【オランダ】母子移住は孤独だ
さて、2020年が始まりました。
このブログに目を通してくださっている皆さん、いつもありがとうございます。
そして、遅ばせながら新年明けましておめでとうございます。
皆さんにとって2020年という年が幸多き1年となりますように…心からお祈り申し上げます。
2019年の年末、彼が日本から休暇を利用してこちらへ来る前に書き始め、完成できていなかった文章が下書きフォルダに残っていました。
その文章を今日、完成させたいと思いながら書いています。
2019年を振り返ると、挑戦ばかりの1年でした。
5月にオランダに移住し、約3ヶ月間両親が生活の立ち上げを手伝ってくれました。
夏休みには約10日間、彼が日本から来てくれました。
そしてその後始まった4歳の娘ととの母子生活。
ワンオペ育児の中、9月には娘の小学校が始まり、新しい環境への順応。
10月に長い秋休みを母子で乗り越え、12月末に3ヶ月間続いた学校生活が終わりました。
前のブログにも書いたように、こちらで日が短くなった頃から気分が落ち込むようになり。笑
結構本気のdepressionを乗り越えたかと思ったのですが、実は精神状態があまり安定しないまま、その後の日々を過ごしていました。
そこへやってきた詐欺被害。泣きっ面に蜂とはこのことです。爆
学生時代に約1年間ほどアメリカに留学していた私は、その時に多少なりともホームシックを経験しました。
“だからきっと乗り越えられる”
…ではありませんが、その経験が何かを支えるものになるような気はしていました。
結果として、留学という経験は少なからず私の支えになったと思います。
しかし、海外移住は留学とは以下の点で異なるということがわかりました;
・学校/企業のプログラム等に属している自分ではないということ
・保護者など、誰かに金銭的に支えてもらう状況ではないということ
・移住生活には留学プログラムのように明確な終わりがないということ(終わりを決めるのも自分次第)
・生活で起こりうるあらゆる事柄について答えてくれる人が留学センターなど、一箇所に集中している訳ではないこと
・”まだ知らないこと”がどこに転がっていることに対する不安。急に”そんな制度があるの!?”とか、”そんな申請しないといけないの?!”が現れるという不安…(時に罰金が発生することも)
とにかく、“自分の足で歩く”ということが留学以上に求められる。
そういった感覚で、幼い子どもの命を守りながらこの7ヶ月を生きてきました。
社会におけるあらゆる契約の責任を一社会人/保護者として負うことの大変さや、プレッシャーを身をもって感じた次第です。
もちろん、楽観的な部分だけに目を向けて海外移住を決断した訳ではありませんが、自分がオランダという国で、いや正しくは私が住んでいるこの地域で、アジア人という社会的マイノリティーとして生きるストレスは、留学や旅行とは比にならないものだということがわかりました。
総じて、とても良い経験です。
年末年始の休暇に入る前、娘の担任と話をする時間があったので、私自身がこの数ヶ月間、ストレスを感じながら生きていたことを打ち明けました。
そして、少し日本への一時帰国を考えているのだけれど…という話もしてみました。
すると、彼女自身もご主人が仕事の都合でアメリカにいる状態であり、今現在はシングルマザーとして子ども2人を育てていることを教えてくれたのです。
「数年前まで家族でアメリカに住んでいたけど、社会情勢と子どもの教育のためにオランダに戻ってきて子どもを2人育てているの。今はあなたと同じ状況のシングルマザーね。1人で子どもを育てるということはとても容易いことではないし、今でも辛いと感じることがたくさんあるわ。でも、この国は私のホームだから。でもあなたにとっては違うでしょう?それは相当なストレスだと思う。私が1人、アメリカで子ども2人を育てることを想像したら、そんなこと絶対に出来ないと思う。…よく頑張ってきたわね。本当に辛い日々だったでしょう。パートナーと話すにも、家族と話すにも、いつも時差を考えなくちゃいけないじゃない?特に夜、私は話をするパートナーがいないことが辛い。そう思わない?あなたは母だけど、いつも強く生きなくても良いのよ。帰りたくなったら日本へ少し帰った方がいい。」
彼女と話をしながら、涙が溢れる思いでした。これまで娘の担任にとても好意を抱いていたのですが、この話をしてもっと好きになったのでした。もうお母さんみたいやん…!!泣
そして、私が何より勇気づけられたのは私と同じ母子移住で、かつ自分の収入だけで生活を維持している人たちの話です。
「自分が主たる収入源として働かなければいけない」
というプレッシャーの中で、子育てをする……..ただただ、想像を絶します。
でもそんな生活をする、あるママに話を聞いてもらうと、
「私にもそういう時期があったよ。日本でバリバリ働いていたのに、社会との接点がなくなって、社会貢献していない自分が許せなくなる。でも、子どももいるからそんなに移住当初はバリバリ仕事も出来なくて。私たちのようなワンオペママはみんな経験していると思う。でも、そんなに無理する必要ないじゃない。しんどくなれば休めば良い。強く生きなくても良い。いつでも話をしに来てくれたら良いからね!」
