【オランダ】娘のクラスの授業内容を熟読してみた
娘が通う小学校では”Social Schools”というアプリを通して、学校から連絡が届いたり、学校での子どもたちの様子が写真や動画で送られてきたり、懇談の日程が確定できたり、メッセージのやりとりができたり…といろいろなことができます。
連絡事項は全てオランダ語のため、それをコピペしてGoogle翻訳にお任せすれば、内容は十分に理解できるようになります。
これをしなくても良いように早くなりたいとことですが…
さて、先日”学校のHPが新しく更新されました!”というお知らせが届いたので、たまには学校のHPも覗いてみようか…と訪れてみたのでした。
すると、毎月担任から月ごとのテーマや学習内容が更新されているではありませんか!
9月に入学して以来、一度も見たことがなかった…これはいかん。
…ということで、9月から12月までの授業内容予定を熟読してみたのでした。
娘は小学校に通っていますが、日本の学年でいくと幼稚園の年少です。
日本の幼稚園/保育園ではどのようなことが書かれているのかは分かりませんが…
娘がオランダのGroup1で学んでいる内容を書き記してみたいと思います。
9月から全部書くのは難しいので、ひとまず12月の内容を。
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シンタクラースがオランダにやってきます!この時のために子どもたちはとても忙しく様々な用意をしてきました。今、教室はシンタクラースのテーマで彩られています。子どもたちは”シンタクラースの手”を作りました。これは、紙をまっすぐに折る練習のためでもあります。また、牛乳パックをデコレーションして家を作りました。また、12/5に向けて、ピートの帽子も作りました。
シンタクラースにちなんて、”S”というアルファベットを学びました。そして、スパイスやナッツ、お菓子を使って、数を数えること、それらを合算することを学びました。もちろん、シンタクラースの歌もたくさん聴き、たくさんダンスもしています!
楽しいシンタクラースの日を過ごしたら、翌日にはもうクリスマスモードになります。クリスマスにもたくさんのアクティビティがあります。例えば、とても綺麗なクリスマスのエンジェルを作ったり、冬休みに入る直前にはたくさんのお菓子や飲み物で祝うクリスマスパーティーもあります。その日の夜に学校であるクリスマスイベントも忘れずに!
多くの子どもたちやその家族にとっては、1年を振り返る時期になります。そして、誰かに感謝を伝えたり、特別な人に大切なことを伝えるのも良いかもしれませんね。
◉道徳学習(学校が採用しているプログラム)◉
冬休みに向けて、私たちは3つ目のテーマに沿って学習を進めます。
テーマ:私たちにはお互いのことを聞くための耳があります。3つ目のテーマでは、どんな風にして”聞く/ 聴く”のか。ということについて学びます。
*子どもたちにご家庭でこんなことを聞いてみてください
・今日は何をしたの?何が楽しかった?
・人の話を”きちんと聞く”ということをどうやってみる?見せてみて?
・私に話たいことや、私があなたに質問してもいいことについて何か話してみて?
・”声”を使わずに誰かに何かを伝えたい時は、どんな方法がある?例えば、顔や腕、手を使ってみて?顔や腕、手を使って好きなことや嫌いなことを表現してみて?
・クラスのみんなで話をするとき、どんな約束ごとがあるの?
・何か言いたい時はそのことをどんな風にみんなに知らせるの?
・猿と虎はどうやったら話ができるかな?
・どうやって今日みんなで一緒にやることを決めるの?
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少し、直訳的で表現がおかしいところもありますが…
ざっとこんな感じです。
少し驚いたのは「”声”を使わずに何かを伝える方法は?」ということを学んでいるということ。
これは、誰しもが言葉で表現することが上手ではない。もしくは、誰しもが”声”というツールを使ってコミュニケーションが図れる訳ではない。という前提の元、そういった人たちを理解するためのアクティビティなのではないかと思います。
例えば、”嫌なことに対して「嫌だ」”と言える子もいれば、何と言って良いか分からずにそこから逃げる子もいるかもしれません。
“声”というツールを持たず、胸の前で大きなバツを作ったり、ひたすらに下を見つめる子もいるかもしれません。
喜びを表す時、”声”を使うことができずにハグをしてくる子もいるかもしれません。
様々な人がいて、その人それぞれにとって何かを伝える方法は様々である。ということ。
そういった人たちにはどんな提案をすることができるのか?
