【オランダ/ハーグ】小2の遠足に保護者として引率して気づいたこと

こんにちは!猛暑日が続く中(※2023年6月執筆記事)、娘の学校の遠足に保護者として引率してきました。この遠足は年度はじめに決まっていたものではなく、急遽先月決まったもの。笑

学校から「来月、Blijdorp(動物園)に遠足行くことになりました!引率してくれる保護者の人、連絡くださーい!」みたいな感じで連絡がきて、サインアップしたところ、不運にもこれまで他の予定のおかげで何も手伝いができなかった私が選ばれることに!

娘のクラスからは私以外に2名の保護者が選出され、1学年2クラス44名に対して、保護者が6名と担任たち2名の合計8人で引率することになりました。

迷子になった時用のバンドをつけて

子どもたちについて教室に入ると、まずは朝の読書タイムから。そして担任から「このバンドを一人ひとりにつけてもらえますか?」と頼まれ、いわゆる(夜の)クラブとかでつけるような(笑)、生徒の名前と学校の電話番号が手書きされた紙バンドを読書中の生徒一人ひとりに着用。

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こういうやつ

今回、子どもたちはみんなお揃いの体操服のシャツを着て遠足へ出かけることになり。ピアスをしている子もいれば、ネックレスやブレスレットをじゃらじゃらつけている子もいるし、髪を染めている子もいれば、靴を履いていたり、サンダルだったり。全員で揃っているのはシャツとバンドだけ。うん、これで十分だ。

大勢の保護者に見送られ、バスは出発

準備も完了して、校門をくぐり、バスの乗車場所に移動するとそこには溢れんばかりの見送りの保護者が。笑 みんな豊かだわ〜。この時間(すでに9時前)にこうやって子どもの見送りに来れるなんて、やっぱりワークライフバランス取れてるわ〜。性別も問わず、とにかくたくさんの保護者が「楽しんでね〜!」「引率ありがとう〜!」なんて声をかけてくれて、子どもたちはマジでパーティーのような雰囲気で見送られます。

バスの中から笑顔で見送ってくれる大人たちに手を振り、バスはいざ動物園へ出発だ〜!

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バスは賑わい、降車してゆるーく集まる

バスの車内はみんな好きなように過ごし、私はクラスのママと隣同士でおしゃべり。一応、教室で「バスではお菓子も食べないし、飲み物も飲まないでね〜」と指示された子どもたちですが、まぁ見てたら飲んでるわな。笑

でも一応「ダメ」って言われていることなので控えめにしている様子。シートベルトを着用するように言われてみんな着用した…様子(たぶん)。笑 誰も逐一確認しには行かないし、それで良い。

バスを降りてからは他の小学校グループと入り口でバッティング。それでも、誰も拡声器なんか持っていないし、子どもたちは自由に見えてちゃんと自分がしなければいけないことをゆるくわかっている。ここに2列になって座りなさいなんて指示を受けなくても、先生や保護者から遠く離れたところには行かないけれど、バスを降りた途端、みんなおもむろに持ってきたお菓子(無制限)を食べ出して(笑)、モグモグしながらエントランスへ。何なら先生たちも生徒にお菓子分けてもらっているし、私も娘の友だちから「菜央もこれ食べる?」と勧められる始末。笑 良いね〜。楽しい遠足やね〜。って感じで入り口前で待機すること10分。
担任たちが事務処理を済ませ、グループに分かれることに。

隣のクラスの子どもも一緒のグループで…最高やん

引率では6名〜7名の子どもたちのお世話を。その半分(3名)が娘のクラスから。そして残りの半分(3名)は隣のクラスから。「このアイデア、最高やん」って思いました。

これまで娘と一緒のクラスになったことのない子が2人いたのですが「はじめまして!」と挨拶をして名前を聞いて「今日はよろしく!」から始まります。「あの子知らない〜!」とか「名前覚えられない〜!」とかじゃなくて、こうやって境界線を引かずに子どもたちは「いっしょに」育っていく。

私自身が小学生だった時、「隣のクラスのことはよく知らん」って感じだったかなぁ、と。「クラス」という集団で固まることが多いし、そういうところからクラス単位の「一致団結」とか「まとまり」のようなものを自然と強要されていく。でも、今日の子どもたちを見ていたら、普段から「クラス」という概念があまりないんだろうということが一目瞭然でした。きっと担任同士も活発に関わり合っているんだろうなと。そうじゃなかったらあんな風に子どもたち同士が「いつも関わり合っているように」過ごせるはずがない!

