入れることが出来るのではないでしょうか。

もちろんそれはあくまでスタートで、そこから議論すべきことはたくさんあると思います。
しかし、答えのない時代だからこそ、多くの人々がトライエラーすることをみんなで支え合っていく。そういった社会になれば良いなと思います。

そして、私たちは日本がそういった社会に向かうために出来ることをコツコツと積み上げていこうと思っています。

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