【オランダ/ハーグ】習い事を「やめたい」と言ったら辞めていい?
こんにちは!新学期が始まって1週間。
ゆっくりと「これまでの平日」を取り戻そうとしながらも、まだまだ本調子とはいかない1週間が過ぎました。
先日、娘が習い事を1つ辞めました。それは去年の9月から入った、英語の体操クラブでした。
「英語の習い事を何か1つ」という希望から
その体操クラブを習い始めたのは、近くの雑貨屋さんで、運営側の人に声をかけられ「こんな体操クラブがあるのでもし興味があれば〜」と言われたのが1つのきっかけでした。
それと同時に、娘の学校のクラスの友達が先に通っていたというのもあります。
英語で体操というか、身体を動かすこともしながらSTEAM教育のプログラムをしてくれるというそのクラブに一度娘を連れて行ったのですが、彼女が「習ってみたい!」と言うので通うことにしました。
私は今のところ、家の外に出た時は娘と簡単なオランダ語か英語で会話していて、娘の学校の保護者との会話は英語でしています。
そういった意味で、私が話している言語に慣れていて欲しいという意味でも通うことに決めました。
お気に入りの先生が辞めた
去年の9月頃からこの8月末まで約1年、そのSTEAMプログラムを受講する中で、1人とびきり楽しい授業をしてくれるテンション高めの男性の先生がいたのですが、その先生がこの数ヶ月前に辞めてしまいました。
それから、娘は一度テンションが下がったのですが、それから新しく入ってきた先生にも慣れたようで、そこそこ楽しそうに通っていました。
「もう辞めたいな〜」が何回か続いて
ただ、またしばらくすると夏休み中にそこに通うのがめんどくさくなったようで、
「もう辞めたいなって思ってきた」
と言うようになりました。
ただ、まだ6歳で「その日の気分」のようなものもあると思ったので、娘とは「あと3回通ってその時に”やっぱり行きたくないな”というのをまだ感じていたら、もう辞めようか」という話をしました。
それから3回通い、もう一度聞いてみると、
「やっぱり辞めたい」とのこと。
じゃあ辞めましょう!ということで先日退会手続きをしました。
STEAMプログラム…
プログラムの中での言語は全て英語で、体操をしたり、実験をしたり、色んなことをさせてもらっていたように思います。
毎回、何か作ったもの(スライムや星を見るクラフトなど)を持ち帰っては、今日はどんな実験をして何を作ったのかを教えてくれていました。
正直、私の心の中では「英語の習い事は何か残しておきたい」という気持ちがあったのですが、娘が行きたくないと言うなら強制することはできません。STEAMの内容はそこそこ満足していたので、少し残念な気持ちはあります。
英語学習に関してはクラブに任せっきりだったな…と反省
娘の学校の学習言語はオランダ語で、英語に関しては二の次になっていた我が家。英語の言語習得から私の意識が遠ざかっていたのも事実です。
よく考えてみたら娘が生の英語の会話を耳にするのは、
・学校での英語の授業(週に1回45分)
・私が他の誰かと英語を喋っている時
に限られていて、娘自身が英語の必要性を感じられるように家庭で言語サポートをしていませんでした。
娘はNetflixなどで英語のプログラムを平気で観たりしていますが、それはあくまでも受け身の状態。インタラクションが必要な英語学習環境は彼女にとってあまりにも少なすぎたと思います。
つまり、私は娘に外で英語のクラブに通わせながら、家庭ではそれを促進するようなことを何もせず、完全に「あそこでやってくれているから」と甘えていました…反省。
そうするうちに娘の中から「英語を学ぶ必要性」のようなものが薄れ始め、きっと「行ってもな〜」という気持ちになったのだと思います。やっぱりどこかに任せっきりで、「あそこでやっているから」と、家庭で努力しないのはいけないなと感じました。
彼女が「行きたくない」と思うようになったきっかけの原因の一つを作ったのは自分だったのかもなぁ。なんて思ったりしています。
「せっかくここまで通ったのに」
自分自身の習い事を思い返せば、どれも数年に渡って続けたものばかりでした。ピアノは8年、習字は6年、ブラスバンドは8年、ECCは5年…他の習い事に関しては、辞める時に必ず母とのバトルがありました。笑
「何かを習い始めたらすぐに辞められない」
習い事に関して、そういった気持ちがあったことは事実です。だから、半端な気持ちで何かを始めてはいけない。途中で辞めることもいけない。そんな風に自分の中で固定概念を持ち続けてきたように思います。
「嫌だったらやめればいいじゃない?」
私の中で何かが変わったのは、オランダの小学校で体育の授業を見学し、体育の先生と話をした時でした。
「学校での体育の授業は、”楽しむこと”をメインテーマに、本当に色んなことをさせてあげる。その中から”自分の好きなこと”が見つかると嬉しいなと思うんです。それを学校の外でプロに習ったりして、のめり込んだら生涯スポーツとして親しむこともできますよね。そういった機会を与える場所が体育です」
何か1つを極めることも強制せず、”好きなこと”を選べるように様々な競技道具を散りばめる。そして、好きなものには熱中し、飽きたら別のものに乗り換える。それを繰り返していくうちに、自分には何が楽しくて、何が楽しくないのかを知っていく。
「辞めたいと言ったら辞めさせてあげたら良いんじゃない?そうやって色んな味見をして、自分の好きを見つけていくのかも」
学校のママは私にそんな風に声をかけてくれたことがありました。そこに「根性がない」とか「一度始めたら貫け」みたいなものはありません。なんだか「それってワガママじゃないの?」と思えてきそうですが、楽しむ気持ちを無理矢理出すことの必要性って”誰が”求めているんだろう?と思ったりもします。
「また来たくなったら来ても良いの?」
案の定?体操クラブの最後の日、娘は少し寂しそうで、もうここに来れなくなるのか〜。という感じでした。
そして発したのが、
「また来たくなったら来ても良いの?」
という言葉。
私は「もちろん!」と言いました。
そうすると、娘はどこか安心した表情をしたのです。
そう。戻りたければいつでも戻ってきて良い。そう思えることの安心感ってやはり大きいんだろうなと思いました。
この記事を書いたボーダレスライター に
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税所 裕香子
Yukako Saisho
- 居住国 : ドイツ
- 居住都市 : ザールランド
- 居住年数 : 1年
- 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
- 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン