【オランダ/ハーグ】「やめて」って言われたら、すぐやめること

こんにちは!少し湿度が高い日が続いています。水曜日の早朝から娘が体調を壊し、胃腸風邪を患っていました。吐いては寝て、気持ち悪くなって起きて…の繰り返しが続き、やっと金曜日の今日から学校へ復帰しました。

「お母さん、このしんどいのいつまで続くのぉおぉおおぉ….」
と涙目で訴えていた娘の様子は見ていてもしんどいものがありました。

体調を壊した時は、あまり「あぁしろ」「こうしろ」とは言わずに、彼女が自分の身体の不調と向き合えるように見守っています。
「今日はやっぱりまだ行けない」とか、
「もうリンゴなら食べられる気がする」とか、
彼女が自分で発信してくることを受け止め、出来るだけ尊重するように心がけています。

2日ぶりの学校!今日は校外学習の日。

ということで、久しぶりに登校した今日は校外学習の日でした。学校からバスが出て、学校近所の美術館へ出かけたようです。

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自由な見学風景〜
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みんなで床に座るのもよくあること
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今回も保護者2名が引率へ。送られてきた写真は引率した保護者からWhatsAppで送られきたもの。それにみんなが「ありがとう〜!」とリアクションするのがいつもの風景です。

午前中、部屋で仕事をしていたら

ということで、娘も無事に学校へ復帰した午前中。道路沿いの部屋で仕事をしていたら、外から子ども同士の声が聞こえてきました。

“Stop! Nee! Ik zei stop!!!!”(やめて、嫌だ!やめてって言ったでしょ!)

外を歩いていた子どもたち同士が、どうやら何か言い合いをしているようでした。直接見た訳ではないのですが、どちらかがちょっかいを出して、相手にとってはそれが不快だったのでしょう。

同調圧力の中にある「ノリ」みたいな雰囲気が苦手です

さて、少し話は変わります。
お亡くなりになった人のことをあれこれ言うのは憚られますが、私はダチョウ倶楽部の「ノリツッコミ」みたいなネタが前から苦手でした。(私にとっては)面白くないのです。

あと、ダチョウ倶楽部に限らず、誰かが「嫌だ」と言っているのにも関わらず「からの〜!」とか言って、無理やり何かをさせようとする雰囲気も苦手です。面白くありません。

いわゆる、個人の意見が周囲からの同調圧力的な雰囲気で踏み潰されるような雰囲気が私は好きではないのです。

「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉

日本には「嫌も嫌よも好きのうち」という言葉があります。私が留学時代にルームメイトであるDanielleにこの言葉を説明したとき、彼女は「日本の文化が全く理解できない」とバッサリ切りました。

“No”は”No”だとアメリカの文化の中で習ってきている彼女にとっておかしなことは3つ。

・”Yes”なのに”No”と自分を曲げて言うことは間違い
・”No”だと言っている人に身勝手な”Yes”を押し付けることはさらに間違い
・その状況を”よし”としている周囲の人間も間違い

ということでした。

実は国籍問わず、特に日本人女性(いや、時にアジア女性)にある「あいまいなNO」につけ込もうとしてくる人も社会には一定数います。Danielleは私に言いました。

「嫌なものは嫌だとちゃんと言えないとダメだよ。そして、人の嫌はちゃんと聞き入れなきゃダメ。変な奴がついてきたら言いなね。ぶっ飛ばしてやるから」

同い年のDanielleが教えてくれたことは振り返ればたくさんあるように思います。

「やめてって言われたら、すぐにやめないとダメ」

さて、話は戻って。
オランダの現地校に通う娘は、groep1(4歳)から少しずつ性教育の始まりのようなものを学んでいます。4歳の頃、彼女が家で学校の話をしてくれた時、

「あのね、やめてとかイヤって言われたらすぐにやめないとダメね」
「イヤって言ってるのに続けるのはブッブーです」

と言っていました。
聞いていると、これについてはかなりきちんと学ぶようです。他人の権利の侵害や、クラスメイトが嫌がることを知っていて続けることは、大きなマナー違反なのです。

当時はきっと、4歳たちなりにクラスのグラウンドルールのようなものを学んでいたのでしょう。

そもそも私たち保護者は娘が「やめて!」と言ってきたことに対して「まぁまぁ〜!」と彼女の意思に反して何かを続けるようなことはありませんでしたが、少しでも続ける素振りを感じると、娘は、

「やめてって言ったらやめるんやで!やめて!!!」

と言います。
まずは「やめて」と言われたらやめることから始めなけれないけないのです。

こちらの国では”NO”=”NO”です。
加害者の気持ちがどうだとかは関係なく、被害者側が”NO”と言えば、どの段階のことであっても”NO”なのです。

子どもの権利を”大人”という立場を使って破壊しているのは私たち

「やめて」と言われたらやめる。
当たり前のように聞こえますが、意外と日本では子育てでも学校教育でも大切にされていないように思います。

「これくらいでグダグダ言うな」とか、
「細かいこと言うな〜」とか、
「ちょっとくらい良いじゃん」とか、
「とか言いながら楽しいくせに!」とか。

「やめて」と発した方が根性なしだったり、空気が読めない人みたいにして、「あなたの我慢が足りなさすぎ!」と反応することも少なくありません。

私は、こういった行為が子どもたちから”権利意識”や”自分の意思”のようなものを奪っているのではないかと思っています。
また、「自分自身の心に耳を傾けるのではなく、他人の評価や反応に(より)耳を傾ける」ということを無意識にしてしまうきっかけの一つになっているのではないかとも思います。

「やめて」と言われてすぐにやめないことはこちらではかなり罪深い行動です。
相手を尊重できないこと、相手が嫌がること、誰かを傷つけることは決して許されません。「自分の意志が尊重される」という心は、小さい頃からのプラクティス(練習)の中で育まれるのかもしれません。

これからも子どもの意思や意見にきちんと耳を傾けることで、娘自身が他者も尊重できるよう子育てをしていかなければと思っています。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : バーグ
  • 居住年数 : 3年
  • 子ども年齢 : 7歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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