【カンボジア】個性を認めてくれるインターナショナルスクール

カンボジアは休校が続き、オンライン授業の毎日ですが、週に一度1時間だけ、クラス日替わりで、登園できる事になりました!

幼稚園のプレイグラウンドで体育のコーチと30分の運動をして、その後30分はフリータイムで先生やお友達と遊べるんです。
ありがたくて涙が出そうになりました。

3歳の次男は、朝早くから幼稚園用のリュックに水筒を入れて、自分で背中に背負ってスタンバイ!幼稚園に行けるという喜びで、ドキドキワクワクしているのが伝わってきました。

いざ、幼稚園に到着して、先生たちと顔合わせたときの次男の顔は、少し成長したお兄さんの顔!
自分から手洗いをして、先生と手を繋いで、スタスタと幼稚園に入っていく背中を見送る時には、私の心の中には嬉しい気持ちと寂しい気持ちとが混在していました。

さて、本題にはいりますが、次男が遊んでいる間、私は、担任の先生とParent Teacher’s meetingでした。これは、担任の先生からの一年間の振り返り報告の個人懇談です。
先生の英語を理解できるか、私もドキドキワクワク!結果、先生の話は、6割くらい理解できたと思います。

担任の先生からの報告と、私が感じたこと。

  • J(次男の名前)は、並ぶとき一番前に行きたがる。1番になれないときは本気で怒り、どうやって一番前に並べるのかを考える力がある。賢い!
  • 食事のマナーは素晴らしい。パスタは先生の真似をして、スプーンの上でフォークを使って丸めている。食べたくないものは、「No yucky」と言っていた。賢い!
  • 帰りの支度は速く、自分でリュックを取りに行って一番に並ぶ。素晴らしい!
  • プールの授業は、マイペースで楽しんでいた。特に、背泳ぎは怖がる子が多いが、Jは、空を見上げてリラックスしていた。面白い子だ!
  • 英語は理解できている、先生の話をよく聴いて、周りも見ている。英語を思った様に話せないが話そうとしているのが伝わる。賢い子だ!

といった具合に、褒め褒めシャワーでした。
無理やりいいところを褒めるという感じではなく「この子だから、こうできて素晴らしい」という褒め方でした。

動物に例えるとキリンは首が長いから、「高い木の上の葉を上手に食べることができる」
ゾウは鼻が長いから、「川の水を上手に飲むことができる」
と言った様に
この子だからこそ、これができる!という、それぞれの子が持っている特徴(個性)を活かすことができたことを褒める褒め方は、日本にいる時は、なかったなぁーと今だから思います。

どちらかというと「この子は、給食を食べる終わるのは一番だけど、好き嫌いが多いのでお家で練習してください」という、
それぞれの子が持っているみんなとの違いを、みんなと同じことができるようになるために穴を埋める褒め方が多かったと感じます。
いや、褒められてないのかもしれない(笑)

そして、私の記憶を辿ると、私が子どものころ、学校で自己紹介をするときには「自分の長所と短所」を話すよう教えてもらった記憶があります。

先ほどの動物に例えると「私はキリンなので、高い木の上の葉を上手に食べることができますが、ゾウのように、水を上手に飲むことができません」と言っているような・・・。
それ、ゾウじゃなくてキリンなんだからできなくて当たり前って思いませんか?

短所ってなんで伝える必要があるのだろう?と今思うと不思議です。
「私は、楠川 めぐみです。教育は共育がモットーで、海外で子育てを楽しんでいます」で良いのかも。

長所と短所を伝える理由は、
”先生に勉強を教えてもらう”というスタイルの学校教育には、
「できるできないの評価(何ができて何ができないのか)」は必要だけど、
「個人の特徴(それぞれの好きなことや得意なこと)」は必要ないからなのかもしれません。

私は、『 我が子の特徴を見て欲しい』と思っていたので、海外でインターナショナル幼稚園に行かせて、日本の公教育とは異なる視点での教育を選択したことは、よかったと思っています。

どちらが良い悪いではありませんが、私の共育スタイルや子育てスタイルには、『個性を認めて、生かしてくれる』今の海外生活が合っています。

動物のように、生きていくのに必要な個性というのは、認めやすくてわかりやすいと思います。自分の個性を生かさないと、食べることができずに死んでしまうかもしれないから。
人間は個性を生かさなくても、死ぬことはない…。でも、歯科衛生士を長年やっていて、病気という形で体には現れていると思っています。
その経験談も、今後お話ししていきたいです!

3歳次男のオンライン授業。
先生とのメールで、「数字を英語で数えている」と報告したら
数字カウントの絵本を読んでくれました。

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