【オランダ/ハーグ】娘の”助産師”という夢と”好き”のパワー

日本から船便で送った荷物が自宅へ届きました。
娘が楽しみにしていた日本からの荷物の中に、ずっと待ち望んでいた本がありました。
それがこちら。

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古本屋で買った漫画たち〜

娘は(今のところ)、将来、助産師になることを夢見ています。
そして、その傍らで学校の先生もしてみたいのだとか。助産師×学校の先生…「いやいや、そんなこと可能なんかいな(笑)」なんて言いきれないのがオランダの社会?Who knows? いや、国に関わらず、それが娘が成長した時の未来かもしれません。私たち夫婦は娘の(貪欲な)夢を応援しています。

「コウノドリ」との出会い

我が家は海外で子育てをしています。いわゆるTCK(Third Culture Kids)を育てている関係上、娘の継承語である日本語は私たちが家族の関係を大切にし続けるという意味で重点を置いている言語だと言えます(現地のオランダ語がどうでも良いという意味ではありません)。

よって、娘が「日本語で観たいもの」にはある程度、寛容に生活してきました。絶対的に触れる機会と時間が短い日本語に触れられるなら、娘が興味を示すもの、それがテレビや映画(Youtubeは除く)、絵本や漫画、ゲームに至るまで積極的に取り入れてきました。

そして彼女は1年ほど前に「コウノドリ」というテレビドラマに出会い、舐め回すように(笑)、全てのエピソードを何度も何度も見返しています。その中で彼女の夢は(今のところ)助産師として働くことになり、7歳にしてはその夢はかなり長い間維持されているように思います。

荷物が届いた今、彼女はふりがなのない漫画を懸命に理解しようとしています。誰にお願いされた訳でもなく、強制された訳でもなく、オランダ語の本と日本語の本の間を行き来しながら、本読みに夢中です。

「お母さん、”とつにゅう”って何?」
「”しざん”って、赤ちゃんが死んで生まれてくること?」
「”たたみかける”ってどういう感じ?」

今回は、子どもの「好き」ってすごいなという話です。

日本語をやらせようとした2020年、5歳の頃

私たちには失敗がありました。2020年のコロナ期、家で過ごす時間が増えたことを利用して娘に日本語を教えようとしたのです。娘がそうしたいかどうかも確かめず、慎重に判断せず、「家で過ごす時間が増えたから」と、日本語の読み書きを始めようとしました。

その時、娘はまだ準備が出来ていなかったのにも関わらず、本好きの娘ならすぐに日本語にのめり込むと(勝手に)信じていました。

しかし、始めてしばらくすると義則が言いました。
「やめよう。目が死んでる。この子はこれを楽しんでないし、自分たちのエゴだと思う。これが僕たちがやりたいこと?」と。
一見、従順に日本語を学んでいるように見えた学習状況に対して発せられた義則の言葉が、私には一瞬理解できなかったことを覚えています。
「目が死んでる?どういう意味?ちゃんとやってるやん」
でも、確かによーく観察すると、どこか喜んでやっているようには見えませんでした。
「お父さんとお母さんがやって欲しそうだからやる」
何だかそんな様子にも見えたのです。
時々顔を顰めて、鉛筆が止まって、でもまた進めるを繰り返しながら。保護者である私たちの期待をプレッシャーに変える姿…。

「あ、これはやっちまったな」

私はしばらく(数日)娘の様子を観察して気がつきました。義則が何が言いたかったのか。「嫌い」という感覚もまだ育っていない日本語を、無理に教えることで「やりたくない」という種を植えている。敢えて「嫌いにさせる」という行為を私たちのエゴが牽引しているのです。

環境を整えて「好き」が現れるのをじっと待つ

私たちは高校の教諭だったので「言われたからやります」という行動を何の疑問もなしにやってのけてしまう高校生たちをたくさん見てきました。

「理由?別にいらないっす。やれって言われたらやります。その方が色々楽なんで」

「これは必要だからやりなさい」と言われて従順にそれに従う生徒は保護者にとって、大人にとってとても素直で良い子どもたちでしょう。面倒もかかりません。たまに反抗するくらい。

しかし、その「理由がなくてもやります」という姿勢が、16歳〜18歳になるまでの小さな積み重ねでいかに作られてきたか。

「やらないと親の機嫌が悪くなるから」
「みんながやれって言うから」
「やらないと居心地が悪いから」
「そういう風にやらないといけない感じがするから」

生徒たちはそこに至った小さな小さな違和感を、自分の意思とは違うところで、小さなフタを何度も何枚も被せてきた作業に名前を持っていなかったように思います。何故自分が今「理由がなくてもこれをやった方がいい」と判断するのか。そこに何の疑問も呈さずに生きることができるし、むしろその方が楽なのです。

