【オランダ】かつて私が授業の一部をYoutube配信にした話(3)

…さて、最終回です。笑

Youtubeで授業の一部(文法解説)を動画配信して、肝心な授業は何してたの?
という疑問が出るのは当然のことかと思います。

そもそも、私が文法解説の部分をYoutube配信にした大きな理由は、
「クラス40人が集まった時は、40人集まった時にしか出来ないことをやろうぜ!」
という考えがあったからでした。

せっかく40人集まったのに、1人でできることをやっても意味がない。
では、文法解説は1人の時間にやるとして。
40人集まったら、40人で授業を楽しもうぜ!と思ったのでした。

で、授業で主にしていたことは、”対話”です。
実は、最近の高校生の間ではクラスLINEでクラス全員が繋がっているにも関わらず、1年間、面と向かって会話することなく過ごす…というようなことが起きています。(驚愕)

もちろん、生徒にとってクラスLINEは「明日は◯◯の提出日だよ~」という風に、掲示板的な役割を持っている…というのが実情ではあるのですが、休み時間になると各々がスマホの画面とにらめっこする…というような”スマホとの関わり方”が当たり前の彼らにとって、「クラスに喋ったことのない人が数名いる」は当たり前なのです。

私はそういったコミュニケーションの流れのないクラスにこそ、自分の授業を通して交流して欲しい。と思っていました。
社会に出れば、”どんな人かわからない”とか、”合わないな”と思う人ともどうにか折り合いをつけて仕事をしなければいけないこともあります。
そういった“よく知らない人”とどうやって共通項を見つけて協働するのか。これは、ずば抜けた才能がある人、つまり協同を必要としない職種に就いている人以外は避けて通れない道です。

…ということで、私の授業ではそういったスキルを身につけるためにもグループやペアで話し合う時間がメインでした。
もちろん一人で黙々と学ぶ時間もあったりするのですが、基本的には誰かと協同しなければいけません。

ちなみに、高校3年生を多く教える中でわかったのは、彼らに必要なのは”いかに社会問題に対して当事者意識を持っているか”という姿勢だと感じています。

入試問題の題材(英語の長文や国語の読解問題)は時事ネタも多く、普段からニュースを読んでいたり、社会問題を意識的に吸収している生徒にとっては、
「あ、この話題知ってる~」という感じで読解に入りやすくなります。
しかし、そういった習慣がない生徒にとっては問題を読む以前にバックグラウンド、つまり予備知識がないため、読解のハードルが上がります。そして、それはもちろん読むスピードに影響します。

よって、私の授業では生徒が社会問題をより”自分ごと”として考えるための時間を作りました。

まずは40人クラスを8グループにわけます。そうすると1グループ5名になります。
例えば9/10がAグループの担当だとしたら、Aグループの生徒はそれぞれクラスメイトと話し合いたいニュースをピックアップしてきます。
ニュース記事をそのまま読んでも構いませんが、クラスメイトから質問がくることや、自分の考察を伝えることを前提としているので、きちんとニュース記事を読み込んでこなければいけません。
Aグループの5人はそれぞれバラバラになり、8名のクラスメイトの前で話をするリーダーになります。そして、自分がスピーカーとしてニュースを紹介し、8名のクラスメイトに意見を求めるのです。

この議論に答えはありません。意見も様々で良いし、スピーカーは自分の意見を押し付ける必要もありません。色んな人がいて、色んな考察がある。世の中には自分が知らないようなニュースがある。それに興味を持つ人がいる、与えられたニュースについて、その時は自分なりに考えてみる。人の意見に賛同することもあれば、しないこともある。でも、みんな色々な意見を持ちながら一緒に生きている。
ニュースに触れ、人と話をする。そういった場が高校生には必要なのです。

このグループでの話し合いは15分程度とっていました。議論が白熱するところもあれば、スピーカーをうまく補助しながら話がゆっくりと進んでいくところもあります。

そして、最後には私が独自でピックアップしたニュースを全体と共有して意見を聞き、議論し、社会問題に開眼する時間を作りました。

ちなみに、この時の座席は机を全部後ろに下げ、みんな椅子だけを前に持ってきた状態です。よって、全体がリラックスしています。生徒たちは毎日同じ色の景色に飽きているのです。
机を動かして、場所を変えて、日常に変化を加えなければ、脳はリラックスしません。

