【オランダ/ハーグ】教室から退室を求められる子どもたち

こんにちは!先日、正式に現地校での雇用契約を結んでから始めて1人の授業を担当しました。これまでにもTAという立場でありながら、パートナーの体調不良などで1人で授業をすることは数回ありましたが、今回はちょっとだけ気持ちの部分で違いがありました。

6年生の成績がオランダ全土で上位5%に入る小学校

私が勤務する小学校は驚くことに(!)、小6の学業成績がオランダ全土の小学校の中で上位5%に入るそうです。「驚くことに」というのは、完全に私個人の感想というか、「へぇ〜この子たちが…」という思いを抱いているからなのですが(笑)

英語の授業だけを担当している私にとって、彼らがオランダ語で国語や算数をどのように学んでいるかの深くはわかりません。ただ、授業をしていても決して「素行ばっちり!」という感じではない児童生徒でも、結果は残せるものなんだな〜と、ちょっとだけ驚いています。

学校の規模は比較的小さく、1学年1クラスしかないので、いわゆる「学年の成績」=「1クラス」となる訳で、小規模な学校ほど小回りが効き、良い意味で結果に繋がりやすいというのはあると思います。

オランダでは「退出」は「体罰」にあたらない

授業をしていても、決して「穏やか」とは言えない児童生徒たち。そんな児童生徒の行き過ぎた行動に対して、オランダでは平然と教室からの退出を求めることがあります。つまり、児童生徒に教室から退出を求めることは体罰にあたらないということです。退出を求めるかどうか、どのタイミングで行うかは完全に教師に委ねられています。ただ、これまで複数の学校を視察して、そして授業に入ってみて感じるのは、児童生徒に退出を指示するボーダーラインは、おおよそ「しつこさが度を過ぎた場面」だと感じます。要するに「一発アウト!」みたいなことはほとんどないということです。

教師が全体に説明をしている時や、インストラクションを与えている時、つまり全員が視線を教師に向け、他者の学習環境を阻害しないよう気をつけなければいけない場面において、不必要な騒音を出したり、他者の学習権を剥奪するような行動を連続して行う場合に、教師は退出を求めることがあります。

「次同じことをしたら、退出してもらわなければいけない」

その「連続」は2回なのか…はたまた3回を指すのかは教師によって異なりますが、多くの教師は「次はない」というような警告を与えることが多いように思います。そして、そう言ったにも関わらず、自分自身を制することが出来ない場合、「約束した通り退出しなさい」と告げるのです。

何の予告もなしに、急に「出ていきなさい」と言われることが少ないのは、やはり児童生徒自身にも「(私は)限度を超えて良いのか?」という「一度立ち止まって考える機会」を与える必要性を教師自身が感じているからではないかと思います。

「私はすでに警告をした、そこから自分がどうするかは自分で決めなさい」そんなメッセージが込められているような気がします。

果たして「教室は戻りたい場所」か?

これまで色んな景色を見てきましたが、多くの場合、子どもたちは退出を命じられるとしょんぼりします。私にはその光景が不思議に映ってきました。

…というのも、そもそも退出を命じられて「(自分がしたことは)悪かった…みんなと同じ教室に戻りたい」と思えるのだな。と感じるからです。退出を命令された時「ラッキー!」と思わない児童生徒が多いことに「児童生徒が教室や授業にどのような感情を抱いているか」を知ることができるのです。

多くの場合、子どもたちは退出を求められた段階で自分に非があったのだと理解しています。そして、その制裁が「退出」というかたちで与えられたのだと悟るのです。

一方で、そこから「教室に戻りたい」「教室に戻らなければいけない」と児童生徒が思うとするならば、それはどうしてなのでしょうか?

