【オランダ】人生がやり直せる社会に生きる学生たち

先日、ロッテルダムの大学から学生が3名がうちに遊びに来てくれました。

…というのも、実は2~3週間ほど前に、彼らが在籍する学校へボランティアとして授業に参加させてもらったのです。
そこはロッテルダムにある大学で、アジアビジネスについて学べる学校です。

当日の私の役割は、主に「“日本語話者”として彼らに話をすること」でした。
授業担当の教員は日本人の方なのですが、これまで教員以外で“実際に日本語を話す人”と接点がなかったという学生たちに、日本語で話をする。というのが主な目的でした。

「日本人が話す日本語をどれくらい理解できるのか?」
「予め用意した自分たちの日本語の質問がどれくらい通じるのか?」
「実際に日本に住んでいた人はどんなことを話すのか?」
などなど、トライしてみたい。とのことでした。

とにかく「好きなことを喋ってくれたらいいです」と言われ。
自己紹介から、私のバックグラウンド、何故オランダに移住したのか…などなど。
様々な話をしたのちに、グループに分かれ彼らが準備してきた日本語の質問を受けました。
とは言っても、なかなか会話としての日本語を理解してもらうのは難しく、かなりの割合で英語を交えて説明をしました。

彼らは2020年の3月頃にオランダを出発し、半年~1年かけて日本の大学に留学するそうです。
関東地方~関西地方まで、本当に様々な留学先(大学)に分かれていくそうです。
その後は日本の企業でインターン先を見つけて参加し、インターン終了後帰国をする。という風な話をしてくれました。

とにかく、その日の授業は無事(?)終えることが出来たのですが、
私としてはオランダの教育を受けてきた彼らに色々聞きたいことがありました。
ということで、その生徒たちの中から快く私のインタビューを引き受けてくれた3名の生徒さんたちに家に来てもらい、4時間ほど話を聞かせてもらったのでした。

先に触れておくと、彼らは”university”に通う大学生ではありません。
オランダの教育システムは日本とはかなり異なるため、少しややこしいのですが、小学校を卒業すると3パターンの学校が用意されます。
また、これらの学校は基本的に”中高一貫校”と考えても良いとされています。

オランダ人にその説明を求めると、大体の人が”レベル”という言葉を使うので、
“学力”に注視して話をすれば、それはレベルの問題なのかもしれませんが、
オランダの教育文化科学省はそういった意味合いで3つのレイヤーに分けている訳ではありません。

基本的には、
・大学進学
・専門職進学
・一般的進学
というような感じでしょうか。

今回はその中でも“専門職進学”を選んだ生徒さんに来てもらいました。
4時間という長時間に渡って本当にいろんな話をしたのですが、ガチガチの日本教育の中にいた私が聞きたいのは、どういった心の持ち用であらゆる生徒たちが進学先を選ぶのか、ということ。そして、人生を歩んでいくのか、ということ。

彼らは3つの中で言う2つ目のレイヤーに在籍している訳ですが、今学んでいる内容にとても満足しているのだそうです。
…というのも色々聞いてみると、それぞれが様々な紆余曲折を経てこの”アジアビジネス”という専攻にたどり着いたということがわかりました。

例えば、1人の学生の最初の専攻は“生物学”だったそうです。
最初は「私は将来ラボで働くんだ!」と意気込んで勉強を続けていたようなのですが、いつの間にか学びを続ける中で“ラボで働く自分”を想像できないようになったのだとか。

それで“方向転換”を決めたのだそうです。
日本で言うなら“文転”ってやつです。
(理系から文系へ転ずる行為をこのように言ったりします)

そして、オランダの教育の良いところはこういった“進路変更”が比較的安易に行えるということ。
例えば、日本の高等学校では高校1年の最後に”コース選択”というのが行われる学校も少なくありません。要するに、高校2年からは自分の将来の進路に合わせてコースを選択するのです。

そのコースというのは、最近では“文系・理系・その他(医療や教育など)”に分かれやすいのですが、ほとんどの学校では、このコース確定後にコースを変更することは許されません。要するに高校1年生で自分のに適していると思ったコースを高校2年生や高校3年生で変更することはほぼ不可能なのです。
つまり、一度決めたコースは卒業まで変えることができない、ということです。

