【オランダ】個人面談・ニューカマークラス 長女編ー多様性を生きること
夏休みが開けて早くも3週間が過ぎました、こんにちは、アムステルダムの有川です。
本当にあっという間に日々が過ぎていきます…
今回は、夏休み前後にあったこちらでの個人面談の体験記を書きたいと思います!まずはニューカマークラス に通う長女編です。
■個人面談の内容
遡ること夏休み前。初めての長女の通知表を受けて、先生とのビデオ通話面談がありました。所用時間15分程。
まずは、コロナクライシスもあり想定していたレッスンを完了できていないため、そして追加の予算が付与されたため、あと丸1年ニューカマークラスに所属することができるが、それに賛成するかどうかの確認。
もちろん賛成しますと答えました。
姉妹別の学校は、送迎もさることながらスケジュールやシステムの違いもあって親としては正直大変です。
でも、準備が不十分な状態で現地校に合流するよりは、あと1年オランダ語を集中的にそして構造的に勉強できることはかえってラッキー。そう前向きに考えることにしようと思います!
続いて先生からお話があったのは、長女が限界を示さないことについて。
どうやら色々なお友達が長女の髪の毛を触ったり手を繋いだりするなど、彼女は随分とかまわれているらしい。
日本人が珍しく、身体もひときわ小さいので、他の生徒たちはたくさんお世話してくれているんだと思います。
それらの全てを嫌がることなく受け入れている状態を先生は心配されていました。
「お友達の絡みがイヤな時はイヤだと言っていいんだということをもっと長女に積極的に伝えていこうかと思っていますが、日本のカルチャーとしてそれはどうですか?どう思いますか?オランダ人はとにかくやめてほしいことはやめてとハッキリ言うんだけど、時にそれは too muchで困るのよねハハハ!!!」
と先生。
オランダ移住を主体的に選択したのは私たちであるのだから、当たり前にこちらがオランダに合わせるものだと、私はどこか肩に力が入っていました。
しかし。
オランダ流に指導することを長女はストレスと感じないか、そして保護者はそれをどう感じるか。
先生が日本人家族である我々に対してそのような文化的な配慮をしてくれていること、娘の背景を尊重しながら共に考えようとしてくれていること、驚きと感謝と共に、”多様性を生きること”の本質を垣間見た気がしました。
さて当の長女に聞くと、やはりイヤだと言いたいシチュエーションもあるようなので、オランダ語で意思表示ができるように導いてもらいたい旨をその場でお伝えしました。
他者にイヤだと伝える、私もすごく苦手です。日本人は概して得意ではないですよね。不思議と夫にだけは強めにノーと言える妻なんですけどねぇ…笑
そして今週、新学期最初の面談がありました。やはりビデオ通話15分。
今回は、セカンドロックダウンがいつ起こるか分からないのでもう一度オンライン環境などの確認をしたいというのがメインの要件でした。コロナ、なかなか落ち着きません…。
そして最近の娘の様子について。
どうやら、少しずつノーが言えるようになってきているとのこと!
人間いきなり性質を変えられるわけもないし、そもそもオランダ語で十全に伝えることができない状況で気持ちを表明するなんて本当に難しいと思いますが、彼女なりに意志表示する努力をしている様子。
ムスメ、けなげに頑張っております!
■多様性を生きる
私たちは現在アムステルダムの外れ、概してアフリカ系移民の多い地区に住んでいますが、日本人はこの辺りに住むことをあまり選択しないのではないか…そんなエリアです。
長女は外国人クラスに所属しているのもあって、過半数がアフリカ、他にも南米や東南アジア、南アジアなどなど、色々な国からの子どもたちが1つの教室に集まっています。
次女の所属している現地校にはもちろんオランダ人はいますが、その数以上に他国を背景にもつ子どもだちのほうが多いように思います。
私は、今後もずっと子どもたちをオランダで育てていくならば、もっとオランダ人のたくさんいる環境で教育を考えた方がいいのではないかと迷うこともありました。
しかし、夫の考えは明確。
娘たちがオランダで自立できるようにすることはもちろん大事。でもそれと同時に、もしくはそれ以上に、どこにいても誰といても共に生きていくことができる人になってほしい。
何度も夫婦で話し合った結果、私もやっと夫の言っている意味を理解し、今は同じ結論にいたっています。
私たちはそれぞれのバックグラウンドを持ち寄りながらここにいること。
それはとても大事であり強みでもあること。
それを互いに尊重しあい協働していくことはたくさんのエネルギーを生み出しうること。
異質なことを必要以上に恐れて生きてしまった国際感覚皆無の私が海外に移住し、多様性の只中で、そしてマイノリティの当事者として、そんなことを多少肌で感じることができるようになってきました。
これからの多文化共生型社会を担う子どもたちがすでに見始めている風景を、せめて母は想像力を働かせてなんとか理解していこう、今はそんな最中です…。