【オランダ/ハーグ】「お父さんとお母さんてセックスしたの?」という6歳の質問に

こんにちは!学校が始まって2週間が経過しました。コロナウイルスが猛威を奮い、日本と同様オランダでも子どもたちの間で蔓延しています。
我が家は何とか元気に過ごしていますが、時間の問題かも…と、怯えながらも、ニンニクと生姜たっぷりの食事を摂取する日々です!

「赤ちゃんってどうやってできるの?」という質問

親になれば誰しも…いや、子の親にならずとも、「赤ちゃんってどうやってできるの?」「私/僕ってどうやってできたの?」と聞かれたことがあるのではないでしょうか?
もしくは自分自身が大人に聞いた記憶がある…という人も多いかもしれません。

聞く側でも、聞かれる側でも、大人にどういった反応をされた、自分がどういった反応をしたか…ひょっとすると「苦笑い」に近い経験をされた、した記憶がある人も多いのかもしれません。

事実、先日我が家では、6歳の娘が夫とシャワーに入っている時、
「お父さん!お父さんとお母さんはセックスをしたん?」
と聞いたそうです。

その時に彼が娘に話したこと、私たち夫婦がここまで「性」について娘とどう向き合ってきたか、今どう考えているかを書き記しておきたいと思いました。

性に関する本を熱心に読んでいる娘

オランダでは市民教育性教育が義務化されています。
とは言っても、どのように学ぶかは学校に裁量権があるため、どこの学校でも同じことを同じように学んでいる訳ではありません。
とりわけ、性に関する話はナイーブなことも多いため、その時のクラスの雰囲気や学校の状況によって一辺倒にいかないこともたくさんあると聞きます。

6歳になる娘は、半年前くらいから性に関して興味を持つようになりました。
特に、
「赤ちゃんはどこからくるのか?」
「自分は一体どこからきたのか?」

ということがとても気になっていたようです。

実は、「人間の生命がどのようにして生まれるか」について言えば、娘は5歳くらいの頃からそのメカニズムは知っていました。
「精子と卵子が出会うことで命が生まれる」
娘が尋ねてくるどんな質問であっても、真摯に答えることを心がけている私たちは、5歳の娘が理解できるよう、Youtubeの動画やオランダの性教育の本などを通じて伝えてきたつもりでした。

日常的に「愛」について語る家庭づくり

比較的、性に関してオープンな我が家では、日常的に愛を伝える行為や、スキンシップが多発しています(多発って。笑)。
出かける前にキスやハグをすることはもちろん、「愛してるよ!」「大好き!」という言葉かけは、1日に何度も繰り返されます

実は、この習慣は日本にいた頃から、さらに言うなれば、私たち夫婦は、結婚前からそうでした。日本で娘が生まれてからは、保育園の見送りにはキスとハグをするのが「いつものルーティン」になりつつありました。
2年前に日本でサザエさんを見ていたとき、キスやハグをすることを「西洋的な挨拶」と描写していたのには笑いましたが(笑)、私たちの愛を伝え合う行為は「西洋的な愛情表現」なのかもしれません。笑

無論、ここはオランダ。キスとハグの国。
私たちの「いつものルーティン」は何も変化することなく続いています。

人は頭を撫でられると、「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンの分泌が活発化するそうです。オキシトシンは身体の免疫を強くする効果もあるとか。
スキンシップは人を幸せにするというよりは、ストレスホルモンの血中濃度を減少させる働きがあるということですが、私たちは意識的に家族内(夫婦でも親子でも)のスキンシップを日常化させて、「愛に触れる」という感覚を経験として得ることを大切にしています。

「心地よさ」「愛という形の見えないもの」は言葉にすることが難しい時があります。だからこそ「この感覚が愛なのかな?」と思える健全な感触を自分の中に持っておくことは、いずれ誰かを愛し、愛された時に「これが自分が求めている愛情表現だ」と、感覚的に判断する基準になるのではないか…この問いに「こたえ」はありませんが、私たち夫婦は「愛し愛される感覚」を日常の中に落とし込んでいきたいのです。

夫が娘に対して持っている「性」に対する姿勢

夫の義則は、娘が生まれる前から、「この子が生まれたら、何でも話したいと思えるお父さんになりたい」と言っていました。
「もちろん、異性やから話しにくいことが出てくることは当然やと思うけど、それでも”お父さんにも別に話せるし”と思える部分がたくさん思えるように一緒に成長したい」と。