と言われ、ただただ心が救われたのでした。
「少し日本に帰りたい」
そんな風に考える自分に対して、
「自分で決めたことなのに」とか、
「こんなこと予測できたことなのに」とか、
しばらく自分を責めた時期がありました。
自分の決断を自分で乗り越えられないことがとても恥ずかしいことだと感じていました。
いつの間にか私の頭には、“自己責任”という言葉が張り付いて離れなくなっていたのだと思います。
…とても生き辛さを感じていました。
でも、ある人が、
「失敗にだけフォーカスする人間の言うことなんて聞かなくても良いと思う。そういう人は大抵の場合、たいした挑戦もしていないから。そういう人の声が聞こえそうになったら、もっと自分を褒めてあげようよ。だって、人がなかなか出来ないような決断をして、今を精一杯生きているんだから。それは誇るべきことだと思って欲しい!」
と言ってくれたのでした。
そして、そういった心温かい人たちのおかげで、寂しい気持ちや胸の中のモヤモヤも少し和らいだ気がします。
ただ、そうやって人に打ち明けるまでに時間がかかったことも事実です。
自分が”うつ病”だとは思いませんでしたが、気持ちの落ち込みようは凄かったです。
「人に相談すれば良い、気分転換すれば良い。そういうアドバイスさえ耳に入らない、助けを求めることさえ出来ない。きっとこれがうつ病の人たちが感じる孤独なんだろう」
と、後になって思いました。
移住当初は「よし頑張るんだ!」という気持ちがたくさんあったのに、慣れない異国での生活のやりにくさから、生きる気迫のようなものはいとも簡単に剥ぎ取られていました。
自分一人なら多少は身軽に動けるだろうし、パートナーがいれば様々な不安をすぐさま打ち明けられます。しかし、1人で4歳の娘の子育てに悩み、8時間の時差の中なかなか日本の家族と深く話せる時間もなく、日常生活で1日中まともな日本語の会話がないことでストレスが溜まっていました。
そして、何より私のストレスだったのは物理的にパートナーがいないこと。だったと思います。
まさに、娘の担任が言ってくれた、
「夜に、パートナーと話せないこと」に全てが集約されていると感じました。
もちろんそれは夜に限らず、「おはよう」「いってきます」「おかえり」「ただいま」「何食べる?」「それやっといたよ」「ありがとう」「お風呂何時に入る?」「これお願いしても良い?」「それ食べようと思ってたのに!」
本当にたわいもない会話のやりとりが羨ましいし、懐かしい。
言葉を発した時に、反応してくれる信頼する人が家にいること。それが心から羨ましいのでした。
家庭によっては「こんな結婚相手ならいない方がマシ」というような状況もあるとは思うのですが。笑
うちは特に夫婦というよりは親友みたいなところがあるので、こんな風に思うのかもしれません。
友人の多くには、
「なおがオランダに行くことは驚きではないけど、旦那さんと離れるという決断には驚いた!!!!」という風に言われました…し、家族には夫婦が離れて生活を送ることについて本気で心配されました。
その時強がって(?)というか本当に大丈夫だと思い、「大丈夫!」と言っていた自分ですが、考えてみれば彼と出会ってからこんなに長く離れたことは一度もなかったのです。
そういった意味でも、母子移住は劇的に寂しさを募らせるものになりました。
でも、私の身に起きた全てのことにはきっと意味があったのだと思います。
とてつもなく落ち込んだ日々も、そういう気の持ちようで過ごしたことで、泣きっ面に蜂のような出来事が起きたことも。
そもそも、私の気持ちが低空飛行で、自分や誰かを責める気持ちが膨らむ日々でした。そんな私を諫めるように、悪運が忍び寄ったのだと思うのです。
この海外移住で、私は自分の人生を通してとても多くのことを学んだような気がしています。
(どんな学びがあったかはまた改めて書いていきたいと思います)
公務員という社会的にも安定した職業的地位を捨て、自分の力で娘と異国に飛び込んだのは誰に強いられた訳でもなく、自ら選んだ決断でした。
困難も多く、泣いた夜もたくさんあったし、もちろん笑ったこともたくさんありました。
でも、これはこの道を選ばなければ起こり得なかったこと。
今の私には、リスクを犯したからからこそ得た経験がある。
だから、全てのことに意味があった。間違いなく、私の経験値は上がった。
そして、まだまだへこたれてはいられない…!!!
私が本当に伝えたいことは、日本以外の国にある”教育の新しい視点”です。
これからの目標は、私自身がオランダの教育にもっと深く潜入し、オランダの教育の根本にあるものを深く知ること。
そのためにオランダ語をきちんと学び、この国の教育に足を踏み入れていくこと。
そして、”教育文化の違い”の中にある、日本に導入可能な部分を見出すこと。
そうやって、外からのアプローチで日本の教育に刺激を与えることです。
“全てのことに意味がある”
言うのは簡単ですが、本当の意味で自分の中に落とし込むことは本当に難しかった。けど今は、笑って毎日を過ごせています。
私の心の叫びに耳を傾けてくれた多くの人たちに感謝と敬意を。
私をここまで生かしてくれて、本当にありがとう!