【オランダ】”積極的不登校”という言葉がないオランダで

こんにちは!

最近、教育の記事を読んだり、clunhouseなどを訪れると、

「学校って行かなくてはいけないものだろうか?」
「自分が行きたくないと思う学校に”行かない権利”もあるのでは?」
「不登校ということばが良くない。積極的不登校でいこう」

というような記事や会話を耳にすることがあります。

“学校に行かない権利”という概念はどこからきたのか。
これは私の勝手な予測でしかありませんが、この概念は他国の“ホームスクーリング”というところからきているのではないかと思っています。

ホームスクーリングが認められている国は世界に数多く存在します。
しかし、私がここオランダに来て驚いたのは、こんな自由な国であるオランダではホームスクーリングが原則認められていないということでした。

オランダは何故、ホームスクーリングを原則認めないのか。
何故、子どもたちに学校に在籍することを求め、そうさせない保護者には罰金を課すのか。
今回の記事では、私がこれまで先生たちや校長、保護者の人たちにインタビューをして見えてきた「積極的不登校」という言葉を持たない国の教育について、自分なりの考察を述べたいと思います。

まず前提として、オランダでは小学校が選べる

まず、”大きすぎる前提”として、オランダの公教育には学区制がありません。
よって、子どもたちは「ここに通ってください」と言われるような学校を指定されることがありません。
また、学区制ではないことで、学年の途中であっても転学が自由に行われます。家庭によっては片道30分かけて小学校に通うことがあったり、学校から数分のところに住んでいる場合もあります。

つまり「合わなければ学校を変えられる」ということは、全ての子どもたちと保護者にとって「自由である」という教育選択における安心感を与えていると思います。

ただ、個人的には北欧のフィンランドが本当に理想的な公教育を行なっているのではないかと思います。フィンランドは学区制であり、且つ、「どの小学校も教育水準は変わらない」を目標にしているのです。これはつまり、教員養成を大切にし、質の高い教育を実践できる教員をどの学校にも配置できる仕組みがあるということでもあります。地域性や格差を教育と結びつけないための努力がそこにあると思います。

学区制ではないデメリットは

オランダで考えられる学区制ではないことによるデメリットは、(良い意味でも悪い意味でも)学校間の競争が起きるということかもしれません。人気のある学校には良い人材と多くの生徒が集まりやすく、そうではない学校からは教員が去り、生徒が減少していく…選択の自由があるため、これを「不平等」と考えない国がオランダです。
淘汰される学校は、そうなるべくしてそうなった。つまり、魅力ある学校づくりのための経営を行えなかった、怠ったということになります。

また、地域の経済格差がその地域の学校の質を決めることにつながってしまう恐れもあると教師たちは言います。つまり、移民が多く住んでいる地域には移民の子どもたちが集まる学校が集中してしまい、学校の質が担保されにくい…これはつまり、移民の学力が低いという意味ではなく、学習言語がオランダ語ではない子どもたちを指導する難しさが、学校にのしかかるということです。もちろん政府は、難民や移民の数に応じて教員の負担が増えることを考え、そこにより多くの予算を費やそうと努めています。

オランダでは公教育期間に無断欠席を続けることは難しい

先にも述べたように、オランダでは原則ホームスクーリングを認めていません。オランダ国内に暮らす子どもたちは、皆等しく学校に在籍する必要があり、各自治体はその情報を管理しています。

また、政府の情報によると、学校における生徒の欠席状況は自治体の子どもの欠席管理機関とつながっており、学校に連絡のない無断欠席が続くと、学校と自治体はそれに対してアクションを取らなければいけないとされています。学校に行かない理由はどこにあるのか?それを探る必要があるのです。

子どもの教育に関わる問題(特に無断欠席)を学校だけに預ける仕組みになっていないのは、学校を無断欠席する背景には家庭の問題があり、その家庭の問題とは社会の歪みによって生まれている場合が多いと考えられているからです。

よって、義務期間中に保護者が子どもに学校を欠席させる場合、その責任は保護者にあります。明確な理由がないことによる長期間の欠席は認められず、最終的には罰金刑となります。

「不登校」の原因を探り解決に導くのは、保護者、学校、自治体

オランダはearly school leaver(ESL)と呼ばれる、学校を途中で辞めてしまう生徒たちの増加が問題になっています。無論、これは高等教育後期(義務教育後)に入ってからの話ですので、義務教育期間は入っていません。

