【日本】夏休みの宿題とはなんぞや

あれれ。気がつけば夏休み最終日。
明日から、長女の通う国際バカロレア(IB)のPYP認定校では、秋学期と呼ばれる新学期がスタート。

夏休みが始まった一ヶ月前は、あ〜れ〜これから一ヶ月どう過ごそう〜〜と、元気な子どもたちを前にコロナ禍での夏の過ごし方に頭を抱えていたのですが(世の母たち共通事項)、これといって特別なことをしたわけではないのに、なんだか毎年よりもあっという間に過ぎていったような。

今年の夏は、大げさではなく半分ほど雨が降っていたような日々。
その分涼しくて過ごしやすかったけれど、ザ!夏!!という日差しをほとんど感じられなかったのは、少し寂しかったな〜と思い、暑いと暑いで文句言ってるクセに人間って無い物ねだりだなあと思う夏。

今回はそんな夏の子どもの様子を、学校の宿題と絡めてお伝えします。

夏休みの朝

コロナ禍であることもあり、お出かけにも制限があるとなると、いかに日常に緩急をつけて過ごすか。
と思いつつ、学校がお休みの日に緩急つけるって難しい!よね!?(共感求ム)
ということで、学校が休みだ!夏休みだ!というからって、たいして何もしませんでした。爆。

助かったのは、長女が小さい頃から完全なる朝方タイプだということ。
学校があろうがなかろうが、日中何をしようがしまいが、20:30〜21:00には自然と眠くなり、5:30〜6:00には自然と目覚める。
おかげさまで、長女の生活リズムが大きく崩れることはなく。(反対に次女は完全なる夜型なもので、大変 汗)
むしろ、親の私が「お弁当作らなくっていいんだ〜〜♪」という気の緩みから、朝が起きれないのなんのって(ダメな親)。

そんな私ですが、自身が小さい頃、夏休みというと「ラジオ体操カード」をもって毎朝6時(だっけ?6時半だっけ?)に近所の公園へ行き、ラジオ体操をして公園の周りをランニングするというセットを皆勤賞でこなし(参加するとカードにハンコがもらえた)、親に褒めてもらった思い出が。

このラジオ体操、休みなのはお盆くらいで毎日あった記憶なのですが、今の時代は、まったくやってないよね??(誰に聞いているんだ)
長女が地元の公立小学校じゃないから?と思いましたが、近所でやっている様子が見られず。ラジオ体操という文化は廃れたのでしょうか。。。

あれは、体を健康にという目的はもちろん、小学生の早寝早起きリズムを崩さないためという目的が大きかったように思うのですが、休みの日の過ごし方も多様化大事、という時代なのかな。早起きさせるだけがいいことじゃない、ってか。(いやこれは勝手な解釈)

ちょっと話が逸れましたが、特に予定のない日(そんな日がほとんど)の長女は、朝一番に起きて自由時間を過ごして、私がのそのそと起きてくる頃に、宿題に取り掛かるという朝の過ごし方でした。

長期休みの宿題とは

そして、その宿題。
日本の小学校は、長期休みになるとどうしてこうも、ドバーッと宿題が出るのでしょうか。
これは、IB教育を採用している長女の学校も然り。(PYP 認定校であり、かつ一条校でもあるため、かしら)
計算や漢字のプリント類、英語で綴る日記、iPadのアプリを使用した洋書の音読、探求学習の課題、自由研究などなど。

いや、わかるよわかる。出す側の気持ちの言い分もわかるんだけど。
でも、諸外国の夏休みの様子を伺うと、宿題ナシ!という国の子どもたちと親の心の余裕というか豊かさというか、休みは休みだ!休みは休みを満喫することが大切さ!休みには休みにしかできないことがある!というスタンス、とてもいいなと思う気持ちが本音です。

とはいっても、出た課題をやらずに過ごして、新学期初日に「なーんにもやってませーーん!」って言える勇気と度胸がない娘と私は、夏休み、冬休みなど長期休みに入る初日に、まずは二人で、ホームワークスケジュールを立てるのが常。
A3コピー用紙に、夏休み一ヶ月のカレンダーを手書きし、全ての宿題を割り振って書き込む。その時点でわかっている予定を考慮して(お出かけするとか、お泊まりするとか)、その日にやる宿題の量は調整しながら、夏休みが終わるまでに、宿題が終わるように、二人で話しながら書き込んでいく。