廊下にひとり VS みんなと同じ教室

教室がそもそも窮屈なものであれば、教室で行われている学習活動が児童生徒にとってつまらないものであれば、きっとその子は「廊下にいること」に価値を感じるでしょう。制裁を与えられたとしても、むしろその機会を「与えられた自由」として楽しみます。

反対に、「クラスメイトと同じ教室に戻りたい」「教室は窮屈な場所ではない」と思えるのであれば、与えられた制裁を受け止め、「あの場所に帰りたいから、次からは行動を改めよう」と思うはずです。

つまり、何が言いたいかというと、私が見てきた景色の児童生徒はどちらかというと「みんなと同じ教室に戻りたい」と願っているように見えたということです。そしてそれは、彼らにとって教室は窮屈な場所ではないということだと思うのです。

入室を許可した後は

クールダウンを求められた後に再入室を許可された時、ほとんどの場合、そこで授業を止めるようなことはありません。ただ、教師によっては(忘れていなければ。笑)、授業終了後に生徒のところへ行き、行動に対してのフィードバックを与えているように見えます。

「何で今日は退出を求められたのかな?」
と聞けば、生徒は自分の考えを話し出します。

「次からはどうしたら良いと思う?」
と聞けば、再発防止策を自分の言葉で説明します。

こうやって、生徒は自分の行動を振り返り、次回からどのように行動すれば良いかという自分なりのこたえを導き出すのです。大きな発達段階にいる小学生の子どもたちの中には、何度もこれを繰り返す生徒もいます。しかし、教師はそれに根気よく付き合い、子どもがその子自身のスピードで成長していくのを見守るのです。

ここでは教師の根気強さが試されると同時に、児童生徒が「こんなことがあるなら廊下に出されたほうがマシだ」と思わないように配慮して指導する必要があるように見えます。そして、実際のところそれが上手い教師もいれば、支配的な雰囲気で子どもから「教室の居心地の良さ」を奪っていく教師もいるように見えます。

管理(監視)体質の教室は息苦しい

大人、子どもに関わらず、自分の自由を過度に管理されたり、監視されたりすることを生まれながらに望んでいる人間は少ないと思います。それはオランダの児童生徒にも顕著で、オランダの小学校の多くでは「与えら得た自由の中でどれだけ自分をコントロールできるか」が大きく問われるように見えます。

それはこの国で少量の大麻所持が非犯罪化されていることや、ことあることに子どもに「あなたはどうしたいの?」と聞くような教育的文化からもうかがえます。

丁寧に管理された教室や社会は効率が良く、とても整っているように見えます。教室を支配的に扱うことで、一見児童生徒が「よくできている」ように見えます。

その一方で、その支配をとっぱらった時、子どもたちの中に何が育ったかが見えてくるのかもしれません。「抑圧された」と感じている児童生徒はその支配から解き放たれた途端、凧の糸が切れたかのように飛んでいきます。「窮屈な場所からの解放」を自由だと捉え、教室から逃れて廊下にいることを自由だと感じる状態になるように見えます。

一方で、教室が窮屈ではないと感じていれば「教室に戻りたい」と思えるのでしょう。反省を次の行動改善に活かせるようになるのです。

オランダの小学校で児童生徒に教室からの退室を求めることは日本の教育からすると「学習権の剥奪」に見えるかもしれません。私も最初はそう感じました。しかし、それを行う前提として「児童生徒にとって教室はどのような場所であるか」という本質的なところが教師に問われるからこそ、教師はあえてそういった指導を行うことができるのだと見えてきました。

「菜央は菜央のバウンダリー(ボーダーライン)をきちんと子どもたちに示して良いのよ。教師と生徒はその関係以前に人間同士。お互いをリスペクトするために何が必要かが問われるところよね」

今後、私が生徒に退出を求めるかどうかはわかりません。でも、「戻りたい」と思える教室を作るのは「私たち」なのだと感じます。

この記事を書いたボーダレスライター に
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税所 裕香子

Yukako Saisho

  • 居住国 : ドイツ
  • 居住都市 : ザールランド
  • 居住年数 : 1年
  • 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
  • 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン

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