【オランダ】そして、娘が不登校になった話
娘がインターナショナルスクールを辞めたいと言った日から、すでに1年以上が経ちました。(前回までの話はこちらから)
そんな娘は、ある日突然、不登校になったのです。
友達もいない、先生も嫌い、音楽の先生とは同じ空間にもいたくないと、娘は強く訴えました。
親である私は、夫と何度も話し合い、なんとか娘を支えようと努力しました。私はリモートワークを会社に心配されないように調整し、夫も昼食時に一時帰宅するなどして、夫婦でやりくりしてきました。
そんなある日、娘は劇的な変化を遂げました。
学校が「行きたい場所」になり、「学校は毎日行く場所だから」と言うようになったのです。
完璧な友達も完璧な先生もいないと気づくまで、それほど時間はかからなかったようです。
自分の理想郷が公立小学校にあるわけではないと、少しずつ理解していったのです。
もしかしたら、学習の遅れが自信を失わせていたのかもしれませんし、友人や先生との関係に悩みが全くなかったわけではないでしょう。しかし、ある日娘は学校に行くことを選びました。
それは、学校の良し悪しよりも「相性」が大きかったのではないかと思います。
娘を見ていると、学校の質がどうであれ、本人との相性が大きく影響するように感じます。
思春期の心は秋の空のように移り変わりますが、娘の中には何か決意が秘められているように思えるのです。期待しすぎず、自分の中で不条理や不合理を理解し始めているようでした。
たとえば、公立学校の厳しいルールも、多くの子どもを管理するためには必要だと娘は感じていたようです。
また、修学旅行に必要ない若手の先生が同行していたけど、その働き方はブラックなのでは?と考えたりもしていました。
娘なりに、さまざまな事を想像し、仮説を立てようとしていたのです。
つまり、娘の心の成長こそが、不登校や再スタートを選んだ大きな要因だったのかもしれません。
不登校が辛い理由
「不登校」という言葉がなかった時代、私の母たちの世代では「登校拒否」と呼ばれていました。
当時、登校を拒否しても母親は家にいましたが、今の「不登校」というシステムに身を置くと、家族全員を巻き込む大きな問題になることを実感しました。
夫婦で子供の不登校をサポートするとなると、毎日「行くか、行かないか?」とギリギリまで迷う子供のサポートに追われます。その上で、「何をして過ごすのか?」「どうやって過ごすのか?」「なぜ行かないのか?」といった問いを、まるで仕事のように毎朝繰り返すことになるのです。
子供が辛いのか、親が辛いのか。結論として、どちらも辛いのです。
答えがあるようでない問いかけ、正解がありそうで手のひらからこぼれ落ちるような不安定な状況。そんな中で、親と子は互いに手を取り合い、毎日を乗り越えます。学校という環境がない中での「バトル」が続くのです。
親は子供を悲しませないように努め、子供は辛い気持ちを隠して親を心配させないように振る舞います。こうした心理的な駆け引きが続くのです。
学校の役割に気づく
こうして、学校が単に教育の場ではなく、家族を支える場所だと気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。学校に行くことが「正解」ではないかもしれませんが、家庭だけでは子育てが完結しないのも事実です。もし学校に行けるなら、最初からこんなに苦労はしていません。子供だって、行けるものなら行きたい、でも行けない理由があるのです。
今の時代、「寄り添う」ことが大切にされています。子供は自分の気持ちに寄り添い、親は子供の気持ちに寄り添います。
しかし、その過程で親が置き去りにされていると感じることもあります。親は必死に子供のために予定を調整し、オフサイトワークやリモートワークを組み合わせて、子供を一人にしないようにしています。それは愛であり、無知でもあるのです。
正解は何か?その探究は続いています。
しかし、この旅をより豊かにしているのは、娘の存在です。
不登校を通じて、私たちは心の内側を見つめ、自分の中にある偏見や期待を超えていく娘の成長を見守っています。日々、涙をこらえながら、彼女との思い出を積み重ねていくのです。
かすみ
Kasumi
- 居住国 : 日本(2024年夏よりオランダ)
- 居住都市 : 東京
- 居住年数 :
- 子ども年齢 : 11歳、5歳
- 教育環境 : インターナショナルスクール、公立小学校、保育園