【オランダ】オンライン授業とは、日本の教室そのものだった
月曜日から日曜日まで、家にいる毎日。
さすがにずっと家にいると、空気の滞留もあって息が詰まります。
よって、出来るだけ1日1回は外に出ています。
朝方の人通りが少ない時間帯を狙ったり、子どもが少ない公園を狙ったり。
この国ではビタミンDを生成することもまた、健康な身体作りのためであり、自分と人の命を守るために必要なことなのかもしれない…と思っています。
日本では”自粛警察”と呼ばれるような、あらゆる場面や場所で自粛を求める張り紙や発言をする人がいるようですが、オランダではそういう人たちを見かけません。人に関心がないからかもしれませんが。笑
日々、食材の買い出しのためにスーパーへ行くのは私の役割ですが、店の前はこんな感じ。
みんなが1.5mを維持するために、店の外の地面にはテープが貼られています。(あまりよく見えませんが)
このテープの上に立って待てば、自動的に前後1.5mが維持できるという仕組みのようです。
店内も店舗の敷地面積に応じて、一度に収容できる顧客数が決まっているため、どんどん人が入ることはできません。
また、買い物客は他の客との間隔を維持するために、一人一つ大型カートを利用するよう決まっています。2人で買い物に行ったとしても、一人一つの大型カートの使用を求められます。
そして最終的には、カート返却と同時に手元の持ち手部分がアルコール消毒され、次の顧客に渡される。という仕組みが徹底されています。
再来週から小学校が再開するオランダ。
街はどんな風に変化していくのでしょうか。
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さて、娘のクラスでは週に2回、担任と他の生徒と15分ほど話をする時間が設けられていますが、4歳の子どもたちにとっては慣れていないオンライン授業(?)なので、それはもうカオスです。笑
担任が質問を投げ掛ければ、20名ほどいる生徒のほとんどが反応するため、一体誰が何を喋っているのかが分かりません。もちろん他の子が喋っている時、静かに待てない生徒も多数います。笑
よって、担任はピンポイントに生徒を指名して回答を求めるようになります。
(その間、他の生徒は先生によってミュートにされるという。笑)
そして、20分の1の生徒が話をしている時、もちろん19人の生徒は暇になります。
自分の喋る順番が20番目だとすれば、19人分の”待ち時間”が生まれます。
教室とは違って、オンライン授業で待っている時、異質な”待ち時間”が生まれているような気がします。
そして、その時間とは4歳にとって苦痛でしかない雰囲気です。
彼らの様子を見ていると、オンライン授業の意味がある年齢というのはとても限られているような気がしました。そして、オンライン授業の限界も見えてきました。
クラスメイトと担任が一対一で話す時間が長くなった時、最初の方はよく聞いていた娘も、自分の番が後回しになっていくと、明らかにつまらなさそうな顔をしています。
…そんな様子を見ていると、オンライン授業とは日本の授業そのものだな。と思いました。
もちろん、日本で行われている”全ての授業”に対してそう思う訳ではありません。
ただ、一般的な「教師の講義を一方的に聞き、回答する順番が座席順で回ってくる」…そういったタイプの授業というのは、オンライン授業と同じだと思えたのです。
ひたすらに待ち時間が長く、「次は自分の番か?」と思いながら、会話についていこうとします。しかし、人間の集中力などそんなに長くは続きません。
「自分の番が回ってくるかも」と最初はドキドキしていても、その待ち時間が長くなれば、気を抜き、そうやって気を抜いている時にこそ自分が指名される。笑
待つことがいつも悪い訳ではありません。
しかし、先が見えないものに対してひたすらに待つことは苦痛です。
先が見えなくても人が待てる時というのは、それ相当の興味がある時だと思うのです。
そう考えると、興味がなかなか持てないものに対して待ち続ける50分があるとしたら、もうそれは苦行でしかないだろうな…と思いました。苦笑
繰り返しになりますが、待つことにも、人のやり取りを聞くことにも意味はあります。
でも、そこだけに価値を見出しすぎた結果、教師は「興味を引きつける」という役割まで、「待つ」という行為に入れてしまったのではないか。そんな風に思いました。
生徒側に立ってみれば、彼らの「待つ」という行為には限度があり、50分×6限の生活を繰り返す生徒にとっての「待ち」とは果てしなく長い時間だと思うのです。
「興味を引きつける」という役割を捨て「待つこと」に全てを集約してしまった教育。そして、それに追い討ちをかけた教師の多忙化。
そうやって、授業はどんどん受動的なものに変化していったような気がしています。
人は好きな人となら何時間も電話で話をできることがあります。
でもそれは、相手と一対一で話さなければいけない場面だから。
そして、話さなければいけないという状況が、「話をすると楽しい」という心の変化に繋がるから。
そういった状況が作り出されなければ、例えオンラインで繋がっていたとしても楽しさや興味は生み出されないと思いました。
娘のオンライン授業を見ながら、教科に対する興味意識が高い生徒にとってオンライン授業とは、とても効率がよく、自分の学習意欲を効果的に埋められるものだろうな。と思いました。
また、教科に対しての興味を持たせることが上手な教師の元で授業を受ける生徒にとってもまた、オンライン授業は有意義なものになると思います。
しかし、実際に同じ教室の中で授業をすることよりも、オンラインで授業をすることの方が、より難しいことは確かだと思います。
よって、日本で講義型の授業をしている教師がオンライン授業にそのまま移行すれば、生徒の興味関心は教室の時よりも明らかに下がるだろうなぁ。と思うのです。
日本は教育におけるオンライン化が遅れていますが、私は今の教育活動が見直されない以上、オンライン化をしたとしても教育の質をより大きく下げるだけなのではないか。と感じるようになってきました。
やはり、当然のことかもしれませんが、日本の教育に必要なのは、コンテンツの見直しであって、ハード面の強化ではない。ということが、今回のオンライン授業を観察してより鮮明にわかりました。
しかし、WiFiくらいは全国の小中高等学校にあっても良いとは思うなぁ。
不安な日々を過ごしている日本の教育現場、子どもたちやその保護者のため、力になりたいと思う日々です。