【イングランド/ノッティンガム】マンチェスター大学修士課程修了 Naoさんインタビュー①~高校時代のドイツ、インドでの体験まで~

イギリスからこんにちは、Ryokoです。

今回からは、昨年イギリスのマンチェスター大学で人道主義・紛争対応学(Humanitarianism and Conflict Response)の修士課程を終えたNaoさんの、ドイツ、インド、スウェーデンでの学びを含むこれまでの経験と、価値観や信念をインタビューし、3回に分けてお届けします。
Naoさんは、私が以前働いていた企業で4月から働くというつながりで、卒業式にも参列させてもらいました。

<プロフィール>

芝軒 奈央/ Nao Shibanoki

1999年兵庫県生まれ。マンチェスター大学大学院 人道主義・紛争対応学修了。女性のエンパワーメントを目指すコミュニティ HerStory Japanを運営。「すべての生命が主体的に人生を最大化できる、公正で包括的な世界の実現」を理念に掲げる。
学生時代の主な活動はスウェーデン交換留学、ドイツへの日本青年大使、日中韓ユースサミット日本代表、東日本大震災復興支援プロジェクト主宰、チアダンス世界大会入賞・インストラクター活動など。今春からは日本マイクロソフト(株)にて、デジタルの力を活用した日本の社会変革を目指す。

幼少期~小学校時代
自分の目で世界を理解しなければという焦り

──改めてご卒業おめでとうございます。イギリスの大学院で学ぶことを達成したNaoさんが、子供のころはどんなことをしていたのか、どんなことを考えていたのか教えてください 。

ありがとうございます。

そうですね、おっとりした性格でいろいろなことに想像力を巡らせていました。庭で過ごすことが好きで植物や虫などと触れ合ったり、ぬいぐるみ遊びをしたりしていましたね。また読書も好きで、ディズニーからギリシャ神話まで多様な本を読んでいました。幼稚園児の時に、中高校生や大人向けの漫画を1時間あたり3、4冊のスピードで読破していたというエピソードも残っています(笑)。

自然や空想の世界に日々浸っていたので、人間の優劣といった概念や動植物などとの命の区別をあまり感じずに育ちました。

── 空想好きなNaoさん、想像できます!

一方で、周りの大人や社会の様子もよく観察していました。そこで子供ながらに現実と、自分が思い描く博愛的な理想の世界とのギャップを感じることが多かったです。特に経済力・学歴・ジェンダーによる格差にはこの頃から疑問を抱いていました。というと少し堅苦しく聞こえてしますが…(笑) 要するに理不尽に傷つく人がいること、そしてそれは「そういうものだから」という説明では納得がいかなかったのです。でも具体的に何が自分の理想と異なり、それはなぜなのかが理解できず、知識や言葉を身に着けて早く大人にならなければという焦りがありました。

〈中学時代
やさしさを持つリーダーとして60人のチアダンスチームでキャプテンに

── 大人びた子供だったようですね。お話からは小学校までのNaoさんはどちらかというと静かな印象を持ちましたが、どういう経緯で部活のキャプテンになったのですか?

それまで自分から手を挙げて人前に立つタイプではありませんでしたし、リーダーには活発さが必要とされると思っていたので、私には向いていないと思っていました。

中学3年生になり、そんな私が担任の先生に学級委員長とキャンプリーダーに任命されました。いざやってみると、みんなから本当に求められるリーダーには統率力より優しさの方が必要だと気づいたんです。例えば1人になってしまった子が馴染めるような場づくりをする、意見を言うことが苦手な子の声こそ尊重するなど、全員を包括して動く姿勢を心がけていました。

所属していたチアダンス部では、決して私が技術的に一番といったわけではなくても、チームと部員のことを想う気持ちは誰よりも強くありました。そして周囲からの推薦などの後押しもあり、立候補しました。

── 実際、キャプテンとして60人余りをまとめてみてどうでしたか?

部員間での揉め事の仲裁や士気を高める難しさなど、たくさんの壁に突き当りましたね。つくづく自分ひとりでは何もできないのだと気付かされ、一人ひとりの良さを集結して組織づくりに活かすことを徹底しました。この経験が「1人の100歩より100人の1歩」という、物事に取り組む上で大切にしている現在の価値観の源となっています。

── チアダンスがNaoさんの人格形成に及ぼした影響は大きかったのですね。

はい。常に最高のパフォーマンスをするために日頃から内省を重ねたり、心身のコンディションを自分で整えたりという習慣が身に付きました。またチアダンスはやり抜く力と、極限まで極めた後にしか味わえない達成感と出会う喜びを私に教えてくれました。

〈高校時代
人生の転機となったドイツへの青年大使活動

── 高校時代にされた国際経験は、どのようにしてきっかけを見つけたのですか?

ドイツ青年大使の募集は高校に掲示されていたポスターで見つけました。全額支給の留学プログラムです。大学もそうですけど、学校の掲示板ってかなり耳寄り情報に溢れているんですよ(笑)。

── へぇ、そうなのですね!

当時はちょうど、親の経済力に頼らずに自力で何かを成し遂げてみたいという気持ちが芽生え始めていた時期でした。これをきっかけに学業成績や目的意識を高く持てば支援してくれる組織があることを知り、その後も同様の方法で海外行きの機会や奨学金を得ました。

2週間のドイツ滞在中には外交・食品ロス・性的マイノリティ・環境などへの取り組みを視察しました。現地の政党と日本の原発に関して、またドイツの高校生と日本の難民受け入れについて議論を交わしたことが特に印象に残っています。日本から一緒に参加した同世代メンバーの知識量や議論に食らいついていく姿に刺激を受け、その後の私の学習意欲が高まりました。

── なるほど。ではいろいろな学問がある中で、Naoさんが大学で専攻した開発学への関心はどのように湧いたのですか?

ガンジーの非暴力主義と出会ったインド 

高校が希望者を募っていた2週間のプログラムでインドを訪れた時のことです。ホームステイ先のお手伝いさんがいわゆる「不可触民」で、初めて日常生活に浸透する身分制度に直面したり、物乞いするために手足を切り落とした人たちに溢れるスラム街を歩いたりしました。当時16歳の私にはあまりにも衝撃的な光景で、深く胸が痛んだ感覚を今でも覚えています。

そんな時に非暴力で社会の不均衛の改善と、命あるもののあらゆる苦痛の緩和に力を尽くしたマハトマ・ガンジーの活動を知りました。彼の姿勢に心を打たれた私は、自然と国際社会が直面するさまざまな課題要因とその解決方法を自分で探りたいという意欲に駆り立てられました。

── 日常から一歩踏み出し、そこで感じたことを具体的な次の行動につなげてきたNaoさんに強さを感じました。次回は大学・イギリス大学院時代についてお聞きします。

この記事を書いたボーダレスライター に
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秋吉 良子

Ryoko Akiyoshi

  • 居住国 : イングランド
  • 居住都市 : ノッティンガム
  • 居住年数 : 1年
  • 子ども年齢 : 12歳
  • 教育環境 : 現地私立中学校

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