【オランダ】再びのロックダウンと状況的学習

シンタクラース祭が終わってホッとしたのもつかの間、ここへ来て1万人に到達したコロナ感染者…ついにハードロックダウンになってしまったオランダからこんにちは(泣)

教育は最優先事項ということで、3月のロックダウン以降小学校が閉鎖されることはギリギリ免れてきましたが、ここへきて再びの学校閉鎖…変異種のニュースなども見聞きして、今後どうなるか予測がつきません。
今現在はクリスマス休み真っ最中ですが、1月4日からスタートするはずだった学校は最低でも2週間のホームスクーリングとなります…

学校でのKerstmis(Xmas)!

シンタクラース祭が終わった途端、教室内が星や電飾でキラキラとデコレーションされ、もちろんクリスマスツリーも飾られて、校内は一気にKerstmisモードとなりました。
ロックダウンがなければ、娘たちは学校で開催されるクリスマスディナーを初体験する予定でございました。

ドレスアップして夜に学校へ集合し、クリスマスデコレーションされた教室内でディナーを食べるという、ちょいと大人になったようなドキドキワクワクのクリスマスイベント!
娘たちは着ていくお洋服やアクセサリーをあれでもないこれでもないと選んで楽しみにしていたのですが…。来年こそはデビューできると良いです。
 グループ1(日本でいう年中さん)の次女は、ディナーテーブルに飾られる予定だったキャンドルを登校最終日に持ち帰ってきました。

上級生が教えてくれて一緒に手作りしたそうです。

ワタクシはこれまでクリスマスキャンドルを購入するオサレな感性を持ち合わせておりませんでしたが、今後子どもたちが学校で作ってきてくれるのだと思うと毎年とても楽しみです。
キャンドルの火を改めて見つめてみると、どこか厳かな気持ちになってとてもいいですね!!!

(しかしながらこれ、植物も燃えるのでは……?)

そして、ホームスクーリング用に用意されたオンライン教材やプリント等のテーマもKerstmis(Xmas)!

それにしても、キリスト系の学校に通っていたりすると馴染みがあるのかもしれませんが、クリスマスと言えばサンタさんがプレゼントをくれる程度の認識しかなかったワタクシには、シンタクラースだけでなくKerstmisについても初めて知ることが多くあります。

例えば、長女のホームスクーリング用クロスワードパズルの課題に、『goud・wierook・mirre』と答えるものがありましたが、ワタクシ全く思いつかず。

お手上げでオランダ人の友人に聞いたら、それはキリスト生誕時に3人の王様が持ってきてくれたギフトの内容でね〜とすぐに教えてくれました。常識中の常識ですかね…

これまでの日本の生活ではあまり必要でなかったことが突如として日常に噴出するので、とにかくそのつど理解を深めていく以外に方法がない。
移民第一世代の困難はまさにこのようなところにあると感じます。社会におけるヒドゥン・カリキュラムとでも言いましょうか、あえて教えられることのないような至極当たり前のことこそ分からない。
子どもと共に、時間と共に、私も少しずつオランダの文化に参加し吸収していけるかなと、前向きに…。

状況的学習

そしてやはり、3月の初めてのロックダウン時のホームスクーリング生活を思い起こすと、再度あの大変なおうち時間がやってくるのかとどうしてもため息が出ます。

長女は早速1人1台支給されているipadや普段使っているテキストを持ち帰って、先生やお友達とオンラインミーティングなどがありました。

春のホームスクーリング中は、ほとんど毎日オンライン学習やプリント学習をしていましたし、先生とのオンライン授業もありました。
私たちなりにできる範囲でできることに取り組む日々でした。
しかし、登校が再開されてからの、とくにオランダ語習得を主目的としたニューカマークラス に属している長女の勉強の進捗は目を見張るものがありました。持って帰ってきたテキストがいきなり高度になっていたり、新しい単語もどんどん増えました。

日本語だけの家庭環境下のホームスクーリングwith力量不足のオカン とは吸収率が全然違う…
そりゃそうです、何しろ学校の中は100%オランダ語です。授業時間だけでなく、学校にいる時間すべて、「学校内の状況すべてがオランダ語学習」です。

そしてやはり、お友達の存在。
共に学ぶことの刺激や競争、お友だちに伝えたい気持ち、複数人の遊びの中で生じる複雑な関わり。それらの複合的な状況の全てが、長女の学びをグイグイと進めてくれている感がありました。

そこで思い起こすのは、レイヴとウェンガーの『状況に埋め込まれた学習』の遠〜い読書記憶。

『学習について考える時に、知識や技術を個人の内部へと取り込むことのみに注目するのではなく、「参加」という動的・行為的な側面、つまりどのような社会的・共同的な関わり合いが学習を生起するのかを考える必要がある。学習のリソースはその状況全体に埋め込まれており,置かれている場との関係なしにそれ単独で考えることはできない。』

春のホームスクーリング数ヶ月を経て学校へ登校してからの長女の爆発的な吸収力を通して、複雑な学びのネットワークの渦中に在って協働することの意義、まさに「状況的に生起される学習の質的な違い」をまざまざと体感したような気がしました。

でも、ということは…?
家の中だからこそ、ホームスクーリングという状況だからこそ生じる学びも同時にあるということでしょうか。学習への注目の仕方を変えれば、面倒くさがりで力量不足の私と、日本語しか飛び交っていない我が家だからこそ生じている学びをポジティブにデザインすることができるはず です。

例えば、学校で不明瞭だった概念を日本語で考えなおすことによって得られる納得感。
例えば、普段は面倒でさせていない家事やお料理を子供たちと一緒にやることで得られる生活知。

例えば、時間があるからこそ、いつもより多めに積んでいるカプラ!

例えば、時間があるからこそ、いつもより長めに並べているドミノ!

学校と同じことを追求しようとしても、それは到底不可能!
そこはいい意味であきらめて、家だからこそできることがあるのさ〜!
そして何より、イライラしないのさ〜!!←結局これが一番大事か。
そんな決意を胸に、残りのクリスマス休暇をまずはのんびり過ごしたいと思います。

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