これの何が問題かというと、高校1年生の時点で自分の適性など知る由もない。ということです。
例えば、理系を選べば、当然、理系の授業が圧倒的に多くなります。
毎日数学漬けになる代わりに、日本史や世界史といった授業が少なくなることも。

ということは、「理系進学しよっかな~」と高校1年生で半ば強制に決めさせられ、高校2年から授業を受け始めたら、実は全然数学が好きじゃなかった…という場合、もう悲劇しかありません。
卒業単位を満たさなければ卒業できないとなれば、嫌な数学でも何でも必死になって単位修得に努めなければいけない。ということです。

…少し話はずれましたが。
では、同じことがオランダの教育で起きた場合はどうなるのか。
(これは進学した学校にもよるそうなので、絶対の情報ではありません)

例えば、「僕は理系!」と思って理系の学校に進学し、学校の授業を受けているうちに、
「あれ、全然わからない…僕は理系じゃないのかもしれない…」
「授業が全然面白くない。そもそもこの学問に興味が沸かなくなってきた…」
「もっと興味のある学問が他にあった。この学校で学ぶことはなくなった」
こういったことがあったとします。

その場合、コース選択や進路変更は比較的容易なのだそうです。
しかし、もちろん進路変更をすればとんとん拍子でいく以上の時間がかかることは覚悟しなければいけないのだとか。順当でいくよりも時間がかかる。ということです。

しかし、オランダではこういったことが当たり前に起きるそうで、だからこそ学年に対して年齢が異なることは普通のこととして受け入れられます。
(学年と年齢が一致していることは当たり前のことではない。ということです)
そういった意味でも“時間がかかってもいい”ということに納得ができるのであれば、自分自身により合った進路選択をいつでも選ぶことができるのだそうです。

つまり、これは“やり直しがきく”ということ。
自分自身の脳や情緒の成長に合わせて人生の選択ができるということ。
自分の適性を知ることに時間をかけても良い。ということでもあります。

しかし、1つ気になるのは“やり直しがきく”ということを逆手にとり、
「じゃあ最初はなんでもいいやーん」
と、適当に自分自身の進路を決めてしまう人間が出るのではないか…という危惧です。
それについて聞いてみると、
「それは当然のことのようにある」
ということでした。

よって、彼らが今在籍しているクラスでもモチベーションの差はあるのだとか。
同じプロジェクトを担当していても、ようやく遠回りをして
「これを学びたい!」というものに出会い、懸命に学ぶ生徒もいれば、
「まだ遠回りの途中です」というモチベーションの低い生徒もいるようで。
まぁ、それはどこの世界でも同じかな。と思います。

しかし、話をしてくれた学生からは、
「一生懸命になれる時期がいつくるかも、人によって違うから」
という大人な意見が返ってきました。

そう、自分自身が“これだ!!”と思うものに出会うのに1年遠回りする人もいれば、2年、いや3年、時には5年かかる人もいる。
人はそれぞれ違うから、それはその人が成長し、気づくタイミングを待つしかない。
そういった回答を頂いたのでした。

……大人すぎるでしょうよ。笑

しかし、これがオランダ人の感覚なのだと思いました。
“人は違う”ということを言葉以上に理解している。

「仮にマクドナルドで働いている人がいたとしても、本人がその仕事に誇りを持って、好きでやっているのならそれで良い。私はそういう仕事は選ばないけど、そういった仕事が好きな人がいることも理解できるし、その人が幸せであることが1番大切なんだと思う。でも、やっぱりその仕事が面白くなくて、何かもっと違うことが勉強したい、レベルアップしたいと思えばいつだって方向転換は可能であるべきだし、オランダではそれが比較的可能なんだと思う。だからプレッシャーも少ないんじゃないかな」
こんなことを言っていました。

もちろん、”超簡単に”やり直しができる訳ではないとは思います。
実際のところ「そう簡単にはいかないよ」と言う人もいます。
(簡単かどうか、可能かどうかというのは人の感覚にもよりますね)

しかし「やり直しなんて到底無理」なのか「やり直しもきくみたい」なのか。
もし社会が後者のスタンスで回っていたら、生きやすい気がするのです。

“人生一発勝負”
ある意味、そりゃそうなんだけど。
遠回りが必要な人もいれば、時期がきてもまだ煮え切らない人もいる。
自分のペースで自分らしく生きさせてくれる社会が理想だなぁ。と思うのでした。

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