グループメンバーが集まったところで先生が一言。
「じゃ、いってらっしゃい!」
ということで、さぁ自由散策開始でございます。

あーだ、こーだ、子どもたちは子どもたちで

「先にトラが見たい!」
「えー、先に近くの水の生き物からが良い!」
「ちょっとうるさい!話聞いて、ちょっと黙って!」

などなど、小2の子どもたちは忙しい。笑 でも、近くでそれを見ながらニコニコ。いいよ〜、君たちとっても良いよ〜!と思いながら見守りに徹する私。

「じゃあ、ここにいるから先に水の生き物で、⚪︎⚪︎が見たいっていう鳥を見てからサバンナエリアは?」
「オッケー!」「賛成〜!」

私の心配は無用。オランダ語の上手さも一旦は不要。笑
子どもたちはしっかりしてるし、勝手に介入したがるのは大人たち。
あーだこーだ言う大人の行動って大きなお世話だよな〜。本当に困った時だけ来てくれたら良い。成長の機会を奪うなよ、大人〜。と、再理解。

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それなりに動物を見ると「公園に行こう!」と言う子どもたち。どうやら屋内公園と屋外公園があるらしく、屋内か屋外かで一悶着するも、ちゃんと自分たちで平和的解決を済ませてくれました。まぁ、動物園に来たけど、良いじゃない。それなりに動物も見たし。みんながしたいことしましょうよ!ということで、屋内の公園へ。遊び出す子どもたち。鬼ごっこ、かくれんぼ、あんたたち本当に仲良いな〜。

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お菓子を食べに戻ってきたり、水を飲んだり、売店に行きたいと言ったり。一人の男の子が言う、
「€20持ってきたんやけど、あそこの売店でかき氷を買いたい!」
…まじか。笑 そうか〜、かき氷か〜。っていうかお金持ってきて良かったんか?まぁ、それも保護者判断か〜。
「うん、買いたかったら買ったら良いよ〜」
そう言う私を見て買わないことを決めた彼。…お、どうした?まぁ良いか。

そもそも一袋にグミやら何やら、明らかにシュガーハイになりそうなお菓子をたくさん詰めて持って来ている子もいれば、控えめな量にしていたり、スナックタイムに食べるような野菜スティックも持参していたり。
「お菓子は¥300まで!」とは明らかに無縁の世界。
何をどれくらい持参するかは家庭の判断によるし、どれくらい食べるのかを自分でちゃんと判断できるようになる練習をしているような子どもたち。たくさん食べている子を見て「食べ過ぎだよ〜、お腹痛くなるで〜」なんて言われて量を調節したりして、100%でなくとも子どもたちは子どもたち同士で人生の学びを繰り広げているのが面白かったです。

お昼ご飯(?)を見てびっくり

確かに聞いてはいたけれど、12:30にレストランに集合したら配られていたのはこれ。爆笑

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すげーな。笑

食育の観点など皆無。そもそも子どもたちはずっとお菓子を食べ歩いているからそんなにお腹も空いていないだろうし…賛否両論あるだろうけど、遠足ってこういうもんで良いのでは?と私も思う。「普段とは違うことの楽しみ方」ってあるよな〜と。もちろん家庭によっては毎日こういうものを食べている家庭もあるだろうけれど、子どもたちにどれだけ栄養の話をしたって保護者が与えてしまうなら仕方ない。お金がなくて栄養価の高いものが買えないのと、知識がないことで栄養価の低いものを与えてしまうのとは相関性はあったとしても因果関係ではないと思う。

オランダではgezondschoolなんかの取り組みもある訳で、何もやっていない訳ではない。食文化が豊かな日本人の私からしてみたら驚きではあるけれど、遠足の日は誰も怪我をしない誰も置き忘れてこないことにフォーカスするために、食事を含めたその他のことは子どもたちが楽しめることでシンプルにするということが先生を救うことにつながることだってあるよな〜。と感じたりして。何でもかんでもは無理だしキリがない。そもそも色んなことをハイレベルで求めたら、引率しようにも保護者にだって緊張感が走るし。みんなができるレベルで幅広い人たちに関わってもらうためには最適解だと思う。

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アイスを食べている娘に遭遇

バスの出発に合わせて子どもたちと移動していたら、道すがら娘に遭遇した。何とアイスを食べている…お金は渡していないから、明らかに誰かに買ってもらったに違いない。笑

「どうしたんそのアイス。笑」
「meester(男の先生の呼称)が買ってくれた!❤️」


どうやら、隣のクラスの担任のグループだったようで、彼のグループの子たちは”内緒で”アイスを買ってもらったのだとか。
「ラッキーやねぇ〜、アイス食べちゃって〜」と言う私に彼が言う
「何もコメントはありません。笑 それより早く食べるんや〜!みんなにバレる〜!」

これを知った誰かが不公平だと言うかもれない。私/僕も欲しいと言うかもしれない。彼のグループが良かったと言うかもしれない。でも、それは引率してくれた保護者に失礼かもしれない。

色んな可能性があるけれど、人生にはラッキーがあって、何もない時がある。それが人生。子どもたちはリアルに「それが人生」っていう中で育っていくんだというのを、私はオランダの学校視察をする中で学んできた。でも、それって本当だと思う。誰にだってラッキーがあって、そうでない時があって、それが巡っているのが人生。

