【オランダ/ハーグ】オランダの小学校1年生、新学期はじめの1週間で感じたこと
こんにちは!
新学期が始まって約1週間が経ちました。娘は相変わらず毎日楽しそうで、「明日も学校楽しみ!」と言っています。
日本で言うところの小学校1年生の保護者として、娘の学校の過ごし方を見てきた1週間。
今回は、教育者として、保護者として気付いたことについて書きたいと思います。
「切り替える」ではなく「ゆっくり慣れる」
「今日から新年度、みなさん切り替えていきましょう」
日本で暮らしていると、新年度や新学期にそんな言葉を聞くことが多かったように思います。しかし、娘が小学校に通い始めて気づいたのは、
「急激な変化を最小限に抑えようとする学校の努力」
のようなものでした。
それはつまり、「切り替える」ではなく「ゆっくり慣れる」ということ。
小学校の門前で話をしたあるママは言います。
「子どもたちも私たちも、ゆっくりギアをあげていきましょう」と。
長い夏休みを終えて、急激な環境の変化に富んだ日々を送ろうとするのではなく、それぞれがウォームアップしながらだんだん今の環境に慣れていけばいい。
「節目=切り替え」というより、「変化を緩やかに受け入れていく」そんな姿勢を感じました。
下校前の30分は2つのクラスを混ぜて遊ばせてあげる
前の記事でも書きましたが、オランダにおいてgroep2(年長)からgroep3(小学校1年生)への進級は大きな意味を持つ学校が多いと聞きます。
学校によっては”だからこそ”、異学年学級としてgroep2と3を作り、そのギャップが大きくならないようにしているところもあるくらいです。
この1週間、娘のお迎えに行くと、いつもgroep3の2クラスが一緒に遊んでいました。約40名の生徒たちが、校舎前のエリアで一緒に遊び、クラスの隔たりなく遊んでいるのです。
クラス替えがあったgroep2からgroep3への進級。
子どもたちの中にはまだ今のクラスに気持ちがついていかない子どもたちもいるでしょう。groep1からgroep2にかけて2年間同じクラスで過ごしてきた友達と別のクラスになり、どこか新しい環境に居心地の悪さを感じている子どももいるかもしれません。
だからこそ、最後の30分は2つのクラスを混ぜて遊ばせてあげる。
離れてしまった友達とも一緒に遊べる時間を設けてあげるという配慮とも言えます。子どもたちが前のクラスの子同士で遊んでいるのを見ると、この時間は子どもたちにとって「安心できる時間」なのではないかと感じました。
2つのクラスの間にある「共有スペース」
groep1〜2にかけては、基本的に「あそび」が学校生活の核になっていて、学校にある教具で子どもたちはとにかくたくさん遊びました。
groep2の頃、娘の通う小学校では金曜日は2つのクラスのドアが開き、お互いの教室間を行き来できる日がありました。つまり、クラス単位ではなく、学年として交流できる日があったということです。
そしてgroep3になり、行き来できるドアがなくなった今、2つのクラスの間には「共有スペース」なるものが存在しています。
それはつまり、自由度の高い時間の時に、2つのクラスの子どもたちがその場所を使って交流ができる場所ということです。
その共有スペースを指差し、娘は、
「ここで、◯◯とか△△(前のクラスで同じだった生徒)とも遊んだりできるからね!」
と嬉しそうに話していました。
つまり、2つのクラスをつなぐ「共有スペース」が娘の心の一部を支えているのです。
門で行き渋りをしている子どもの存在
groep2からgroep3への環境の変化が子どもたちの心の負担にならないよう、学校側はかなり配慮をしてくれているように感じる私ですが、娘の学年には、朝の見送りの際に泣いて保護者の元に戻りたいと言う子がいます。
そんな時、先生たちはどのように対応しているかというと、決して子どもを保護者の元に返すことはしません。(というか、柵があるので物理的に柵を越えて保護者の元に戻ることが難しいのですが)
これにはオランダの義務教育における出席制度が関わっているというのもあると思いますが、「来たくないなら帰ってもいいよ」とはなりにくいのが事実です。
柵に顔をつけ、保護者の手を掴んでいるその子を見て、担任の先生は他の20名程度の生徒たちから少し離れ、その子の元に足を運びます。そして、その子の顔を見てゆっくり話をしていました。
しかし、その子は泣き止まず、保護者の元に行きたいと泣き叫びます。その時、先生はその子の手を取ろうとしたのですが、その子はその手を振り払い、校内にあるベンチに座りました。
そこに校長先生がやってきて、一緒にベンチに座り、しばらく話をしていたようです。その間に、担任は子どもたちを連れて校舎へ入っていきました。
こんな時、私たちが教師であればどういった行動を取るでしょうか。私はこの様子を見たとき、改めて教育現場における「余白」の必要性を感じました。
つまり
「みんなが学校に入るのだから、あなたも切り替えて学校に入りなさい」
と、余白がないことを子どもに押し付けようとする学校は、全ての子どもにとって安心安全な場所ではないと感じるのです。
もちろん全ての学校においてこの状況が当たり前だとは思いません。しかし、私が話をしてきた学校の先生たちは、教育における「余白」の重要性を強く主張されてきました。
一人ひとりの子どもに寄り添える余力を残した学校でなければ、子どもたちが持つ個々の成長や発達に十分に寄り添うことはできないのです。
日本の教育に「余力」はあるか?
私は高校現場にいたため、日本の小学校の様子はそこまでわかりません。
でも、この国の教育を見ていて、子どもの成長に対して「緩やかな変化」を受け入れる、教育や学校側の「余力」の大切さを感じています。
子どもたちに対して過度な協調性を強いることなく、一人ひとりの緩やかな成長に寄り添えるように場を整える。それは言葉にすると簡単ですが、実際の教育現場で行うことがどれだけ難しいことかが私にはわかる気がします。
群集心理のようなものでひとまとめにして子どもたちを牽引する方が、教育現場では効率が良いということが、経験からわかるからです。
「切り替える」から「ゆっくり慣れる」へ
ゆったりとした時の流れの中で、子ども自身が自分の成長に向き合い、何かに焦らされず、強制されず、自分のペースで前へ進んでいく。
日本が完全にそこへシフトする必要はないかもしれませんが、この国の教育から少しエッセンスをもらっても良いのではないか。
夏休み明けの自殺者が多いと言われる日本の社会と教育にできることを考えています。
この記事を書いたボーダレスライター に
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税所 裕香子
Yukako Saisho
- 居住国 : ドイツ
- 居住都市 : ザールランド
- 居住年数 : 1年
- 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
- 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン