【オランダ】“保護者の配慮不足”と”親子関係の亀裂”

突然ですが、私は高校を2年生の夏に中退しています。
その後「高校卒業程度認定資格(大検)」を取得し、高校3年生にあたる冬、大学に合格しました。

オランダに来てから、私は周囲の保護者と子どもの「親子関係」をとても注意して観察しています。比較的自立を促すのが上手いこの国で、保護者は子どもに対してどういった態度や声かけを行っているのか。オランダで子育てをする身として、彼らから多くを学ばせてもらっています。

家族が空中分解しそうだった高2の夏

話を戻すと、私の家族は私が高校を中退するか否かの時に一度、空中分解しかけました。その発端は紛れもなく私にありました。

遡ると長くなるので割愛しますが、私は当時、軽度の鬱状態で、自殺願望がありました。ポケットには常に小さなカッターナイフを忍ばせていて、学校に行かなければいけない自分と、学校に行きたくない自分との狭間で壊れそうになっていました。

私が学校に“行かなければいけない”と思っていたのは、自分の“行かない”という選択が家族を悩ませていたからです。しかし本心の“行きたくない”という気持ちに嘘はつけません。事実、私は当時学校に行くとスクールバス内でストレスから過呼吸になり、何度も担架で保健室へ運ばれたり、時に意識を失って救急車で病院へ運ばれることもありました。父が電鉄会社の運転士だったことから「電車に飛び込んで死ぬのだけはやめておこう」と強く決めていたことは覚えています。

“高校中退なんてあり得ない”という価値観の親の元で

学校に行けない日が続き、1ヶ月〜2ヶ月程度学校を休んでいました。家にいても私は縁側に座り、1日中外を眺めているだけの日々が続きました。当時は全く笑うこともなく、その日々を無表情で過ごしていました。

両親から「いつか学校に行けるようになる」と言われることも、
「ゆっくりしてて良いんやで」と言われることも、
家族がかけてくれる全ての言葉に傷ついていました。自分を想ってくれている…それが十分すぎるほど負担なのです。自分が家族にとって、学校にとって”お荷物”になっている。自分さえいなければ…といつも思っていました。

ただ、学校を休み出した当初から、両親の考えはどこかで決まっていて、
「何とか学校を続けられるようにどうするか」
という考えが枕詞のように付随していました。それが言葉の節々に表れているのが読み取れたのです。要するに、”最終的に高校中退はできないよ”と言われている気がしていました。

「知恵をつけて、親を説得しなさい」という言葉

結論からいくと、最後には両親も高校を中途退学することを認めてくれたのですが、私に“両親を説得する”という気づきをくれたのは、現代文の先生でした。

「手に入れたい自由があるなら、自分で知恵をつけて親くらい説得しなさい」
「遠回りした人にしか見えない景色がある。そのために腹を括りなさい」

その先生が教えてくれたのは、まさに「自由と責任」でした。

私が得たい自由を両親は理解してくれないのであれば、理解してもらえるような人間へと成長しなければいけないこと。そして、自由を手に入れることが出来たら、その対価として責任を果たすことを忘れるな。ということです。
そして、私は自分の望む<自由>を勝ち取るために、情報収集を始めたのでした。

涙を流し、訴え続けた先に得た「高校中退」

「また前と同じような高校生活に戻って欲しい」
両親がそう望んでいることを知りつつ、私は情報収集し続けました。
そして、どうやら「高校卒業程度認定資格」を取得すれば、この状況から脱することができる…という結論にいきついたのでした。

「やっぱり高校を辞めたい」
涙しながら話しをする私を見て、母親も涙を流していました。
「どこで子育てを間違ってしまったのか」
そんな悲しい言葉も浴びせられました。

そして「高校を辞める」という自由を両親が与えてくれる代わりに提案した「私の負うべき責任」は、

・現役で大学に合格すること
・大学で長期留学に行き、英語を話せる人間になること

でした。

小学校から通わせてくれていた英語塾(私自身、当時も英語が好きでした)の成果を実らせたいと思うようになっていました。

“腹を割って話す”という健全な親子関係のために

前置きが長くなりましたが、最終的に両親が認めてくれた時、もちろんそこに2つの約束があったので、私はプレッシャーに押しつぶされそうになっていたことも事実です。
しかし、泣きながら両親と話し合ったあの日の経験が、未だにずっと私の人生を支えてくれています。

悲しい言葉を浴びせられた後、遂に私の要求をのんでくれた訳ですが、
その時に、
「あんたのことを誰よりも信じてる」
と言ってくれたあの言葉が今も私の人生を支えているのです。

そして、高校中退後私が道を外れそうになった時や、
資格取得と受験勉強のプレッシャーに打ちひしがれていた時にも、
両親は「信じている」と伝え続けてくれていました。

私が大学をフリーターで卒業すると告げた時も、
「あんたは決めたらやる子やから。信じてるよ」
ただ一言そう言ってくれたのです。

もし、私の中退を許さず、信じていると言ってくれていなかったら

家族が空中分解しそうになったあの悪夢のような夏。
母親が洗濯機の前でバレないように泣いているのに気づいてしまった夏。
父親と母親が自分のことで口論しているのを聞いてしまった夏。
姉が私の肩を抱きしめて話を聞いてくれた夏。