私は彼のこういった姿勢をずっと尊敬しています。
「性の話は女性から」というようなことは決して言わない彼の姿勢は、確実に娘にも受け入れられていると思います。

私が生理になると「お母さんのお股からは何故血が出るの?」と聞く娘。それにも夫は、私よりも先に「何故生理が起きるのか」ということを娘が理解できるように話をしてくれていました。そこに伴う痛みについても言及し、「その時は、お父さんとお母さんのこと一緒に助けような!」と言ってくれていました。

ちなみに、私自身は性についてオープンな家庭で育った訳ではありません。

よって、自分が父親と性について話す…ということはなかなか想像し難いのですが、娘にとって性の話は「包み隠さなくていいもの」であることは明らかであるように思います。彼女が性についての疑問を「聞くならお父さんかな…お母さんかな…」と迷っている素振りは全くありません。(今のとろこ)彼に聞いても、私に聞いても、彼女にとっては同じなのです。

「赤ちゃんはどうやって作るの?」「私はどうやってできたの?」

「精子と卵子が出会うことで命が生まれる」
娘はその仕組みは知っていましたが、具体的に何をすると精子と卵子が出会うのかということについて、図書館で借りてきた本で見たようです。

図書館で借りた本は日本語に訳すと、
「私のこと好き?」という本と、「どうやって赤ちゃんは作られるの?」という、子ども向けの性教育の本でした。

娘はそれをとても自然に手に取り、
「これ借りる!」と別の本と一緒に持ってきたので、
「おっけー!」と3人で借りて帰ってきたのでした。

娘はその本の中にあった「精子と卵子が出会う場面」の中に、(この本では)男女が裸で抱き合っているページを見つけ、「これって一体何しているの?」と思ったようでした。(ちなみに、別のページでは同性の場合や、体外受精などについても言及があります)

最近ではだいぶ文字が読めるようになった娘が、
「せっ…く…す」と声を出して読んでいたのを耳にしました。
娘はどうやら「せっくす」というのがあって、裸で抱き合うということなのかな…?それで赤ちゃんができるの…?という仮説に辿り着いたようです。

「お父さん、教えて!」

そしてついに、先日娘とお風呂に入っている時に聞かれたそうです。

「お父さん、赤ちゃんってどうやって作るん?」と。
「絵本で、男の人と女の人が裸で抱き合っていた」と。

彼は躊躇うことなく「合意形成ができた愛し合う2人が、セックスという行為を通して子どもを作るんやで」と教えたそうです。さらに、娘はその”セックス”という行為はどうやって行うのか。と聞いてきたので、「(男女の場合は)男性の性器を女性の性器に挿入することで、そのセックス呼ばれる行為は成立する」と教えたそうです。(他にもセックスの定義はありますが、まずはここから)

「◯◯(娘)がどうやったら子どもができるのか聞いてきたから、教えた!」

彼は娘が寝静まった夜、そうやって私に教えてくれました。
その顔がとても清々しくて、私は嬉しくなったのを覚えています。

何故セックスをしたのか。と父親から習うこと

「え?!これがお股に入るってこと?!」
と、娘は彼の性器を見ながらとても驚いていたそうです。笑
「痛そう…泣」とも。…正直な感想ですね。笑

ここで、今日の記事のタイトルに戻ります。
「…ってことは、お父さんとお母さんはセックスをしたってこと?」
その問いに、彼は自信を持って「そうやで」と答えたと言います。

また、同時に伝えたことがあったそうです。

「お父さんとお母さんはお互い大好きで、大好きやからこそ、子どもが欲しいなと思って、幸運にも◯◯(娘)ができたけど、子どもを作って育てるっていうのはとても大変なことやから、たくさん話し合って、本当に◯◯が生まれてきたら育てられるか。って考えたんやで。こんなに可愛いくて、自分の命よりも大切やと思える子が生まれてくるなんて思ってもなかったけど、生まれてきてくれてとても嬉しい。でも、セックスっていうのは誰かと面白がって簡単にすることじゃないっていうのはわかる?子どもができないようにセックスをすることはできるけど、それは絶対な訳じゃないから、◯◯もセックスをする時がきたら、ちゃんと考えて、本当に大好きな人として欲しいなと思う。それは何でかわかる?それは、お父さんとお母さんは◯◯のことが大切やから、◯◯にも自分をちゃんと大切にして欲しいし、◯◯のことを大切にしてくれる人とセックスをして欲しいっていうことなんやで」

一語一句同じではないにせよ、そういったことを伝えたと彼は言っていました。
「大切な自分の娘が、自分自身を大切に、人からも大切にされてれて欲しいことを伝えたつもりやけど…」と。