私たちはそういった16歳〜18歳の生徒たちを見てきたことで、たくさんの「例」を持っていると言えるかもしれません。年間約300名の生徒に対して、熱心に授業を行えば見えてくるものがあります(高校生の全てを知っているという意味ではありません)。だからといって我が子の子育てがうまくいくという訳でもないのですが(苦笑)。義則があの日言った、

「子どもの目が死んでいる」

が意味するのは、子どもが大人の期待を悟ってどこか遠くに「諦め」を置いてきた目を指すのだと気づきました。

だから、私たちは娘に日本語を教えることの一切をやめました。同じ年の子が漢検を受けようが、お受験をしようが、6歳の早い段階でひらがなが読めて、カタカナを覚え、1年生の漢字表をマスターしようが「我が子が自分の根源から目の前の学習を楽しんでいるか」に向き合うことに注力しました。

そして、子どもの興味関心に合わせて環境を整える、具体的には娘が興味がありそうだと思った時にそれらの本を揃え、一緒に選び、時には借りに行き、とにかく「興味の旬」を捉えることに徹しました。それは一瞬アンバランスに見える学びだとしても、いつか必ず花開くと娘を信じることにしました。

自分たちのエゴを信じるのではなく、娘が放つ学習へ向かう根源的なパワーを信じることにしたのです。

進む日本語、溢れる興味

それは「人と比べない時間」を指します。子どもを信じることは難しい。それを心から実感することでもあります。人によっては暗いトンネルの中を歩くような感覚かもしれません。

娘は日本にいたとしたらこの4月から2年生です。(※2023年4月時点)

全く教えることをやめたひらがなは全部読めるようになりました。
習得は難しいだろうと思っていたカタカナもマスターしました。
漢字への興味は学校のオランダ語の読み書きが進むのと同時に加速しました。
「次は2年生の漢字表が欲しい」と、昨日印刷してもらっていました。

私たちは書き順も教えず、ワークも強制せず、ノルマも課さず、とにかく毎日娘が笑顔で持ってくる本を楽しく読み、彼女が差し出す”興味”にだけはとにかく敏感に、環境だけを整える日々でした。

今でも日本から送ってもらった「チャレンジ」に手をつけることは少ないです(笑)、たまに「やってみる?」と聞けば、「やってみようかな!」とやります。だから、お金を払っている割にコンプリートにはほど遠いです(笑)。それでも娘は「国語が好きだ」と言います。誰に頼まれたでもなく、楽しそうに国語と道徳の教科書を音読する姿には何だか感慨深いものを感じます。

算数が少々苦手な娘は、「助産師になりたいから」と苦手な算数にも(両言語で)積極的に臨むようになりました。どこからともなくプリントをとってきては「今日はこれをやろう!」と言うことも増えました。

今、彼女は「コウノドリ」「3月のライオン」という漫画を読み漁り、子どもが生まれることの美しさと辛い現実、3月のライオンに描写される人間の心の動きに全てを注ぐようにして読んでいます。ふりがながないこの2種類の漫画は、彼女にとって「読まなければいけないもの」ではなく「読みたいもの」になっています。

「子どもの本当の興味関心は育つのに時間がかかるけど、その途中で不安になることを僕たちがちゃんと”意味があることだ”と捉えられたら、子どもたちは自分で育つ力を持っているんだと思うよ。好きのパワーはすごいな」

義則はそう言います。子育ての途中で「信じること」を放棄するのはいつも大人の方なんだ…と彼のその言葉に気づかされました。

押し寄せる不安と、自分たちができる最大限のこと、子どもを信じる力

与えられた箱に収まっていること、順当に進んでいること、予定が合っていること、数字が見えること。これらは大人を安心させてくれます。自分の子どもは「人並みに」生きていると思わせてくれます。

でも、箱の中で子どもはどんな表情をしているのでしょうか。
「お父さんお母さん、わかったよ」と悟ってくれている可能性はないでしょうか。
それはあなたが知っている「楽しい時の子どもの表情」でしょうか。
「そうだ」と思い込もうとしていないでしょうか。

そもそも、箱がなくなった時、子どもは自分の足でその学びを続けようとするのでしょうか。
「あぁ、解き放たれた〜」と学ぶことをやめてしまわないでしょうか。

ここから先、オランダ語も日本語も、きっとどんどん困難を極めていくだろうというのが私たちの予測です。でも、大丈夫。子どもを信じることから始めて、環境を整えて明け渡すという連続の行為の中で、子どもはちゃんと育っていく。

まずは、そうやって「子どもも自分も信じるところから出発する」という勇気が試されているのではないかと思っています。

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図書館で借りてきた医療に関する絵本を読む娘

三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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