【オランダ】目を瞑って通り過ぎることもできる、オランダ社会のダークサイド
何だか暗いタイトルになってしまいました。笑
今回は少し真面目な文章を書こうと思います(いつも真面目やないんかい)。
先日、家族でAH(Albert Heijn)というスーパーに買い物に行った時のことです。
急に女性に声をかけられました。
「こんにちは!あの、私のメイクモデルになってくれる人を探していて…アジア顔のモデルを探しているんだけど、ずっと見つからなくて。モデルになってくれませんか?」
見ず知らずの人に話しかけられ、しかもモデルか・・・
「美容学校に通っているんです。ここの(地図を見せられる)。今日の夜に実習があって、どうしてもアジア人モデルが必要なんです。18時半頃からで終わるのは22時くらい。最初に男性モデルのメイクをして、後があなた。車で迎えに行きます、帰りも送るので!お願いします!」
と懇願されたのでした。
夕方からは夫が担当する塾の授業があるので、娘はその間リビングで1人になってしまいます。
車って言ってるけど、どこかに連れ去られたらどうしよう、
っていうか、本当に美容学校の生徒なのか、この人は。
などなど、色んな考えが脳内を走り回るのですが、
「困ってそうやから、やってあげたら?」
という彼の一言もあったのと、前に美容系に進学した卒業生と話をした時、
「カットモデル探したりするのが大変なんよ、先生」
ということも何度か聞いたことがあったので、生徒を想うような気持ちで、
「何か力になってあげたい」
と思い、お手伝いすることにしたのでした。
オランダ語こそ話しますが、彼女の外見はいわゆる「白人」ではありません。
きっと移民だろうな。とその時、直感で思いました。
連絡先を交換して、
「18時頃に迎えに行くね!住所送っておいて!」
と言われ、その時は別れたのでした。
それから家に帰り、夕ご飯の支度をして、
家の前に着いたということで彼女の車で学校へ向かいました。
彼女を信じていなかった訳ではありませんが、
身の危険を感じたら対応できるようマルチナイフを持って出ました。
この国で学んだ「自分の身は自分で守る」です。
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迎えに来てくれた車はお世辞にも綺麗とは言えない古い車でした。
「今日は本当にありがとう!」
と話し始めた彼女と、道すがら色んな話をしました。
まず、彼女の両親はモロッコからの移民でした。
そして、日本からの移住者が住まないであろうエリアに住んでいました。
差別にならないよう気をつけたいとは思いますが、日本とは違い、オランダにも「危険」というエリアが点在しています。
日中に歩くことさえ危険なエリアもあれば、夜に出歩くことが難しいエリアもあります。
参考までに、
先日、彼女が住んでいるという地域を日中に自転車で通ったのですが、その時の話を娘の学校の保護者(オランダ出身の白人ママ)にすると、「私はあのエリアには日中でも行くのが怖いから行ったことがない」と言っていました。
美容学校に通う彼女はまさにそのエリアに住んでいる人でした。
つまり、モロッコや他の国からの出身者が多い「移民エリア」に住んでいるということです。
悪く言うつもりは全くないのですが(私たちもたまにそのエリアに出かけるので)、オランダ語はあまり聞こえず「何語だろう?」という言語が飛び交っているところです。
こんな風にして、オランダにはいわゆる「白人たちが住むエリア」と、
「移民の人々が集まって住んでいるエリア」がはっきりと分かれていると聞きます。
私の自宅から出発して彼女が車を運転している時、
「私はこのエリアには来たことがほとんどないの。ここに住んでいる人たちは自分たちのことを神様か、どこかの王様かと思っているんでしょうね」
とボソっと言ったのが印象的でした。
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彼女の両親はモロッコから移民としてオランダに移り住み、自分はオランダで生まれ、オランダの教育を受けて育ってきた。と言っていました。
アラビア語は話せるけれど、読み書きは出来ない。
モロッコは学歴社会のため、自分のようなアラビア語の読み書きが出来ない人間がモロッコに帰ったとしても、低賃金で働くしかない。
モロッコ人には生きていくために自国で懸命に働かざるを得ない人が多いらしく、自分はそういった生き方はしたくない。
だから、私はこれからもオランダで暮らしていくしかないの。と言っていました。
彼女と話をしていて驚いたのは、6歳の子ども(娘)がいたことでした。
彼女はシングルマザーとして6歳の娘を育てています。
この夜、娘は姉家族に預けてきたらしく、実習がある日はいつも預けていると言っていました。
また娘の父親はモロッコ人だけれど、私のパスポートが欲しいだけの人だったとわかったから離婚してモロッコに帰ってもらった。と彼女は言っていました。
実は今日スーパーで私と会った時、娘もスーパーにいた。と言っていました。
