【オランダ】教育には“絶対解”ではなく”納得解”を
オランダの教育環境に娘を通わせながら、自分はガッツリ日本の教育を受けてきた親として子どもを育てる。
そういった環境で自分が生活するようになって、ますます教育というものが人を作り、社会を作り、世界を作り…と、とてつもなく大きく、そしてとてつもなく大切なものであると実感する毎日です。
そしてもちろん自分の中に混乱や葛藤も生まれます。
また、日本(的)教育のことをたくさん考えます。
生徒の保護者と話をしたことを思い出すと、多くの人たちが子育てや教育に悩み、必死に答えを探していたような気がします。
しかし、教育というのは答えがないもの象徴とも言えるものだと思います。
だからこそ、”答え”があると思って子育てをすると苦しくなるのだと思うのです。
必要な情報がインターネットですぐに手に入る現代では、確かな情報も、不確かな情報も全てネット上にあります。
また、それらの情報がすぐに手に入るというメリットは、多くの人たちが情報集め合戦に参戦している状態だとも言えます。
そういった状況では、多くの人たちの心理が、
「答えはあるはずなのに」
という方向に動くため、「答えがない」ということに対する耐性が弱まる。と私は思っています。
よって、教育のように「答えがない」ことに対しても「答えがあるはずなのに、その答えがわからない!」と焦りを覚えるようになるのだと思います。
子育てというのは答えがありません。子どもは十人十色。
だからこそ”絶対解”など存在しないはずです。
しかし、書店を覗けば「天才を育てる方法」とか「東大に合格する子育て」とか。
そういった本が本棚に並び、売れ筋にランクインしています。
ひょっとしたら、出版社の策略として”売れている”という嘘が作り上げられているのかもしれませんが。
(そんなことを言い出したら、ますます何を信じたら良いのかわからなくなりますね。笑)
私もそういった本をたくさん読んできました。売れている本を見れば、現代の大衆的な教育観が見えてきます。
しかし読めば読むほど、当たり前のことしか書かれていないと感じる反面、「本当にそうか?」と思うこともたくさんあるような気がしてきたのです。
それこそ「たくさん読み聞かせをしたら本好きの子どもになる」など。
「まぁ、そうとは限らないんじゃない?」という感じです。
もちろん本読みも大事です。でも、たくさん読んだら本当に本好きに育つのか…?
人生ってタイミングとか出会いとか、複雑に絡み合っているからこそ、何かを好きになったりハマったり。というのも偶発的に起こります。
もちろん何の証拠もなしに書かれているわけではないと思うのですが。
やっぱり教育には親としての”納得解”が必要になってくると思うのです。
要するに、過度な情報に振り回されない子育て観を確立する。ということです。
仮に、そういった「こうすれば子育てはうまくいく!」というような書籍が相当数売れているとするならば、多くの人が教育に”解”を求めているのかもしれません。
「どうやって育てるべきなんだ」「答えはどこにあるんだ」
「自分の子どもに苦労させたくない」「将来きちんと収入がある仕事に就いて欲しい」
そういった親の期待はいつのまにか”納得解”から”絶対解”へ変化していくのかもしれません。
子育て、教育に”絶対解”は存在しません。
だからこそ、”納得解”が必要になります。
その”納得解”の基準は人それぞれ。
だから、教育における”違い”は”優劣”ではないのだと思います。
親としての”納得解”を探す教育。
みんなが同じ目標を追わなくていい教育。
それでいて、互いに認め合える教育。
多様性が認められる世の中を大人が求めるのであれば、まず子どもを育てる保護者の方に多様な考え方がなければいけないのかもしれません。
絶対解ではなく、納得解を。
私の中の良いスローガンになりそうです。