【オランダ】海外移住者が日本に抱く”憂い”は愛国心か、それとも…

新型コロナウイルスが猛威を奮っています。
オランダの感染者数は日に日に増え、死者数も増加しています。
生活における緊張感も日に日に高まっていると感じます。

さすがに自分の命の危機を感じるからでしょうか。
アジア人の顔を見るだけで、表情が強張る人を多く見かけます。
子連れで1.5mを維持するのが難しいと感じるスーパーなどには、娘と一緒には行けません。
厳しい視線を送られるアジア人としての経験を、今わざわざ娘にさせる必要はないと感じる日々です。

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世界各国、特に先進国と呼ばれる国々でこういった状況の日々が続いているからかもしれません。
最近SNSなどで、日本政府と日本にいる人々の危機感のなさに”異常だ”と声を投げかける人々がいます。
twitterなどのSNSを覗けば、私のような海外在住の日本人が、日本政府の措置に批判をし、日本/日本人に警鐘を鳴らしている姿をよく見かけます。

私自身も、今オランダで自分たちが置かれた状況から見ると、さすがに日本の対応に違和感は感じます。

毎日早朝に30分程度の散歩する以外、外に出ないという自主的軟禁生活を送りながら、急ぎではない物に対する買い物に出かけたり、外を出歩き花見をしている人々の姿を見ると、単純に「すごい差だなぁ」と感じます。

…しかし、同時にSNS上で日本の在り方を批判する人々の発言を見ていると、それもまた違和感を感じます。

というのも、私は数週間前まで日本にいたためか”日本の空気感”がなんとなく分かります。
ですが、それもまた”約2週間ほど前の日本の空気感”なので、今とは違うだろうと思っています。
日本が持つその空気感とは、”良い悪い”という二択のようなものではなく、
その国、地域にいる人々で作られた”独特な空気感”なのではないか。と思います。

海外に住みながら、日本政府や日本人の行動を批判している人たちの発言の真意は、
「…だから私は、世界各国と比べて正常な判断ができない国を脱したのだ」
というものよりは、
「日本という国の行く末が心配だ」
という、純粋な憂いに起因するものだと感じています。

しかし、個人的に私は”今日本にいない”という事実は、
“私は日本人である”という事実を超えられないと思っています。

どういうことかと言うと、
“今日本にいない”人たちは、いくら自分が日本人で、日本政府の考えていることや、日本人の気質や行動の傾向を理解していると思っていたとしても、”そこにいない”のだから、その国の空気感もわからないし、批判もできないのではないか。…ということです。

今この状況で自分が日本にいると仮定したら。

果たして本当に、自分は周囲の日本人の行動に流されず、欧米、欧州諸国で取られているような行動を自ら進んでとっているのだろうか。
ということです。

人はそこに生きているから、その行動を取る。
それくらい、生きている場所の空気は、人々の行動を制限したり開放したりすると思います。

例えば、私は今オランダに住んでいて、国が定めた措置の中で生きています。
それは日本と比べて格段に厳しく、息が詰まるものです。
しかし、
“オランダ強いられている状況”と、日本の緩めな状況を比べて、
「私はオランダでこんな暮らしをしているのに、日本に住む人々っていうのはもう…」
と、ある意味、自分の状況を正当化して、全く違う国との比較をする。
…それは、比較しようのないものを比較することで、無理やり答えを見つけようとする行為に思えます。

そんなことを言うと、
じゃあ、自分の生まれた国である日本を想った発言は全て無意味なのか。
そんな風に理解されてしまうかもしれませんが。

そういう訳でもないと思います。
ただ、本当に日本のことを想うのであれば、批判という手段ではなく、
その先の”改善”まで力を尽くしてほしい。

いや、少なくとも私はそこまで尽力したい。と、多くの日本に対する批判を見て思いました。

海外移住者が日本以外の国で、他の国の空気を吸って生きているというメリットを使い、
大切な日本という国のために還元できる方法を見つけたい。
そんな風に思うのです。

こんなことを言うと、
「海外に住んでいる人たちにそこまで高い意識を求めるな」
と、言われてしまいそうですが….
せめて、国や人を傷つけないだけの配慮はあって良いと思っています。

批判だけで終わるものは何も良いものを生み出さない。

人の成長に寄り添う教育者としては、批判の先にある改善にこそ本当の成長があると信じています。
そして、誰もが自由に発言できる世の中だからこそ、批判だけで終わる人間を社会に輩出してはいけない。
と、思うのです。

….だからと言って、今海外に住んでいる自分が母国の日本に対して、
自分のメリットを活用した還元ができているか…と問われると、なかなか「はい」とは言えません。

ただ、一つ言えるのは、
私は自分が生まれ育った国のことを批判はしない。
せめて、生まれ育った国とそこにいる人々のことを傷つけないくらいには善く生きよう。

と、心がけて生きている。ということです。

もちろん、日本を想う”憂い”から日本に「何やってるんだ!」と思うことはあります。
でも、出来るだけそういう気持ちは抱かないように生きたいと思うのです。

大切な家族や友達、生徒たちが生きる日本を批判するために、
私はここに来たのではない。

そういう気持ちに立ち戻るようにしたいのです。

まさに”批判だけ”という行為は、
「日本における出来事は対岸の火事ではないと思っています!」
とアピールしながら、本質的な部分で日本の何かを本気で変えようとは思っていない。
そんな風にも見えます。

「物事を二項対立にしてしまった途端、物事は解決へと向かわなくなる」

…批判とは、何かと何かを対立させること。

今世界に必要なのは、対立ではなく、手を取り合うこと、助け合うこと。
助けになるであろうアイデアを思いつくこと、行動に移すこと。
世界中に住む、全く関係のない人たちが同じ目的….この事態の収束のために、手を取り合うことで乗り越えられる。

そのための発言、行動は何なのか。
自分も含め、多くの人が解のない問いに対して、そういう考察を根気よく続けられたら、きっと何かが変わるんだろう。と信じたいところです。

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