そう言えば、スーパーの一角に「子どもスペース」のようなところがあったのですが、そこに女の子が1人立っていたのを思い出しました。
その女の子がこちらを見ていたので、彼女に向かって微笑んだ記憶があったのです。
モデル探しをしていた数時間、娘はスーパーで待っていた。と言っていました。
その数時間もの間、娘であるその子はどんな気持ちで母親のことを待っていたのだろう、と、ふと思いました。
彼女自身、オランダの学校での成績は芳しくなかった。と言っていました。
両親もオランダ語が出来ず、学校で話せるようにはなったけれど、オランダ語の読み書きは苦手で、その影響は算数や理科にも影響したため、その後はスーパーで働いたり、色んな仕事を転々としてきた。と言っていました。
今、子どもがそれなりに大きくなり、やっと自分のしたいことは何かを考えたら、「化粧が好き」ということに気付き、学費を払ってメイクアップの学校に通い始めたそうです。
1月に入学して、順調にいけば11月に卒業の予定だけれど、その間ほとんど対面の授業はなかったし、今回のようなモデルを連れてきて試験をする。ということもほとんどなかった。
それでもこの11月に卒業はやってくるようで、彼女は若干焦っているようでした。
そうこうしているうちに学校に着きました。
その学校のエリアには来たことがありませんでしたが、ハーグの南に位置する学校でした。
車から降り、学校に案内されるとそこには男性がいました。
その彼は彼女にとっての「男性モデル」だそうで、まず彼が先にメイクアップをされるそうです。
車の中で彼について彼女は、
「良い感じの彼なんだけど、とりあえずモデルをしてもらうために関係を繋いでいる人」
と言っていました。
そんな風にして娘の父となる人を探しているのだろうか、と複雑な気持ちになりました。
学校には様々な人種の人たちがいるように見えましたが、
ヘアカットエリアとメイクアップエリアに分かれていました。
ヘアカットエリアの方には、いわゆる白人と呼ばれる生徒が多く、
メイクアップエリアの方には、そうではない生徒が多かったように思います。
(たまたまかもしれませんが)
男性陣のメイクアップが終わり、女性陣の時間がきました。
彼女以外にも生徒は6名程度して、その一人ひとりがアジア系のモデルを連れていました。
知り合いのように話をしているペアが多かったので、私と彼女のようにスーパーで出会うなんていうのは稀なことなのだろう、と思いました。
つまり、他の生徒は予めモデルになる人を決めて臨んでいる、ということです。
メイクの時間が始まり「アジアメイク」の実践が始まりました。
私は普段からあまりメイクは濃くない方ですが、オランダの日差しは強いのでUVカット入りのファンデーションを塗り、眉毛は薄く描いていることが多いです。
日本や韓国では「ナチュラルメイク」の風潮が強いと思うのですが(私の理解が時代に合っていれば。笑)、メイクがスタートした時点から、彼女はガンガンに塗るつもりだったように思います。笑
「あ、これはヤバイな」
と思ったのは、下地を終えて眉毛を描き出した時。
それはもうゴリゴリに描きだしたのです(若干鏡を見るのが怖いな、と思うくらい)。
そして、講師の先生が来て手直しした時に、さらに強く描かれたので、
「あぁ、これはイモト眉コースか〜」
と思いました。←
化粧の出来がこのブログで伝えたいことではありません。笑
しかしながら、完成した作品(私の顔)はお世辞にも良い作品ではありませんでした。(モデルが悪いのでは?という議論は控えさせていただきます。笑)
恐らく、彼女はあのクラスの中で最も不器用な生徒だったと思います。
私自身そこまで化粧には詳しくありませんが、全体でモデルの見せ合いをした時、他の生徒たちの出来はそこまで悪くなかったと思うのです。
モデルには50代くらいのアジア系女性もいましたが、そのまま学校から出て歩いて帰れるくらいの化粧にとどまっていました。
(ちなみに私の顔はそれが難しいくらいの出来でした。笑)
一通り全てが終わり、解散となりました。
また彼女の車に乗り込み、家まで送ってもらうことになったのですが、
「その前にうちの娘をピックアップさせてね」
と言われ、彼女の姉家族のもとへ向かいました。
その時、
「私の講師の先生見たでしょ?いわゆる「白人のオランダ人」なの。本当は卒業試験の時はモロッコ風の衣装や化粧を取り入れたり、それこそアジアテイストで試験を突破したいと思ってる。でもね、彼女が好きなのはマリリンモンローなの。だから、試験に通りたければマリリンモンロー的な容姿のモデルを探して、彼女に気に入られるしかないのよ」
と言っていた彼女。
自分の人種や講師の人種に配慮して何かを選ばなければいけない、というのは彼女にとってはもう「当たり前のこと」なのかもしれない、と思いました。
そうしているうちに彼女の姉の家に到着。この時点で22時を過ぎていました。
車内から家の中の様子が見えたのですが、姉の子どもたちも全員起きているようで、家の中では煌々とテレビが光っていました。
そんな中、彼女の娘が出て来て、車に乗り込んだのでした。
家庭のルールや躾は家庭によって異なります。
