【オランダ/ハーグ】人が施す教育に期待しすぎない
「オランダの教育って素晴らしいですか?」
時々、日本の方からそんな声を聞きます。が、私自身この国の教育がとりわけ素晴らしいものであるとは思いません。もちろん世界各国全ての教育を見て研究した訳ではありませんが。それでも「それぞれの学校が違う」というこの国のスタンスは良い結果をもたらすこともあれば、そうでないこともあると感じています。
そんな制度の中で、国全体として教育の質を上げていくにはどうすれば良いのか。そこに尽力しているとは思うものの、言葉ほど簡単なことではなさそうだな。と庶民レベルで感じています。
学校が「何でもやってくれるところ」という間違い
オランダの学校にせよ、習い事にせよ、私は多くを期待していません。それは”諦め”という意味ではなく、結局のところ子どもの教育の要は学校だけに預けられるものではないというのが正直な感想だからです。
もちろんこの国で暮らし、現地校に通っている以上「最低限の」読み書きなどは学校に依存する部分が大きくあります。また、オランダ語が家庭の言語ではない娘に対するサポートは学校もできる限り進めてくれます。
しかし「オランダ語は学校に任せているので」という姿勢では不十分だというのが本音で、私の感覚としては学校と両輪で走るくらいの覚悟です。
それはつまり、学校と同じくらいの車輪を家庭に用意するという意味でもあります。
「そんなことやってられないよ」という人もいるでしょう。それはそれで価値観だとは思います。ただ、「やらないといけないことだけど、自分ではやりたくないこと(わからないこと)」という教育の責任を、保護者はどこに預けようとするのか?私はここに興味があります。
人が施す教育に依存する大人
私は学校教員として色々な生徒や家庭を見てきましたが、「自分の子どもの教育を他人に預けたい」と思う気持ちが強い保護者や生徒ほど、不満不平を抱きやすいと感じてきました。
「何でやってくれない」「効果がない」
保護者であればその不満の矛先を子どもに向かわせてしまうこともあります。
一方で「学校は最低限のことを教えてくれるところ」と考え、「それ以外の部分は自分や家庭での努力による」と考えている保護者や生徒は、アドバイスこそ求めてくるものの、それ以降は自走する力を持っていると感じます。
もちろんこれ以外のケースもあるので、一概に何かを言うことはできませんが、「教育における責任転嫁」に慣れてしまっている人は「教育は家庭以外でなされるもの」とかなり初期の段階で割り切ってしまっているように思います。
教育は線を引き、分け合うもの
私のオランダ人の知り合いの複数の家族に意見を聞くと「学校」と「家庭」の間にしっかりとした線を引き、「保護者における教育の責任とは何か」を受け止めようとしている姿勢を垣間見ることがあります。
「学校での悪い素行」は校内で起きている限り、学校はその改善に努める義務があります。よって、学校は保護者と話し合うことや、生徒自身と向き合うことに努めます。しかし、それ以降は家庭の問題なのです。
そして、学校外で起こることは「全て家庭の問題」だと私が出会ってきたオランダの全ての先生たちは言い切りました。それはつまり、時間だけでいうと
・学校で過ごす時間 約7時間
・家庭で過ごす時間 約7時間(22時に就寝として)
ここにおける責任は 1:1 であるということかもしれません。
また、これは素行だけに限らず、言語学習などについても同じだと言えます。娘の学校の担任はほぼ毎週、「子どもと一緒に読む本」や「保護者と一緒に読んでほしいプリント」を配布してくれます。
これをやるかどうかは家庭次第です。最終的な問題は「やるかやらないか」になってしまうかもしれませんが、「やろうと努めたか」も大きなポイントです。音読シートのサイン欄に、読んでもいない上、保護者のサインを書かせている間は、我が子の教育を別の人に預けているのと同じではないかと思います。
そして、何より問題なのは「そういった姿勢」を子どもに擦り込んでいることだとも言えます。
「家庭での教育がもたらすものは大きい」と言われたらどう感じるか?
「子どもが健全に育ち、成長していくのに学校か家庭のどちらが大きな役割を担っていると思うか?」
こんなストレートな質問をすると、周囲のオランダ人のパパママは「そりゃ家庭でしょうね」とあっさり答えます。彼らもまた最低限のことしか学校には期待していません。
もちろん子どもが通う学校は熱心に探してきたし、毎日楽しく学校に通い、学校で学ぶことはたくさん吸収してきて欲しい。それは間違いないと思うのです。しかし、同時にそういった毎日を送ることが出来るよう支える家庭の力は大きく「学校まかせにはしない」という気迫さえうかがえることもあります。(もちろん学校における差はあるとは思いますが)
「家庭も尽力しないとね」と受け入れることができるのは、「自分たちも教育に携わっている」という当事者意識のようなものを持っているからではないでしょうか。
保護者が教育を担う覚悟
私は別に保護者ばかりが子どもの教育を担うべきだとは思いません。シングルペアレントや複雑な家庭環境を抱えている場合、「保護者、保護者」と言われるとそのプレッシャーは計り知れないものになります。
しかし、それでも助けを求めるのも、行動を起こすのも、やはり子どもにとって一番身近な存在になってしまうのは確かです。
家庭の周囲にコミュニティや、所属できる場所があればそれはきっと保護者だけでなく、子どもたちにとっても良い影響をもたらすと思います。そういった「家庭の外側にある環境」が子どもを”さらに”成長させることは往々にしてあると思うのです。そういった居場所が社会にはもっとたくさんあるべきでしょう。
家庭が孤立することなく、プレッシャーを全て請け負うことなく、でもきちんと保護者として立ち、教育と向き合う覚悟を。
一方的に依存されることを嫌うこの国の教育、
教育とはあらゆる方向からなされるのが好ましいと言う保護者、
「誰かのせい」にすることをよしとせず、自分も当事者意識を持って子の教育に関わることをこれからも大切にしていきたいと感じています。
この記事を書いたボーダレスライター に
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税所 裕香子
Yukako Saisho
- 居住国 : ドイツ
- 居住都市 : ザールランド
- 居住年数 : 1年
- 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
- 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン