【オランダ/ハーグ】英語の前に、日本語が大切なんだなぁ
こんにちは!毎日どんよりとした天気が続く中、ついに「オミクロン株」の脅威がオランダを襲っています…
噂によると、冬休みを少し前倒しにして学校閉鎖になるかも。とのこと。
オランダは「学校閉鎖」を最終兵器としてきたのですが、どうやらここにきてコロナ禍における二度目の危機のようです。
さて、小学生から大人まで様々な年齢の方々に英語を教えつつ、前の記事にも書いたように自分はオランダ語を学ぶ毎日です。英語を教えながら、日本語しか持たない人たちが英語を学ぶ場合、年齢が高くなればなるほど「日本語力」が新たな言語習得に大きく影響を及ぼしているということを実感しています。
日本語は曖昧な言語です
前述した通り、これはあくまで日本語のみを習得した人が英語を学ぶ時の話です。オランダ語を習得した人が、英語を学ぶのとは話が違います。
また、小さな子どもの話ではなく、ある程度の年齢に達してからの言語習得です。
英語を教えていて感じるのは、日本語がいかに「曖昧な言語か」ということです。これはつまり日本は「ハイコンテクスト文化」をベースにしているということです。
簡単に言うと「細かく言わずとも伝わる」ということを前提に日本語のコミュニケーションは行われているということです。それが話し手の日本語の使い方に大きく影響し、そのまま思考力にもつながっている感じがします。
さて、学習者が日本語で考えていることを英語にするとき、このハイコンテクスト文化が足枷になることが多々あります。何故なら、英語は「ローコンテクスト文化」に属しているからです。
上のサイトにも書いてある通り、ローコンテクスト文化において「行間を読みなさい」は通じません。「どこに行間が書いてあるの?」となります。つまり、「ちゃんと明瞭な言葉にせよ」「わかりやすく説明せよ」という考え方が前提で、英語の使い方によっては「あんた、結局のところ何が言いたいのかわっかんね〜」と思われてしまうのです。
「曖昧な日本語のまま」で放置しないこと
「病気は大丈夫ですか?」
「政府のコロナの発表が気になります」
「パーティーが嬉しいです」
こういった日本語は、私が日本人だから理解できます。つまり「何が言いたいのかはわかる」という感じです(かなり違和感はあります)。
しかし、これを英語にするためには、主語を明らかにしながら曖昧な日本語をもっとより明確な英語に変えていく必要があります。
「病気が大丈夫かってつまり誰のどういう状況のことを聞いているの?」
「”気になる”っていうのは、心配っていうこと?ワクワクしているっていうこと?」
「パーティー”が”楽しいの?誰が楽しんでいるということなの?」
こういった時に経由言語として問われるのが「日本語の力」ではないでしょうか。
「病気は大丈夫ですか?」は、つまり何が言いたいのか?
言い換えることができればまだ良いのですが「そのままの意味ですよ」と学習者が考えることをやめてしまったり、言い換える力を持っていないと、日本語から英語に整えていくことが難しくなります。
「お身体の具合は良くなりましたか?」
「病気の調子はどうですか?」
「気分は良くなられましたか?」
「病気は大丈夫ですか?」は直訳すると”Is (your) sick okay?”になります。
それはつまり「あなたの病気(ってやつ)は大丈夫ですか?」ということになり、sick(っていうやつ?人?もの?)の調子を聞くことになってしまいます。
もちろん「病気は大丈夫ですか?」は日本人同士では伝わります。(私にはかなり違和感のある日本語ですが)しかし、「病気は大丈夫ですか?」ではなく、「身体の具合は良くなりましたか?」という日本語を使える方が、英語との相性は格段に良いと思います。
「つまり何が言いたいか」「つまり何を意味しているか」を明確にした日本語を話せば話すほど、英語への変換は易しくなるのだと思います。
曖昧な言語を使ったままで、ルールは理解しにくい
曖昧な日本語を使っていると、英語との相性が悪いと感じるのですが、それ以外に問題なのは、英語のルールを日本語を通して理解することが難しくなるということです。
高校英語の文法は「時制」から始まることが多いです。「時制」とは「いつ起きたことなのか」を理解すること。日本語という言語を介して別の言語を理解するためには、まず日本語の文を、”日本語を通して”客観的に捉える必要がありますが、日本語力が弱いとそれはかなり難しくなってきます。
(個人的には「時制」を理解する前に、「品詞」「発音記号」「辞書の使い方、表示された画面の理解の仕方」を学習しておくと、英語学習は楽になると思います)
「私は英語を勉強します」
「私は英語を勉強しています」
「私は英語を勉強しました」
「私は英語を勉強しているところでした」
「私は英語を勉強するつもりです」
「私は英語を勉強したことがあります」
「私はかつて英語を勉強していました」