また、数週間かけてグループでプレゼンを作るということもしました。
教科書の題材から少し派生した内容のトピックを用意して、4~5人のグループでプレゼンを作る→全員の前で発表、という感じです。
生徒たちはGoogleスライドを利用し、授業中にスマホを取り出して、学校のWiFiにアクセスし、写真をDLしたり、貼り付けたり…という作業をします。私は相談役として教室にいて、プレゼン作りのヒントを与えるだけ。
Googleスライドでは、クラウド上に保存されているスライドには複数名が同時編集者としてアクセスできます。要するに、プレゼンにみんなで同時にアクセスして、同時に編集していくことができるのです。

私がこういった授業をした目的は、世の中にある便利な機能を授業で使うことで、高校を卒業するまでに自分の中の“使えるスキル”を増やしておいて欲しいと思ったからです。

実は前にも書きましたが、大学はICTの基本的能力くらいは高校で身につけてきておくれよ…と感じています。大学はワードやエクセル、パワポの使い方を教えるところではないのです。学問を学ぶ上で必要なICTの基礎的なスキルは、本来高校卒業までに習得しておくべきだと思っています。

「これすげー!!!」と言いながらプレゼンを作る彼らですが、さすがスマホネイティブだけあって、一度教えたら慣れるのも早く…
画像の貼り付けなどは説明しなくても出来ます。アニメーションをつけるのも私の説明などいらないのでした。

私は、彼ら自身が生まれた時代の特性を理解して、その能力をきちんと発揮できる人材になって欲しいと思っています。彼らには能力がないのではなく、ICTについて知る機会が教育活動の中で与えられていないだけなのです。

iPhoneに説明書がない時代に育った彼らには、私たちが若い頃に習得したものとは違う能力があるはずです。それを存分に活かせるための授業作りを教師側がしなければいけないと思うのです。

プレゼンに関しては、驚くほど素晴らしいスライドと発表をした班がいくつもありました。私が受け持った授業の生徒はこうして、全員プレゼンを経験したのでした。

「大学行ったら、プレゼン作るの楽になりそう」
多くの生徒がそう言っていました。
スタートダッシュが人よりも早くきれるかどうかは、時に自信へと繋がります。
そしてその自信が、学びの質に影響すると思うのです。

「スライドに載せる写真は小さすぎたら見えへんよ」
「文字の大きさは◯pt以上じゃないと後ろの人には見えにくい」
「1枚のスライドに情報は◯個まで、そうじゃないと混乱するよ」
「1枚のスライドに留まる時間は短くしないと、聞いてる人も飽きてしまう」
「留まる時間が短くなると、スライドの枚数が増えるからテンポよく」
「意外と背景は黒の方が見やすいかも」
「アニメーションの多用は要注意、逆に見辛いプレゼンになる」
「紙には文章を書くんじゃなくて要点を書く」
「移動しながら話すのもよし」
「時には客席に質問を投げて場を和ませることもできる」
「ジェスチャー自体が大切なのではなく、感情が乗っかって身体が動き出す方が重要」
「大切なのは情報量よりも、プレゼンにかけた熱量が伝わること」

もちろん内容も大切なのですが、こういったこともテクニックとして大切です。
そして何より「熱い気持ちを持って人に伝える」ということの大切さです。自分が時間をかけて作り上げたものには熱が帯びます。熱を帯びた作品は多くの人に聞いて、見て欲しい。

「こんなに良いプレゼン作ったから、聞いておくれよ!!!!!!」
スライドに愛が生まれると「聞いて欲しい」となります。
そうすると、「伝わりやすくないと聞いてくれない!」と洗練させるようになる。

人前で話すことに慣れていない彼らに、人前で話すことに慣れる訓練をするのではなく、熱を帯びたプレゼンを作ることで「知って欲しい!!」という気持ちを育てる。
すると、自然に話す内容も、声の大きさも変化してくるのでした。

大切なのは形式ではなく”気持ち”。
この経験を通して多くを学んでくれていたら嬉しいな、と思います。

…ということで、Youtubeで授業の一部を配信することで、クラスは交流がメインになり、単語の発音や音読、教科書の背景知識にも力を入れることが出来ました。

“1人でできる勉強はYoutubeで、みんなで集まった時には対話を通した授業を“
結果的にこのアイデアは効果的だったと感じています。

…こうして、教師生活最後の1年間はYoutuberデビューすることで、1番特異な授業を展開した1年となったのでした。

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