【オランダ】“我が子の留年”を経験したママとの話

オランダでは小学校から「留年制度」があります。
日本では正式には「原級留置」と言ったりしますが、オランダでは比較的頻繁に起こり得ます。

もちろんクラスの1/3が原級留置ということはありませんが、クラスで1人や2人原級留置となる生徒がいることもあります。

今日は子どもの原級留置を経験したママと話したことについて書きたいと思います。

放課後お友達のお家へ

学校再開後、娘のプレイデート(放課後に子どもたち同士が遊ぶこと)が増えて、うちに来たり、遊びに行ったり…を繰り返す毎日です。

この間、初めてプレイデートをすることになったお友達がいました。
娘は時々、初めてのお家に遊びに行く時は、最初に一緒に来て欲しいと頼みます。笑

よって、今回初めて遊びに行くお友達のママに事前に連絡をして、
「娘が一緒に来て欲しいって言ってるから、私も行っても良いかな?最初の10分〜15分くらいで場所に慣れたら帰っても良いよって言うはず!」
と送ると、
「そんなこと言わずにうちでお茶でもしましょ!」
と、お誘いをいただき、その日は自宅でお茶させてもらうことになったのでした。

「うちの子は同じ学年を2回やったからネ!」

娘と同じクラスにいるその子には、お姉ちゃんがいることは知っていました。だいたいママが送り迎えをしていて、2人の女の子を連れていたからです。

「お姉ちゃんは何歳なの?」
と聞くと、
「今は9歳ね、でも周りの子よりは1つ年上なの。1年生の時に同じ学年を2回やったからネ!」
と、明るく返してくれたのでした。

「オランダではよくあることだよね?」と聞くと、
「まぁ、そうね。でもさすがにクラスのうち1人、2人いるかいないかくらいじゃないかな?」
と教えてくれました。

娘が泣いて訴えてきたこと

そのママと深く話をするのはこれが初めてくらいだったのですが、私たちが日本でどのように過ごしてきたか、何故オランダに移住したのか…そんな話をすると、いたく共感してくれたのでした。

オランダ人の生活のこと、オランダ人と呼ばれる人たちのこと、
家族の価値観の話、パートナーとの時間や価値観の擦り合わせ、
親世代とのギャップ、子どもたちの教育のこと…

そんな話をする中で、我が子の留年を経験したことについて色々聞いてみたのでした。

「”周りの子がわかることがわからない”と家で泣いていたの。1回だけじゃない、何度も。試しに家で勉強を一緒にやってみるでしょ。すると、本当に学校の勉強がわかってないってことがわかったの」

「ショックだった。っていうより、我が子が”わからない”と泣いていることが一番辛かった。”辛かっただろうな”とわかることが親として辛かったの。わかる?勉強についていけないことなんて正直そこまで問題だとは思わなかったけど、我が子が”幸せじゃない”っていうことが一番辛かったの」

「勉強についていけないこと」が問題なのではなく「幸せな子ども生活」を送っていないことが問題だ

ママは「幸せ」という言葉を何度も繰り返していました。
我が子にはとにかく「幸せ」だという気持ちを大切にして欲しい。
幸せな子どもとして生きて欲しい。そんな風に思っていたのです。

「28人の生徒がいるクラスで、娘が困っているの。周囲の子が10点のテストで7点、8点を取っているのに、4点を取ってくる。それが何度も続いたの。でも娘はそれについて学校の先生に話せなかった。家で泣くしかなかった。それが問題だと思ったわ。そして、私たち親自身も彼女が学校の授業についていけていないことがわかったの。だから担任と話をすることにしたの」

オランダでは学校という場所が「安心できる場所」であることが求められます。誰にとっても安心して通える場所。それが学校にとっても大切で、保護者にとっても大切です。

しかし、残念ながらその「安心」を確保できるかどうかは時に担任の力量によるところもあります。教育者としての専門性があるか、子どもたちみんなにとって「安心できる場所」を提供できる教育者であるか。
オランダの子どもたちは世界で一番幸せだという風に言われますが、それは決して全ての子どもたちが幸せだということではありません。
「特別不幸でもないけれど、超幸せという訳でもないかな」そんな風に感じている子どもたちが多くいる。
少し期待を裏切るような言葉になるかもしれませんが、「平均的に幸せな子どもたちが比較的多い」というだけのような気もしています。

子どもが「幸せ」かどうかを知らせてあげるのも親の役目

果たして幼い子どもが「自分が幸せかどうか」をきちんと理解することはできるのでしょうか?

「学校が安心できる楽しい場所であるとしたら、そこに行きたくないと言うことは決して幸せなことではない。と夫婦で話合ったわ。娘が泣いている。それは幸せではない。娘に対してそれを「幸せ」だと教えたり伝えることはできない。私たちは「自分たちの幸せ」が何かを押しつけるつもりはないの。でも、毎日学校へ行くことが辛いことに対して”そんなこともあるよ”なんて言えない。それは幸せではないのよ。と伝えてあげられる存在でいたいの」

ママはそんな風に話していました。

「頑張りなさい、それがあなたのためになるから」
「辛くてもこれが将来のためになるのよ」
「あなたはまだ幼くてわからないでしょう、長く生きた私たちはわかるの」

私たち大人は子どもをありのままで受け入れているでしょうか。
もちろんこれについては私たち夫婦もよく話し合うことです。
自分の価値観を押し付け、子どもを未熟な判断が危うい生き物だと決めつけ、「あなたのため」という”決して子どもが逃れることができない言葉の呪縛”で縛り付けていないでしょうか。

ママの言葉は、私の心の中にある「核心」をついてくるのです。

「幸せ」というテーマで3時間も話ができてしまう人々

このママと面と向かって話をするのは初めてでした。
しかし彼女と話した内容はほとんど「幸せ」とは何かだったような気がします。

「家族にとっての幸せとは?」
「子どもにとっての幸せとは?」
「夫婦にとっての幸せとは?」
「自分にとっての幸せとは?」
「幸せに生きるためにしていることはある?」

私は改めてこういった人間の根幹にある欲求について話し合えるこの国の人たちとの会話に感謝しました。もちろん全てのオランダ人とこのような会話ができる訳ではありません。

でも、少なくとも私の周囲にいるパパやママたちは、私の疑問に快く答えてくれます。
「菜央はアジアから来たからこの国を知るには時間がかかることもあるだろうね!どうぞうちに来て、お茶でも飲みながら話をしようよ!」
そんな風に声をかけてくれるのです。

そして、
「菜央にとってこの家が、私たち夫婦や家族が”居心地の良い場所”になってくれると良いなと思うんだよ」
と真正面から伝えてくれます。

「幸せ」を軸に生き、子どもの留年も家族で乗り越える。
そんな心やその生き方、人々の在り方にこれからもフォーカスしていきたいと思います。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : バーグ
  • 居住年数 : 1年
  • 子ども年齢 : 4歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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