【オーストラリア】わたしはこんな人です
はじめまして。
オーストラリアの公立小学校についてレポートする高野優子と申します。
ライターの私がどんなバックグランドを持つのか、分かりやすいようにいきさつをなるべく詳しく書いてみます。
私は10歳と7歳の娘2人を育てるいわゆる「駐妻」です。
結婚前はドイツ語圏で仕事や留学をした経験があります。結婚後は駐在に付き添い、フランス、カザフスタン等転々として、8年前からオーストラリアの西海岸にあるパースというのどかな街に落ち着いています。
今は仕事でフェイシャルセラピスト・官足法セラピストをしています。コーチングを学んでおり、もうすぐプロコーチの資格を取得予定です。
オーストラリアに赴任してきたときは夫と1歳の娘の3人家族でした。次女が生まれ、学齢期に達した子供たちに憧れの眼差しを注ぎながら、プレイグループや公園に足を運んだ日々。英語しか通じないデイケアに子供を入れてドキドキしたこと、後ろめたさも感じたこと。公立幼稚園の始まり。日本語と英語の間で生きる子供たちを見守る毎日。こうして目の前のことに追われているうちに、二人とも就学年齢に達し、今は地域の公立小学校に毎日楽しく通っています。
複数の国に住んできたので海外生活には慣れているつもりでしたが、学校生活を通して経験する文化の違いは、人間形成の過程だけあって、職場を通して経験する文化の違い並みに!?もしくはそれよりも!?濃いと感じています。(学校の場合は、責任が生じず苛立ちもしないので余裕をもって眺めていられるのがいいところ。)
今後紹介していく記事は、こんな人間がかけている眼鏡の向こうに見える景色です。
広いオーストラリアの中の西海岸にある、のどかな街パースにある沢山の公立小学校のうち、たった一つの学校で、しかも上記のようなバックグランドをもった私から見える景色であることをまず初めに申し上げておきます。
私が通った日本の、神奈川県にある、「ふつうの」公立小学校は「こうしなさい」「こうすべき」「こうでなくてはならない」ルールが沢山あったように記憶しています。
それが「こうでもいいんだ」「そんなのもありなの?」へと、「どちらが正しいのではなく、どちらもありなのね」へと、場所が変われば許容範囲が変わり、これまでの「当たり前」が当たり前ではなくなっていく。そんな経験をお伝えすることが、読者の皆さんに何らかのヒントととなれば、とても嬉しいです。
この記事を書いたボーダレスライター に
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高野 優子
Yuko Takano
- 居住国 : オーストラリア
- 居住都市 : パース
- 居住年数 : 8年
- 子ども年齢 : 9歳、6歳
- 教育環境 : 現地公立小学校