【オランダ】目と目が合えば微笑むだけで
コロナウイルスのおかげで、オランダで過ごす生活の中にも「人との距離」が必要になりました。
今の日本にいる訳ではないので、日本の日常生活の中で人々がどういった距離感で過ごしているのかはわからないのですが、私が去年オランダに来た時からこのコロナの一件があるまで、オランダで暮らす人同士の距離は非常に近かったと思います。
オランダで過ごす人たちの間で、
「近しい知り合い」や「近しい友達」は挨拶する時、頬にキスをします。
片頬1回→反対の頬1回→1回目の頬にもう1回
という感じで、合計2〜3回のキスを頬にするのです。
挨拶において、身体的な接触がほとんどない日本人としては、このタイミングを掴むことに最初は苦労するのではないでしょうか。笑
オランダで暮らす人たちと人間関係が出来てきた頃に、出会い頭に立っていると、
「ほら、菜央!Dutch way(オランダ人のやり方)を忘れてる!笑」
と、からかわれたことが何度もありました。
別れ際にもキスやハグをして別れることが多いオランダに暮らす人々。
そんな彼らにとって「身体的な接触」が許されなくなってからの日々は、
きっと物寂しい日々だったに違いありません。
コロナに対応するために、新しい方法として肘を突き合わせて挨拶をしても、
きっとこれまでの挨拶に勝るものではなかったと思います。
身体的な接触、いわゆるスキンシップは心にとって、とても大切なものだ。
と、オランダで暮らす人々の表情を見て感じてきました。
コロナ前からオランダで暮らしていた身とすれば、彼らのそういった日常を見なくなったことも寂しければ、自分とオランダで暮らす人々の間からそういった関わりがなくなってしまったことが寂しくもあります。
知らない人同士の距離が開き、彼らが見知らぬ人同士で楽しく冗談を言い合う様子も減りました。
私が過敏に反応しているだけかもしれませんが、ピーク時に外へ出かけた時は自分の容姿をジロジロと見られ、
「このアジア人に接近しても大丈夫だろうか?」
というような目で見られていると感じたことが何度もあります。
それは一種のトラウマのように、未だに自分の中に薄い1枚のレイヤーとして残っている。
今でもあからさまに距離をとられた時や、ジロっと見つめられた時には、そういった苦い思いを感じずにはいられません。
「私がアジア人だから警戒されているのだろうか?」と。
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さて、しかし、そんな日常の中で、私が意識して行うようになったことがあります。
それは「自分から微笑む」ということ。
私は大学時代、アメリカに約1年留学していました。
留学先はアメリカのアイオワ州でした。
オランダで数名のアメリカ人に出会った時、「どこに留学していたの?」
と聞かれたことがあります。
「アイオワだよ」
と答えれば、
「なんで?笑」
と聞かれるのがアイオワ州です。
つまり、アイオワ州は「何もないところ」です。
別に地方を馬鹿にしている訳ではありません。
ただ、本当に何もないところなのです。
牛とコーン畑が広がっている。
スーパーには車で20分かけて行かなければいけない。
「徒歩で食糧の買い出し?無理無理、誰かに車頼みなさいよ」
これがアイオワの当たり前でした。
夏は30度を超え、冬は-30度にもなる、それがアイオワです。
しかし、こぢんまりとしたその州での魅力はたくさんありました。
それは、
「目と目が合えば微笑む」
「目と目が合えば挨拶をする」
そういった習慣がその土地に根付いていたことです。
あえて言うならば、
「目が合っているのに、何も言わない方が変な感じ」
という雰囲気です。
そして、私は当時、その土地の雰囲気にたくさんの安心をもらいました。
オランダで暮らしながら、私は時々その時のことを思い出します。
大学生の私に対して「先に微笑んでくれた人たち」のことです。
少なくとも、私の留学生活において「アイオワの人たちの微笑む習慣」は、
私の心の緊張を解してくれていたと思うのです。
だから、こんな状況下でも、
私がアジア人の容姿をしていても、
「先に微笑む」
これを率先してやっています。
そして、不自然でなければ、オランダ語で挨拶をする。
近所で通りすがりのお年寄りには積極的にするようにしています。
自分が率先してオランダ語で挨拶をすると、最初は難しい顔をしながら向かってきたお年寄りも、挨拶の一言にフワっと緊張が解けた表情を見せる時があるのです。
そんな時は「勇気を出してよかったな」と思います。
そして「また次も挨拶してみよう」と思えるのです。
日本で教員として働いていた時、学生が挨拶をしない場合、
「何で挨拶をしないんだ」と叱る人たちがいました。
しかし、今ここで、この状況の中で私が挨拶に感じるのは、
「相手と自分の間に、いい雰囲気を作りたい」
と思った時に、
「挨拶をしたい」
という気持ちが生まれる。ということです。
挨拶は誰かに強制されるものでも、
誰かにしなければいけないものでもなく、
「良い雰囲気を作りたいと思えば、自然としたいと思えるもの」
だと感じています。
「目と目が合えば微笑むだけで」
まずは、目を見て微笑むところから。
こんな状況だけど、いや、こんな状況だからこそ。
明日も歩道ですれ違う、出来るだけ多くの人たちに向かって、
オランダ語で挨拶をしてみよう。と思うのでした