よって、人の家の躾をジャッジしたい訳ではないのですが、うちにも5歳の娘がいます。
娘は20時にはベッドで寝ます。また、19時以降にスクリーンを見せることはありません。
うちでのルールは厳し方かもしれませんが、彼女の娘が22時に迎えに来られ、家に帰ることは少し衝撃的でした。
そして、翌日は朝からサマーキャンプだと言うのです。何だか複雑な気持ちになりました。
乗り込んできたその少女を見た時、母親である彼女が行きの車の中で、
「うちの娘は今groep2だけど、groep3には進級できないって言われてるの。まぁ、コロナのこともあったから仕方ないとは思うんだけど」
と言っていたのを思い出しました。
オランダでは原級留置はよくあることです。
しかし、何かが私の中で引っかかっていたのでした。
教育で何かが連鎖するようなことがこの国でも起きている。
まさにこれが私がこれまで出会うことのなかったオランダだと感じたのです。
「11月に学校を卒業したら、その後はどうするの?」
と聞いてみました。
とりあえず、卒業証書にはあの学校の名前が入っているから、それを持っていたら何かしら仕事はできるかな、と思っている。と彼女は言っていました。
最初はmarktplaatsやオンラインアプリを通して顧客にアピールして、定期的に顧客の化粧をしていくことから始める。と彼女は言っていました。
そこに需要があるのか、私にはわかりません。
彼女が本当にしたいと思ったことが「メイクアップ」で、こんな風に子育ても大変ながら学校に通い、学校で習得した技術を持って社会で子どもと生きていく。
これが彼女が描いた人生プランの一つなのだ。と思いました。
大人になり、やっと自分のやりたいことが見つかった時、やり直しのきく社会は素敵な社会だと思います。
しかし、やり直せたからと言って、それが安定した仕事に直結するとは限りません。
また、彼女はtiktokやsnapchat、WhatsAppのステータスを更新することが「生きがい」だと言っていました。
そうやって自分の生き様を更新し、多くの人たちに「いいね」をもらうことが、彼女の「生きがい」だということを理解するのに時間はかかりませんでしたが、その感覚は私が教えていた高校生と全く同じものだったので、少し驚きました。
決して「丁寧」とは言えない運転の中、彼女は私を家まで送り届けてくれました。
「今日は本当にありがとう!」
そう言った彼女と、後部座席に小さく佇んでいた少女に手を振り、私は23時頃家に着いたのでした。
決して自分の人生と彼女の人生を比較したい訳ではないのですが、
正直な話、私は彼女と日常生活で交わることのないエリアに住んでいます。
彼女が、
「私はこのエリアには来たことがほとんどないの。ここに住んでいる人たちは自分たちのことを神様か、どこかの王様かと思っているんでしょうね」
と呟いた言葉には、オランダという国の抱える問題が隠されてる、と感じました。
彼女や彼女の両親のような移民がオランダに来た経緯は、私たち日本人が移住する経緯とは全く違うものです。
そして、オランダはその両極端の移民を抱えながら、自国民をも抱えています。
オランダの教育に対してポジティブな印象を持ち移住してくる日本人の持つイメージは、結局のところ、「白人の人々が受けている教育」なのかもしれません。
しかし、実際のところ、オランダが抱えている教育の問題はもっと違うところにある。ということを知識としては知りながらも、私はそういった人たちと交わらずに1年を生きてきました。
そして今日、やっと「オランダが抱える問題」に少しだけ触れることが出来ました。
これは、私が望んでいた経験です。
オランダが抱える「移民と経済格差と教育格差の問題」に近づくための経験です。
「オランダに教育環境を求めて移住してくる人たちの気持ちがわからない」
時にオランダに長く住む人たちがそう言います。
しかし同時に、そういった人たちには、
「自殺者数が世界トップクラスの日本で働き、生きにくさを感じる人たちの気持ち」
を汲みとることは難しいかもしれません。
そういった社会で子どもを育てたくない、と思い移住を考える保護者の気持ちも。です。
どちらにせよ、両者の考え方には正解や不正解はない、と感じます。
何故なら、人は同時多発的に生きることができないから、かもしれません。
今回の経験は私にオランダという国をさらに教えてくれました。
そしてこの経験は、
「片目を瞑って通り過ぎることのできる事実」
だと思っています。
つまり、オランダに移住してきた私は、自分の生きている周辺地域に身を置き、
オランダの抱えるあらゆる問題に対して片目を瞑って生きることができる。
ということです。
でも、私はこの国で生きている以上、片目を瞑りたくない。
と、今回の経験を通して強く思いました。
オランダの良い部分にだけフォーカスをした生き方をしたくない。
そんな風に思ったのです。
私の視線の先には、彼女の一人娘と私の娘が立っています。
国籍もバックグラウンドも異なる子どもたちが「より良く生きる社会」はどんなものなのか。
その答えをこの国の問題点から学びたい、と思うのでした。