【オランダ/ハーグ】6歳の「…でも、自分のことは自分で決めていいよね?」に保護者としてどう向き合うか

こんにちは。
先日、娘の誕生日会にお友達を誘った時のエピソードについて書きたいと思います。子どもの「自分で決める」を保護者としてどこまで尊重してあげられるかの話です。

もうすぐ娘の誕生日!誕生日パーティーをすることに

娘はもうすぐ誕生日を迎えます。オランダの多くの子どもたちにとって「誕生日」はとても特別な日だと聞きます。自分から「私は今日誕生日です!」と知らせることで周囲から祝ってもらう日でもあるようです。

「自分の誕生日を知っている人に祝ってもらおう」というよりは、「今日は私の誕生日なので、みんなにおやつを持ってきました〜!」という感じで、”traktatie”と呼ばれる「ちょっとしたお土産」のようなものをクラスに配るのが多いオランダの誕生日文化。そして、みんなに誕生日の歌を歌ってもらったりするのです。

娘も自分の誕生日にはもちろん”traktatie”を配るつもりで、「何が良いかな〜」と一緒にお店やインターネットで探してきました。娘の予定は、

・誕生日当日にクラスでtraktatieを配り
・学校の友達数人を誘って誕生日パーティーをやって
・日本人で仲良しの子どもたちとパーティーを開く

と3日コースなっています…あぁ、考えただけでお金がかかりそうだし、手間もかかるぅ…

招待状を書いてみんなの予定を確認

文字を書く練習もしているので、せっかくだからパーティーの招待状を書こう!と、全部で15人分くらいの招待状を書いた娘。学校で配る!と張り切って2日に分けて配りましたが、オランダの6歳児たちが果たして本当にそれを親に渡しているかはわからないので←
フォローアップとして、保護者にもパーティーのお知らせをWhatsApp経由で送っておきました。

「お誘いありがとう〜!で、何が欲しいとかある?」
そうやって聞いてくれることが多い周囲の保護者たち。娘に聞いた後、心置きなく「これが欲しいみたい〜」とお伝えしています。

行けるかどうかわからない友だちが…

そこで娘が最も仲良くしている男の子のママから連絡が。

「お誘いありがとう!でも実はその日、親戚一同で集まる予定があって…でも何とかできるかも…いや、どうかな…とりあえず、返事はいつまでならいける?!ちょっと猶予をちょうだい!!」

とのこと。ありますよね、こういうことは。
だって、週末は月に8日程度しかないんだし。予定もかぶります。

「全然問題ないよ〜!残念だけど、家族のことならそっちを優先しないといけないこともあるだろうから、ご心配なく!パーティーの1週間前くらいには出欠がわかると嬉しいかな?」

と、伝えておきました。

翌日ママが話してくれたこと

その翌日、学校でそのママに会って立ち話をしていると、

「話をしてみると、やっぱり本人はパーティーに行きたいみたい。そりゃそうよね〜。”大切な友だちの誕生日パーティーだから絶対に行きたい”って言ってたよ。“僕の友だちのパーティーなんだから、僕が行くかどうか決めて良いよね?”って。うん、そりゃそうだ。あの子は何も間違ったことは言ってない。もちろん尊重しなくちゃね。」

そんな風に教えてくれました。

“僕の友だちのパーティーなんだから、「僕」が行くかどうか決めて良いよね?”

これをきちんと受け止めているママの姿に「おぉ〜」と思いました。

「大切なお友達のパーティーかもしれないけど、そもそも家族の予定は前から決まっていてね…」と言わないんだ…?!と思った次第です。

「自分のことだから、自分で決めていいよね?」

実はこの言葉、周囲の保護者から本当によく聞きます。
時には悩みとして、時には笑い話として。

娘に聞いてみると学校でも先生にそう言われることが多いとか。視察先の学校でも先生たちが生徒に声を掛けている様子をよく見ます。
「自分で決めてやってみるといいよ」と。
「自分で考えて試しにやってみたら?」と。

話を保護者に戻すと、子育て中の彼らの多くがこの言葉に全く悩まない訳ではなさそうです。うちの娘も6歳ですが、話し合いが長くなってくると、よくこの一言を言います。

「…お母さん、私のことやから私が決めて良いやんな?」と。

そして、多くの場合「(ちょっと沈黙)…うん、そうやな!」と言うようにしています。例えそれが私が望まないことでも。かなり「そうじゃないのにな〜」と思うことでも。とにかく「自分で選んで責任を取る」という練習をしてもらうように気をつけています。大人の都合で子どもを無理に誘導しないように。

もちろんこれは極端な話、
「私は人を傷つけたいから、殴っても良いよね?私のことだから私がどうするか決めて良いよね?」
ということには当てはまりませんし、
「私は夜に歯は磨かない。私の歯だから私がどうするか決めて良いよね?」
ということでもありません。(我が家の場合)

ただ、子どもには子どもの社会があって、友人関係があって…というのを尊重しているという親の姿勢を見せることなのかもしれません。この考え方はゆくゆくは子離れ、親離れにとても有効的だと思っています。だから、そのために今から練習しておくというイメージを持つようにしています。

「…でも、本当は色々言いたい親心」を乗り越える

それでももちろん色々言いたいのが親心。自分も同じ失敗をしたことがあるからこそ結果が明白であったり、わざわざ非効率な方法を選んでいる様子にイライラしたり、少し考えればわかるのにそこに考えが及んでいないことを言ってしまいそうになったり…

きっとこれから先、娘が進路を選ぶ時、仲良くする友だちを選ぶ時、何か大きな選択をする時など、親として見ていて「あぁ、そっちかぁ〜…」ということはたくさんあるでしょう。

でも、その時に自らの力で選び、その選択に責任を持つようになるためには、小さい頃から「自分で選んだら良いよ」という機会を何度も何度も繰り返し与え続けることが必要なのかもしれません。少なくとも「この助言もあなたのためなのよ!」なんて言葉をぶつけて、(実は)親としての欲求を満たしている…なんてことはしたくありません。

私の周囲の保護者に子どもの人生に望むことを聞けば、ほぼ100%「幸せに生きてくれること」と返ってくる理由の1つには、その幸せを自分で掴み取るための練習をさせるている。という子育て観があるからなのかもなと思ったりします。(もちろんこれはオランダの保護者の総意ではありません)

ということで、その友だちはパーティーに出席することを決めたようです。

僕の友だちのパーティーなんだから、”僕”が行くかどうか決めて良いよね?」

子どもが自分自身に決定権があることを理解しながらも、幼さ故の領域の逸脱をしないための練習は、バランスを取るのが難しいこともあるだろうな〜と思う今日この頃です。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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