そして、自分自身はどんな行動を取ることができるのか?
この道徳的なプログラムには、情緒を育てる目的や、マイノリティーの人々のことを理解するための取り組みが入っています。
大多数が生きる世界にあるルールが、当たり前のルールでははない
そういったことに関しても、このプログラムを通して学ぶのかもしれません。
日本の教室では自分が何かを発表したい時や、発言したい時、
手を挙げて「はい!」と言います。
しかし、オランダでは手を挙げ、人差し指を伸ばし、何も声を上げません。
時に”Ik(私)”というように声を出す生徒もいますが、基本的にはサイレント。
よって、声が大きい子が目立つ…ということもあまり起こらない。と聞きました。
もちろん、そのルールが必ず遵守されているとは限りませんが、私が話をした小学校の先生はそんな風に言っていました。
皆さんが学生時代を思い出した時、教室で自分から手を挙げて発言する。ということがどれくらいあったでしょうか。
この「手を挙げる」という行為は、年齢を重ねる毎にハードルが高くなる。
というのが日本においての教室のような気がします。
高校生にとっては”手を挙げる”という行為が恥ずかしいようで、
「手は挙げなくても良いから、思いついたら声に出してごらん」
と、私自身、授業で発言を促したことも数えきれないくらいあります。
しかし、そういった場合、賑やかなクラスでは声の大きい生徒が発言権を持ちやすくなります。そして、控えめな生徒は何も言わなくなってしまうのです。
私はオランダに来て、自分の指導方法が間違っていたのではないか。と思うようになりました。
無論、そのように促さなければ誰も手を挙げないし、手を挙げずに発言さえしてくれないのですが。
娘のクラスではもうすでに、
・クラスのみんなで話をするとき、どんな約束ごとがあるの?
・何か言いたい時はそのことをどんな風にみんなに知らせるの?
というかたちで、何か発言をしたい時は手を挙げて指名を受けるまで待つこと、人の話の途中でカットインしないこと…を学んでいるようです。
どれだけ人に伝えたい意見や聞いて欲しい話があったとしても、
話している人たちの会話にカットインするのはマナー違反であることを学んでいるのかもしれません。
正直、日本の子どもたちはこういった点を無視しやすい傾向にあると思います。
つまり、誰かが話をしている時に「カットインしても良い」と思っている傾向が強い。ということです。
例えば、私が1人の生徒に問題の解説をしている途中で「先生!」と横から別の生徒に話かけられたことは幾度となくあります。
そして「今、話をしているでしょう。少し待って」と制したことも何度もあります。
今思えば、
「自分の要求を満たさずにはいられない」
という、衝動傾向が高校生にはたくさんありました。
他人を尊重する気持ちよりも自分の欲求が勝ってしまうのだと思います。
そういった意味では、大人が話をしている時に子どもがカットインしてくる時、
「今お話しているからちょっと待ってね」
と教えることは大切なことなのかもしれません。
少なくとも、私が担任と話をしている時に娘がカットインしようものなら、
担任は娘に
「今、ママとお話ししているでしょう。少し待ってね。」
と言っています。
娘はそのように言われてから、決して担任と私の会話にカットインすることはなくなりました。
そして、その話を早めに切り上げる気持ちを持ちつつ、話が落ち着いたら、
「終わったよ。何だった?」
と、きちんと欲求を満たしてあげることも大切なのかもしれません。
とにかく、娘が学んでいることに対して家でも色々補っていこうと思いました。
日本語で補うことによって、きっとオランダ語の理解も進むと思います。
教育において大切なのは、学校教育と家庭教育が両輪になること。
「今日何をした?」と聞くよりも、
「◯◯作ったりした?」「◯◯してるって聞いたんだけど」
と聞くほうが、色々な話を聞かせてくれそうです。