「明日の午後には、私は英語を勉強しています」
「来年の夏には、私は英語を勉強し終わっているでしょう」
「私があと10歳若かったら、英語を勉強するのになぁ」
「私が15歳になった時には、もう(それまでに)5年間英語を勉強していました」
これらの日本語を読んだ時に「いつのことなのか(過去?現在?未来?)」を判断しつつ、これらの日本語が厳密に「どういった状況を表しているのか」という想像力を働かせる必要があります。その上で、それを適切に表現するための文法を知っていることで、表現ができるようになるということです。
ちなみに、小学生や中学生でよくあるのは、語尾の「です」や「でした」から時制を判断しようとする動きです。「内容やない!テクニックや!」と言わんばかりに、突破しようとするのですが、日本語はそんなに簡単な言語ではありません。笑 英語との相性が抜群に悪いのです。
特に「点数を取る」ということに重きを置いて、「内容を理解するより、テクニックで点数をとればこの場は凌げる」と思う傾向が強い子どもに育ってしまうと、コミュニケーションのための英語ではなく、点数のための英語、に陥ってしまう傾向があります(それでいて、語尾の判断だけで高得点は取れません)。
ハイコンテクストな日本語からローコンテクストな日本語へ
我が家はオランダに住み、娘は基本的に日本語は家族内でしか話しません。そこで気をつけているのが「日本語をあえてローコンテクストにする」ということです。
例えば、子どもの話す言葉にはこんなことがあります。
「お母さん、それ」
「めっちゃ楽しかった〜!」
「お父さん!」(何かを見せている)
「私の!」
「だから、そういうことやねん」
これらの日本語を使うのは別に悪いことではありません。しかし、我が家では足りていない言葉を補うように誘導します。
「お母さん、それ」
→「お母さんに何を見て欲しいか言ってくれる?」
「めっちゃ楽しかった〜!」
→「何が1番楽しかったん?どんなんやったん?どんな気持ちになったん?」
「お父さん!」
→「お父さんどうしたら良いの?どうして欲しいの?」
「私の!」
→「私のやから何か言ってくれる?どうしたいの?」
「だから、そういうことやねん」
→「わからへん。それはどういうことなん?」
「それはつまりどういうことなのか」を自分の言葉で言えるように練習することは、言葉の練習だけに限らず、子ども自身が頭の中で感情とともに曖昧にしていることを、自分の中で明確にし、それを自分が描いた通り、納得しながら表現することにも繋がります。つまり、自分を知るということですね。
ハイコンテクストな日本語を子どもが発した時、例えば「お母さん、これ」という言葉をそのまま読み取って理解してあげることは、一見「優しさ」にも見えますが、子ども自身が自分の日本語の曖昧性と向き合うチャンスを見過ごすことにつながってしまうのではないかと思います。
これにプラスして、学校からの帰り道に、
「学校ではどんな風に過ごしたの〜?」と聞いてみたり、
寝る前には「今日1日の中で1番伝えたいことは何〜?」などと聞いてみると良いのではないでしょうか。
そこに、
「どんな気持ちになったの?」
「どう感じたの?」
「何でそんな風に思ったんやろう?」
というような質問も、意識して投げかけるようにしてあげると、子どもは自分の感情と向き合いつつ、それを表現する適切な言葉を選べるようになっていくような気がしています。
「楽しかった」
「面白かった」
「頑張る」
「一生懸命やる」
こういった端的な言葉はあたかも「表現している」ように見えますが、実は明確な感情と結びついていないと感じることも多くあります。頭で考えていることや、心で感じていることを、できるだけ自分が「そうそう、こういうことを言いたかったのよ」と適切な言葉を使いながら、頭と心で納得できるようにするには、普段からローコンテクストな日本語を意識することで変わってくるのではないかと思っています。
ある程度の年齢に達すると「英語の言葉のシャワー」だけでは突破できない壁がやってきます(もちろんそれで突破できる人もいるとは思いますが、かなり限られた人たちではないでしょうか)。今持っている「日本語」という武器をきちんと磨くことができていれば、英語の上達は早いように思いますが、そうでない場合は、時に相当な時間がかかります。
日本語が持つハイコンテクストな文化の「曖昧さ」を一面と捉え「良さ」と理解しながらも、ローコンテクストな言語を学ぶために、適切に育てることもまた重要だと感じています。
この記事を書いたボーダレスライター に
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税所 裕香子
Yukako Saisho
- 居住国 : ドイツ
- 居住都市 : ザールランド
- 居住年数 : 1年
- 子ども年齢 : 6歳、3歳、1歳
- 教育環境 : ワルドルフキンダーガルデン