不公平?不平等?こんな小さなことにいちいち目くじらを立てる人生ってつまんねーなー。と、思っている人たちが多くいて、それで社会がまわっているように見える。

「自分の子どもしか」見えていない教育論

私はそもそも(公)教育の人間で、自分の子育て論や教育論だけで社会や教育を見ているつもりはないけれど、今回子どもたちの引率をしてみて改めて、
保護者という立場で学校教育に関与しないことの冷たさ
・自分の子どもの子育てだけを語るこのと危うさ
みたいなものを強く感じた。

世の中には「私の子育ては成功した」みたいなことを保護者として堂々と語っている人たちがたくさんいる。「こうやって息子を教育した」とか「これをやったから良かった」というような比較的狭い視野で自分の子育てだけを語る人の発信やツイートに「いいね」がつきやすい。「よくやりましたね!」とか「うちの子どももそんな風に育てたい」とか、そういう類のコメントをよく見る。

そして、面白いことにそのような発信をする人たちからは「子どもの周辺に働きかけた教育」みたいなものは語られにくい。つまり、「自分の子育てさえしていれば良い」というか「自分の子育てだけは成功させる」という視点が強く、正直なところ「あたたかさ」みたいなものを感じられない。

そしてそういう発言が増えてくると、保護者に緊張が走る。「失敗できない」とかいう気持ちが増して、ますますみんな「自分の子どものこと」にフォーカスする社会に変わっていく。その様子はまるで「子どもの品評会」だとさえ感じる。そんな方にはこれを読んでほしい。

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自分の子どもを愛することは自然なことだし、他人の子どもを自分の子どものようには愛せないことも事実であることが多いけれど、今日娘の学年の子どもたちを見ていて「この子たち(みんな)の健全な発達を願い、私が保護者として積極的に学校教育に関与することが、結果的に自分の愛する子どもが安心安全に生きられる社会を作ることにつながる」と強く感じた。

つまり、自分の子どもを愛しているなら、自分の子どもの周囲にいる友だちもクラスメイトも大切にしようよということ。そして、そうできるように市民として、保護者として積極的に関わろうよということ。自分の子どものことだけ考えて発信していちゃみんなに緊張感をもたらす訳で、結果的に視野が狭い。

…往々にして、健全な教育者はそれを理解しているから、その重要さ故に教育に携わるのだけれど、今日の引率で改めて気づいたことがある。

教育に関わることが「より良い教育」を作ると信じる人たち

今日の引率で気がついたのは、少なくとも娘の小学校では「より良い教育をつくるのは学校だけの役割ではない」と思っている保護者が多いということだった。そうじゃなかったら、娘のクラスのボランティアは毎度毎度そんなにすぐには埋まらない。そうしたい人(できる人)がたくさんいるいるということだ。それはいわゆる”大人の働き方”ともリンクする。

教育者じゃなくても、主体的に学校教育に関わることができるし、そうしたいと願っている保護者がそれなりにたくさんいるということが感じられた。そして、これは娘の小学校だけの話ではなく、オランダ全体でもまだそういう姿勢を残した学校が、保護者がいるというこだと感じる。

そんな大人たちの関わりを「当たり前」と感じられる社会に生きる子どもたちは、その一点に関してはきっと幸せだろうと思うし、孤独になりにくいだろうと思う。人生にはアップダウンがあって、色んなことが起きるけれど、孤独じゃないと感じられたら何とか生きていける。残念ながら若者の自殺率が過去最高に増えているけれど、その原因は「誰にも相談できない」とか「相談しても相手にされない」という”孤独感”からきているのも事実ではないだろうか。

だとしたら、学校とい場所はもっとオープンで良いし、オープンだからこそ起こり得るハプニングなんかに対してももっと許容できた方が良い。コンフリクトも増えるけれど、人生そんなもんだ。大事なのはコンフリクトが起きた時にどうやって折り合いをつけるか、平和的解決ができるか、そういった練習をどれだけしてきたかが重要なのだから。

普段から出来るだけ積極的に娘の学校の教育活動や保護者にできることには関わってきたけれど、これからもその姿勢を大事にしていこうと思う。これから年齢を重ねれば重ねるほど、子どもたちの問題は複雑になっていくと思うけれど、それでも周囲の大人がちゃんと子どもたちに関わっていけば、子どもたちは間違いを犯しながらも成長していくはず。

教育は学校だけのものではないからこそ、学校はオープンに、保護者は関わるという姿勢を大切に。
「社会は私たち市民の手で作られる」ということを忘れずに生きていきたいと思わせてくれた引率でした。

税所 裕香子

Yukako Saisho

  • 居住国 : ドイツ
  • 居住都市 : ザールランド
  • 居住年数 : 1年
  • 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
  • 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン

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