【アメリカ / ボストン】日本人母が驚いたボストン郊外のスクール環境とは

多様化した世界に生きる子どもたち

私たち家族が住んでいるのは、ボストン郊外の人口約10万人の街です。
冬にはマイナス10度以下にもなる厳しい寒さですが、緑も多い街並みは四季の移り変わりが美しく感じられる、静かでのんびりとしたところです。
市内には大学が多くあり、世界中から研究者や学生が集まっている国際色豊かなところも、ここの魅力の一つになります。

娘は、そんな街中にある公立小学校に通う4年生。

幼い時から多種多様な環境に溶け込み、さまざまな国籍や人種、性別などに対し何の固定観念や偏見を持たずに育っていけることは、広い視野を持てるという点でとてもラッキーなことだと思っています。

1年生の時の担任の先生は、かっこいいショートヘアにパンツスーツをお洒落に着こなす女性で、クラスの催しにはパートナーの女性を連れてきて「私の妻です」と紹介してくれました。

その他、ママが2人のカップルも普通にいますし、髪を伸ばして女の子の服を着た男の子も、その逆もいますし、パパが主夫で家事育児をこなしてママがお仕事をしているご家庭なんかも全く珍しくありません。

型にはまらず、みんなが自分らしく生きているのです。
とはいえ、全く自由な環境で娘を野放しにしたいわけではなく、ある程度の基盤を与えるのは大切と思ってます。

今は日本とアメリカという2つの文化の中で育っている天真爛漫な性格の娘ですが、多国籍の子どもたちに囲まれているのは日本語を勉強する際の励みにもなっています。

今秋は紅葉が一段と綺麗だったボストンでしたが、ある田舎道にて赤や金色に美しく輝く葉っぱが木々から落ちる様子を見ながら、娘がふと「ものすごく寂しい気持ちになった」と言いました。

それって哀愁ってやつを感じてるんだよ!なんて日本人らしい!!と私は勝手に解釈し(苦笑)、アメリカで育っていても日本人の心も忘れて欲しくない、と常に願っている私は嬉しく思ったりしました。(←完全なる自己満足ですね(汗))

いつか自分のアイデンティティーに悩む時期が来るのかな、なんてことも今から覚悟しています。将来彼女がどんな「自分らしさ」を見つけるのか、見守っていきたいと思っています。

全生徒にパソコン支給!全ての生徒に平等な教育を

学校に話を戻しますと、3月に学校が休校になってからずっとリモート授業が続いています。
夏休みを挟んで9月から進級し新年度が始まりましたが、残念ながらいまだにに学校に行くことはできていない現状です。

思い返せば、学校閉鎖が始まる前日の3月13日、3年生以上の生徒には全員ノートパソコン「クローンブック」が配られました。帰宅した当時3年生(8歳)だった娘のバックパックからノートパソコンが一丁前に出てきたのには、時代遅れな母は正直驚いたのを覚えています。

コロナが始まる前から日常的によく目にする「全ての子どもたちに平等な教育を!」の概念のもと、子どもたちは鉛筆1本でも学校から支給されます。保護者の収入によっては朝ごはん、ランチも減額や無料になります。

「今は学校で会えないけど孤立しないで。コミュニティの輪の中に入って、誰かとつながっていて!」という熱いメッセージを届けてくれたのは市全体にある公立学校の責任者で、娘の学校にも頻繁に足を運んでいる、顔なじみの優しい雰囲気のおじさんです。冷静で迅速な対応と、温かいメッセージはとてもありがたかったのを覚えています。

先生はどんな存在?受け身ではなく能動的な学習環境

肝心の学習内容ですが、この学年になると全ての課題をパソコン上でやることになります。
Google meetを使った朝の会から始まり、各自で取り組む時間あり、グループに分かれて話し合う時間あり、サイトを使ってゲーム感覚で学習する時間あり、動画を見る時間あり。
算数、英語、理科、社会の他に曜日ごとに図書、体育、図工、音楽もオンラインでこなしています。

授業の様子を側から聞いていて感じたこと、それは担任の先生と生徒との距離関係が日本に比べて近いということです。
また子どもたちが積極的に発言しやすい環境がある、というのもその根底にあると思います。

娘の学校では、プロジェクトベースの学習方法が基本になっていて、生徒たちが自律的にリサーチして問題解決を目指します。その中で質問や意見があればすぐに発言するという学習スタイルが定着していて、先生も子どもたちその質問に真剣に付き合ってくれます。時には笑いとともに冗談や雑談話を交えながら、娘は授業中に質問や発言することを楽しんでいる様子すら伺えます。

共働きやシングルペアレントの家庭環境も考慮されているのでしょうか、家にいるからといって授業中に親が手助けをしなくてはならない状況はほとんどなく、子どもたちが自発的に助けを求め、話し合い、一緒に解決します。

土曜日の日本語補習校では、教壇に立って授業をする先生のお話を一方的に聞く受け身の授業スタイルなのに対し、こちらは主体的で能動的な学習方法なのが印象的です。
幼い頃は引っ込み思案で奥手だった娘の殻を破ってくれたのは、この環境のお陰だったと思っています。

日本で育った私から見ると、先生に対して随分と馴れ馴れしいな、先生とおしゃべりしてるけどちゃんと勉強してるの?なんて思ったりもしますが、子どもたちと先生が和気あいあいと意見を言い合ったり、話し合ったりしている姿はとてもたくましく微笑ましいものです。
客観的に見ていると、こんな経験を積み重ねてコミュニケーション能力や分析力、判断力などを身につけていけるのではないかと感じられます。

リモート授業はこれからも続きそうですが、早くみんなが笑顔で学校に戻れる日が来ることを願うばかりです。

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