性教育とは命の誕生について詳しく知ることだけではありません。
人間が惹かれ合い、その人との子孫を残したいと思う。いずれ結婚や離婚があったとしても、その時に生まれた感情は紛れもなく愛であること。そして、その先に生まれたのがあなたという命だということ。つまり、「あなたは愛のもとに生まれてきた存在なのだ」ということを伝えることなのではないかと思うのです。それは恥ずかしいことではありません。そこを曖昧にすると、子どもは「自分が生まれた理由」「自分がここにいること」を曖昧にされたと感じてしまうこともあると思います。

性教育には「エロい」や「いやらしい」を遥かに超えた意味があると私たちは思っています。

家庭で性の話は「急に」できない

途中にも書いた通り、私も彼も性にオープンな家庭で生まれ育った訳ではありません。どちらかというと性の話は、「家庭であえて話さないようにすること」として扱われてきたように思います。両親が育ってきた時代や、両親がどのように育てられ、自分が育ってきた家庭がどういった教育方針だったかによることを考えると、そこに「良い、悪い」はありません。

ただ、私たちは娘に対して「性のことで悩んだらお父さんかお母さんに相談してみよう」と思って欲しいのです。これから先、娘の人生には様々なことが起こるでしょう。良いことも悪いことも、ひょっとすると予想だにしないようなこと、例えば性的被害に遭うようなこともあるかもしれません。

生理が遅れている、生理痛がひどい、彼氏ができた、友達が彼氏と別れた、キスされた、嫌な思いをした、好きだと思った、セックスをしたいと言われた、性病かもしれない…などなど、ここには書ききれないようなことが起きるかもしれないし、起きないかもしれません。

もちろん、性の話のしやすさでいけば、友達のほうがしやすい。そんなこともあるでしょう。でも、「別にお父さんとお母さんにも相談できる」それくらいの気持ちが生まれるとするならば、それは家庭での小さな積み重ねなのではないかと思います。少なくとも「性の話はタブー」という家では、モーニングピルの話を急にすることはできないのではないかと思うのです。何故なら、両親がその話に対してどんな反応をするかがわからないからです。

そういった意味で、性に関することを「話しやすいこと」としておくように心がけておくことは、将来の子どもとの関係への貯金のように思えます。

「ピルとコンドームを忘れずにね!」と言える関係でありたい

オランダで教育を受けた20代の友人たちにオランダの性教育を通して学んだことについて聞いたとき、それはそれはオープンに話をしてくれました。

「学校ではコンドームも配られたし、どうやって使うかも習ったよ。男女を分ける?そんなことはしないしない。笑 コンドームだけじゃなくて、ピルを服用することも勧められる。どちらか片方だけじゃ妊娠は防げないこともあるから、両方使うように言われるね!あと、やっちゃったー!って時のためにモーニングピルがあることもちゃんと習うしね!」

その清々しさに、話題に対してうしろめたさを感じていた自分が恥ずかしくなるくらいでした。

娘が思春期を迎えた時、私たちにはどんな迷いも、葛藤も、できるだけオープンに話してくれると嬉しいなと思います(強制はしません)。そして、私たちは娘の選択を決してジャッジしないことを心がけたいです。

もちろん、彼女が恋愛関係の中で、傷つけられることを「愛」だと勘違いしないように導きたいとは思います。ただ、それが「本当の愛ではない」と、「自分を傷つける人からの愛情は健全な愛ではない」と判断するためには、やはり「愛とはどんな感触か」を自分の中に落とし込んでいて欲しい。

そういった意味で、日々の中で愛について触れること、性について話し合うことは大切なのではないかと思うのです。

「お父さんとお母さんに会いたくてめっちゃ走った!」

精子と卵子が出会うことで生命が誕生することを知り、そして愛し合った先にセックスをしたことで自分が生まれた。娘はもう自分がどのようにして発生したかを知っています。

全てを知ったあと、娘は言いました。

「お父さんとお母さんが大好き同士になって、セックスして私ができたやん?私がお父さんの精子にいた時に、思ってん。めっちゃお父さんとお母さんに会いたいな〜!って。だから、めちゃくちゃ走ったんやで!1番!で、お母さんのところに入って、大きくなって生まれたの!」

私の中には、お父さんとお母さんが半分ずつ入っている。
(今のところ)それを喜びだと感じてくれている娘を見て、これからも愛を伝え合える関係を作りつづけていこうと思ったのでした。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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