【日本】コロナ禍で活きる学校のICT化

2021年が明けました。

様々な変化が訪れた昨年でしたが、おかげさまで、我が家は家族全員元気に新年を迎えることができました。
明けましておめでとうございます。

今年もまだまだこの先どうなるのやらという世の中ですが、先がどれだけ見えなくても、子どもたちは日々成長していきます。
その日々の積み重ねが、確実な未来に繋がっていく。

その思いを込めて、新年早々の記事を。

Apple Teacherの存在

長女の通うPYP認定校の私立小学校では、日本の公立小学校ではまだまだ普及していないICTが充実しています。
充実しているというと、もしかしたら語弊があるかもしれません。
全ての最新ICT設備が揃っている、というのではなく、新しい技術を次々と取り入れていこうという姿勢がある、といった方が正しいかもしれません。

ICTに力を入れている私立の学校がそれぞれに導入しているシステムは、学校毎に異なると思うのですが、長女の学校では、Apple社製品でのICT機器が整えられています。
教員や子どもたちが使用するタブレットはiPadで、授業内で使用するアプリケーションもそれに準じたものです。(小学校4年生からはiPadを各家庭に一台、学校を通して購入必須です。低学年の間も、宿題でタブレットやスマホなどの端末を使用することが多々あるため、ほぼ全ての家庭がすでにタブレットを所持している状態だと考えられます。)

そして、それらの基本的な使い方や、よりアクティブに活用するための指導を、Apple Teacherの資格を持った教員たちが担ってくれます。(Apple Teacherとは、Apple製アプリケーションを使うために必要な基礎を学び、Apple社からの認定をもらっている教育者のこと)

学校現場だけに限らないのですが、いくら最新のシステムを現場に導入しても、それを100%使いこなせなければ、それは導入していないことに等しいくらいの残念さです。
結局のところ、ICTの問題はシステムの問題というよりも、いかに使うか、どのように活かすか、それを使用する“人”の問題だと思っています。

しかし人の問題以前に、日本の公立学校では諸外国に比べて、俄然ICTの導入が遅れていると感じます。ICT機器の導入がないのはもちろん、Wi-Fiが飛んでいない学校が当たり前に存在しています。
この時代に、です。
学校の外に出れば、今やどこにでもWi-Fiが飛んでいるこの時代に、です。
デジタルネイティブ世代と言われる今の子どもたちが、学校の外では世界中にアクセスできるデバイスとWi-Fi環境を当たり前としているこの時代に、学校の中でだけ、デバイスもWi-Fiも与えられていないのは、どう考えても違和感しか感じません。

iPadを使った授業の現状

長女の学校では、IBカリキュラムの核である探求学習ではもちろん、EnglishやMathの授業でも積極的にiPadを使用して、学んでいきます。(校内Wi-Fiはもちろん完備です。)
入学直後の説明会や、授業参観、娘からの話によると、一人に一台iPadを配られて学びを進めるときもあれば、二人に一台、もしくは数人のグループに一台が与えられて、ディスカッションを踏まえながら学びを進めることもあるようです。

具体的にどのような使い方をしているかというと、私が知る範囲では、Englishでは、洋書を読むアプリで音読をしたり(教員が生徒の読書量やレベルをチェックできる)、スペルや発音を鍛えるアプリをゲーム感覚で行ったり、Mathでは、形を学ぶためにiPadを持ち校舎内を散策して目的の形を見つけたら写真を撮ったり、数値をグラフに変換したりなど、机を前に椅子に座って全員が黒板を向いて、先生が板書するものをノートに書き写して覚えた気になる、という授業方法よりは、圧倒的に楽しそうな方法で、必要なことを学んでいます。

さらに、一年生の時から、当たり前のようにkeynote(windowsでいうpower pointのようなプレゼン資料作りに適したアプリケーション)を使って発表資料や提出資料を作成しています。
必要な画像の取り込みや切り貼り、アニメーションの挿入など、娘のiPadを使う手さばきは、完全にiPadネイティブ 笑。
文字の打ち込みは、日本語の場合はかな入力ではなくローマ字入力なので、一年生にしてキーボードを使いこなしていました。(英語で文章を作成するときももちろんあるので、英単語をアルファベットで入力することも手馴れたものです)私自身が小学一年生の頃を思い返すと、、、、、驚愕の差!でもこれは、時代の流れとともに生まれるべき差なのです。

もちろん、学習の方法として、ノートやプリントに鉛筆で書くことはあります。漢字の学習や、Mathの計算練習は、ノートに書き込んでいます。
探求学習における最初のステップのアイディア出し・仮説を立てる段階では、紙面に鉛筆を走らせていることが多いようです。(持って帰ってきたノートやプリントを見て推測するには)

学びの全てがタブレットで完結するものではありません。
ただ、両者のメリットをしっかりと把握して、学習内容に対してどの学び方が適切かを、その都度考え迷いなく実行する、その姿勢が教員や学校側には必要不可欠なことだと思います。

コロナ禍におけるオンライン学習

そのようなICTを活用した学びがある日常の状況があるからこそ、新型コロナの影響により休校を余儀なくされた期間には、小学生にしては比較的スムーズにオンラインでの学習に移行できた気がします。(オンライン学習に戸惑ったのは、子どもたちではなくデジタル世代から程遠い親たちでした 苦笑)

娘たちが行っていたのは、YouTubeなどでの配信動画での授業や、Zoomのようなオンライン会議システムを使った、オンライン授業ではありません。
各家庭での学習をサポートするようなオンライン学習アプリを使用して、タイムリーに文字で教員とのやりとりを行ったり、課題を受け取ったり提出したり、といった学習でした。
家庭内での親の負担も大きく(低学年ですし、子ども一人でのスケジューリングや課題をこなすということ自体に難しさがある)、私含め、ママ友たちの間で何度か愚痴が吐き出されましたが苦笑、それでも、この急に訪れた休校期間に、学びが完全にストップしてしまうことなく継続できたことは、子どもたちにとって重要なことであったと感じています。
もちろん、子どもが幼ければ幼いほど、信頼できる教員やクラスメイトとの対面授業に勝るものはないと思っていますし、オンライン学習ではなくオンライン授業も含めて、よりよく行うための改善策は多々あるとも感じました。

ウィズコロナの社会生活が定着しつつあり、色々な意味で時代が変化し続けています。
教育現場はその変化についていくべき、むしろ未来をつくる子どもたちが育つ場として、時代を先取りするくらいの変化で進むべきだと、個人的には思っています。

どのような社会的変化が起きても、子どもたちの学びが継続できるよう、そこにこそ、教育に携わる大人たちは知恵を絞るべき。
これこそ、今後の未来におけるAIにできなくて人間にできる頭の使いどころ。
AIにはできないアイディアを生み出し、自分たちが生み出してきたAIを駆使して、社会的変化のしわ寄せが及んで学ぶ場を失われてしまう子どもたちに、何ができるか。

子育て真っ最中の教育に興味関心が高い、いち大人として、2021年も考えていこうと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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