家族が壊れそうになったあの夏を思い出すと、今でも胸が苦しくなります。
私(たち家族)にとって、あの夏は悪夢です。

でももしあの時、涙を流しながらお互いの意見をぶつけず、激しい口論もせずやり過ごし、両親が中退を許さず私が高校生活に戻り、両親から「信じている」という一言を聞けなかったら。

私は今でもずっと家族のことを恨みながら生きていると思います。

自分が本音を話し、一歩踏み出せなかった勇気と、
両親があまりにも私の人生に対して当事者意識を持たなかったこと、
私が本当に抱いている気持ちを理解してくれなかったこと。

それら全てを後悔として背負い、自分と家族を恨んで生きていたように思うのです。

“当事者意識”を忘れず、子育てをしていますか?

オランダで暮らし、周囲の保護者の子どもとの関わり方を見ていると、果たして自分は自分の子どもの抱く感情を”当事者意識”として認識しているだろうか。と立ち止まることが多くなりました。

子どもが悩んでいる時や、どこか暗い時、
「大丈夫、大丈夫!」とむやみに明るく声をかけたり、
「そんなことよくあることよ!」と心に寄り添わず大衆目線で流したり、
「いちいちくよくよしない!」と本人の悩みに蓋をしたり。

結局、他の誰が理解してくれるよりも、自分の親が自分を理解してくれている以上のものはない。私は親からの言葉を受け取り、そう感じました。
もちろん、現代文の先生の言葉は人生におけるターニングポイントにはなりましたが、彼女が見守ってくれていることよりも、自分の両親が、家族が見守ってくれている、寄り添ってくれているという安心感がとてつもなく大きかったように思います。

結局、自分が教えた高校生も同じだった

その後教師になった私ですが、結局のところ、保護者が生徒の悩みに当事者意識を持って寄り添っているかどうかで、親子関係がある程度決定してしまうというところは同じだということがわかりました。

大切な岐路に立たされた時、親子がぶつかる場面はいくらでもあります。
そうでなくても、思春期の子どもと保護者の間には、小さく数多い問題がたくさん発生してしまうものです。

ただ、その都度ぶつかり合い、時に涙を流し、心から対話を続けている子どもたちの親子関係は、子どもたちから保護者の話を聞くと大体わかります。
そして、その親子が話をしている様子を見れば何となくわかります。

きちんと腹を割り、大小に関わらず一緒に問題を乗り越えてきた親子には、安定感のようなものが見えます。きっとそれが「絆」なのでしょう。

一方で、子どもの闇や悩みに対して「大したことはない」や「出来るだけ自分で何とかしなさい」などと声をかけたり、正論を突きつける、というような姿勢を見せる保護者の子どもたちは、基本的にどこか保護者を信じていなかったように思います。
「結局、こう言われるんで」と、保護者に対する信頼が薄く、諦める言葉が先に出るように感じられました。

本音で語れる親子関係に

主語が大きすぎるかもしれませんが、日本人の保護者は子どもとの対話において「子どもに対する言葉がけ」を知らず知らずのうちに使い分けてしまっているような気がします。つまり、心の底から何かを伝えるというよりは、「親として適切な対応をする」ということに縛られているような気がするのです。

しかし、私はオランダ人の保護者と話をして、彼らが誰に対してもフラットに話をすることに驚かされてきました。
そこに、保護者としての自分や、配偶者としての自分、家族以外の人に対する自分の使い分けがなく、もちろん、子どもに対しても「1人の人間」として接しているということが多いと感じるのです。そしてそれを最も敏感に感じとるのが子どもなのではないか。と思っています。

もちろんオランダ人全員がそういった特徴を持っている訳ではありません。
また、常に子どもに対して本音で話すことが善ではないことは承知しています。
ただ、私は周囲のオランダ人保護者から彼らの生き方と、子どもへの関わり方について多くを学ばせてもらっているような気がしています。

小さな衝突を何度も繰り返して

周囲のオランダ人親子を見ていると、時に場所も憚らずぶつかっている場面も目にします。保護者同士で話していても、途中でことが起きれば、
「ちょっとごめんね」と席を外して、子どもと隅の方できちんと話し合う場面に何度も遭遇してきました。

その都度、私は彼らが小さな衝突をきちんと処理していることに感心しています。「まぁ、今は良いか」と適当な対応をするのではなく、出来るだけそこできちんと子どもの心に寄り添おうとしている姿勢に感銘を受けることがあるのです。

話し合うことをやめない。
対話することをやめない。

私がこの国で子育てをする上で忘れないようにしていることは、全て周囲のオランダ人たちが教えてくれたように思っています。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : バーグ
  • 居住年数 : 1年
  • 子ども年齢 : 4歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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