しかし、このESLのきっかけはもっと早い段階に表れ始めているのではないかということで、義務教育期間中に不登校となる可能性の芽を摘み取ることにも尽力しているように見えます。

オランダの学校で働く教師が口を揃えて言う”学校”とは「誰にとっても安心安全な場所」。よって、そこに「行きたくない」「行くことができない」という問題に対して、学校はその環境改善に全力で取り組まなければいけません。さもなければそれはまた学校の評判にもつながります。

また、それは学校だけの役目ではなく、保護者と学校、そして欠席情報を管理する自治体も大きな役割を担っています。つまり、手を取り合って子どもを学校に戻せるようにするには、今ある現状をどう工夫すれば良いかということを話し合うのです。

ここにある前提は「学校は行きたくなる場所でなければいけない」ということ。子どもの「行かない権利」を認めるのではなく、「行きたくなる場所に学校が変化する」という達成に向かって、保護者と学校と自治体という「責任ある大人」が手を取り合うことが求められます。

「学校に行かない」ではなく「行けない理由」を専門家の視点で

オランダの子どもたちが学校に「行けない」とされる状況になる前には、保護者と学校、そして自治体が何とか学校に戻るための道を模索する訳ですが、それでもその道が開かれない場合があります。

例えば、深刻な怪我をして物理的に通学が困難な場合や、精神疾患を患っている場合です。ただ、この「精神疾患」という診断を受ける前に、相当な努力を保護者と学校、自治体が行うことで、診断を受ける子どもたちの数は抑えられる傾向にあるのではないかと思います。

子どもが精神疾患を患っている場合は、しかるべき検査が繰り返され、やっとその診断書が発行されると聞きました。オランダは町医者制度を採用しており、風邪などの病気は一旦そこで診てもらいますが、子どもの精神疾患に関してはこの医者に診てもらうことは許されません。つまり、子どもが学校に通わないという選択肢を簡単に認めることが出来ないような仕組みになっているのです。

オランダがホームスクーリングを原則認めないのは

オランダという国は義務教育期間中に子どもたちが学校に在籍することを基本的に義務としています。同性結婚を世界でいち早く認め、大麻の非犯罪化や、結婚とほぼ同等のパートナー制度を導入し、セックスワーカーの権利も認める…これだけ聞くと「自由な国」に見えるオランダが何故ホームスクーリングを原則認めないのか。

それは、私が感じるところによると、
「異なる人々が集まりさえしない場所(学校)に対話は生まれない」
ということなのではないかと思っています。

つまり「行かない権利」を簡単に認めず「行く(行きたくなる)権利」を行使できる社会へと変化する努力を、周囲の大人で形成するということです。

何故、「行く(行きたく)権利」をそこまで大切にするのか。
それは、学校がさまざまな子どもたちが集まり、対話を通して問題を乗り越えていくための素地を作る場所だからです。

移民だけの問題ではなく、そもそも人間はそれぞれ異なります。
人間が前に進み、何かを変化させていく時、私たちは対話を通じて話し合わなければいけません。
異なる価値観も、考え方も、宗教も、全てのトピックをテーブルの上に出し、それがどれだけ大変でも、互いの存在を認知し、より良い未来形成のために対話を続けていかなくてはいけないのです。

その対話のテーブルに現れない(学校に来ない)ということはどういうことか。それを簡単に許してしまうことはどういうことか。

….その代償は「分断」としてまた自分たちの社会に戻ってくる。

この国は、教育から対話を奪うことの罪深さを理解しているのだと思います。

「行く(行きたくなる)権利」をもっと大切にするために

「学校は全ての子どもにとって安心安全な場所であるべきだ」
そういった目標を掲げることは簡単ですが、実際そういった学校経営をすることは言葉ほど簡単ではありません。

しかし、「学校に行きたくない子ども」に罪はないのです。
そして本音を言えば、楽しいところなら誰だって行きたいのではないでしょうか。

そういった場所に学校がなるために、オランダでは保護者、学校、自治体がそれぞれが思考し、その立場でできることを考え、手を取り合っているように見えます。
そして、思考できる人間の行動がきちんと結果に繋がるように、仕組みも存在しているのです。

私は今の日本の現状において「学校に行かない権利」にスポットライトが当てられていることに悲しさを感じながらも、学校が安心安全な場所ではないことについても問題を感じています。

世界一幸せと言われる多くのオランダの子どもたちにとって学校は毎日行きたいところかもしれません。
しかし、そのために尽力しているのは、いつもアクションを起こし続ける大人なのかもしれません。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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