【イタリア】戦争について息子に知って欲しい
先日、映画「サラの鍵」を家族で観ました。奇しくも、1月27日は、国際ホロコースト記念日でした。
前にも一度観たことがあったのだけれど、全てを観られなかったので、もう一度きちんと最初から最後まで観たいと、ずっと思っていた映画です。
これはフランス映画なので、イタリア語吹き替えで観ました。
イタリア語タイトルは「La chiave di Sara」(ラ キアーヴェ ディ サラ)
大まかなあらすじ。
クリスティン・スコット・トーマス演じるフランス在住アメリカ人ジャーナリストのジュリアは、第二次世界大戦中ナチスドイツの占領下だったフランスはパリで起きたヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(下記参照)について記事を書く為に取材をして行く中で、当時パリに住んでいたサラというユダヤ人の女の子の存在を知り、戦争に狂わされた彼女の人生に引き込まれて行く。
サラはフランス警察に両親と共に一斉検挙される直前に、子供部屋の納戸に弟を守るつもりで隠し、状況が分からず咄嗟の判断で鍵をかけてしまう。しかし、サラはすぐに家には戻れず、納戸の鍵を肌身離さず持ち、必死の想いで弟の所へ戻ることが出来たが、時既に遅く弟は納戸の中で亡くなってしまっていた。
サラは、生涯自分が弟を死なせたと罪の意識に苛まれて生きて行き、最終的には自らの命を絶ってしまう。
ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(ヴェロドローム・ディヴェールたいりょうけんきょじけん、フランス語: Rafle du Vélodrome d’Hiver)、または、その略称であるヴェル・ディヴ事件(Rafle du Vél’ d’Hiv)は、第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで1942年7月16日~17日に行われた最大のユダヤ人大量検挙事件である。本質的には外国から避難してきた無国籍のユダヤ人を検挙するためのものだったとされる。
〜Wikipediaより〜
1942年の7月、ナチスはヨーロッパ各国でユダヤ人を大量検挙することを目的とした「春の風」作戦(Opération Vent printanier)を計画した。フランスにおいては、ヴィシー政権がフランス警察を動かし作戦を実行した。パリで9000人にも及ぶ警察官と憲兵が動員された。警察庁の記録によれば、7月17日の終わりには、パリと郊外での検挙者数は1万3152人で、そのうち4115人が子供だった。
ヴェロドローム・ディヴェール(英語版、フランス語版)(Vélodrome d’Hiver)とはパリ15区にあった冬季自転車競技場ないしスケート競技場のことで、本事件で用いられた中間収容施設の中で最も大きかった。最初、検挙されたユダヤ人達の多くは5日間、ここに閉じ込められた。競技場に屋根はなく、真夏の太陽が照り付ける中、食料や飲料水をほとんど与えられず、トイレも少なかった。身動きもできないまま、飢えと渇きと臭気に襲われ、その光景は人間に対する冒涜そのものであった。
その後、アウシュヴィッツを初めとする東欧各地の絶滅収容所へと送られた。収容所生活の中で、終戦までに生き延びたのは100人に満たない大人のみで、子供は生き残らなかったという。
このサラの話は実話ではないけれど、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件はフランスで実際に起きた悲しい事実です。
イタリアにも当時、ユダヤ人ゲットーがあり、息子もナチスのホロコーストについて、小学校の頃から学校で映画を観たりして習ってきてはいますが、悲しいからなのか、怖いからなのか、この手の映画を家で私達と観るのを普段は嫌がります。でも、この「サラの鍵」はユダヤ人虐待のシーンは少なく、もう一人の主人公的存在のジャーナリストのジュリアが、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件について取材している現代の話も同時進行しているから観やすかったのか、一緒に観ることができてとても良かったです。
見終わった後、息子が色々と質問してきたので、私の分かる範囲で説明しました。
こうやって少しずつでも、一人一人の子供や若者に戦争の酷さを伝えて行くことが親や大人の義務じゃないかと思います。
世界平和を!
この記事を書いたボーダレスライター に
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はる
Haru
- 居住国 : イタリア
- 居住都市 :マントヴァ
- 居住年数 : 12年
- 子ども年齢 : 10歳
- 教育環境 : 現地公立中学校