私としては、娘とするこの作業がとても好きなのです。
お互いに、何をどれだけやらなければならないかを把握できるし、先が見通せる。(なんせ小学生の宿題は、親のヘルプが必要なものが多々。。。)
スケジュールさえ出来上がってしまえば、日々「宿題やったの?!」と問い詰めることなく、たまに「スケジュール通り進んでる?」と声をかければ済む。
もちろん、日々の体調やら急な予定やらで、スケジュール通りにできない日も出てくるので、それは違う日に回したり、違う日にやる予定にしていたものを先取りしたりと、リスケを教える。

こういう、やるべきことの分量の把握、スケジュールの立て方、日々のTo Do管理、リスケの仕方など、長期休みの宿題は、社会生活に必要なスキルを学ぶ機会だと思っている(そう思い込んだ方がやる意味が見えてくる)私です。

子どもの宿題は親の宿題?

どんな宿題が出ているんだ?については、先ほど述べたように、計算や漢字のプリント類、英語で綴る日記、iPadのアプリを使用した洋書の音読、探求学習の課題、自由研究などなど。

3年生である今年の夏の探求学習の課題は、秋学期からスタートする内容に絡めた、「アート」について調べるというものでした。
近所の公園にある銅像でも、有名画家や建築家の作品でも、題材はなんでもよいとのことで、その1つの作品について、作者や材料、方法、表現の工夫、作者の意図などをまとめるというもの。

こういう課題は、本物を見て心が動かされて取り組み始めるもんでしょ!と思っていた私なので、美術館?博物館?どこか行かなきゃ?!とそわそわしましたが、このご時世ということで、学校からの指示は、ググって調べたものでいいとのこと(ググって調べろという言い方ではなかったのですが、要するにそういうこと)。

なんや〜〜それでいいんか〜〜と少し残念。
親のヘルプがまだまだ必要な低学年の宿題には、いっそのこと一緒に楽しく取り組んでしまえ!方針の私は、この課題をきっかけに、娘と一緒にアートを巡る旅(お出かけ)を企てようと思ったのに。(あ、人混みを避けて、ね。)
デジタルネイティブ世代であり、学校の指示に忠実で変に真面目な娘は、ネットで調べればいいと言われたらそうすべきだと思い込んでいるので、わざわざ本物を見に行く必要性をまったく感じておらず。

このご時世なので、学校側が、積極的にいろいろなところに足を運んで調べてみよう!と言えないことは百も承知。
誰が悪いわけでもないのですが、こうやって、とてもささやかなところで、子どもたちが本物の学びの機会を奪われているのもまた然り。残念です。

結局のところ、ググるだけでは納得のいかない私(ただのエゴ)は、娘と一緒にアートの本を探して、素敵なキュレーターさんが監修するアートの絵本を娘に渡しました。

その他、英語の課題やアプリを使った洋書の音読などを除けば、国内の公立小学校の宿題と大差ない内容です。
長女の通っている学校は、バイリンガル教育をうたっているPYP認定校であるので、学校に通っている間は英語に触れている時間もそこそこあるのですが、海外在住経験もない純日本人一家の我が家では、学校に行かないとなると、英語環境ゼロ。(標準語、関西弁、富山弁が飛び交うある意味トリリンガルな環境ではある。)
一ヶ月ほどの休みとなると、ほっておくと英語が抜けていくので、アプリを使った洋書の音読は意識してこちらから声かけして過ごしました。

いよいよ新学期

長女が、わーい!夏休みだー!と喜んだのも、スタートしてから数日。
しばらくすると、休みの日常に飽きてきた様子が見られ、夏休み終わりの一週間では「早く学校に行きたいなあ」と言い出していました。
“会いたい”と思える友達がいて、“行きたい”と思える場所があるって、それが毎日通う学校だということが、とてもありがたいなと思う親心。

コロナ禍が続いているため、長女の学校では新学期からも、通常登校か在宅で課題をするのか選択できるのですが(多様化の時代、”選べる”ということが大事だなと)、長女は迷わず、登校をチョイス。
このご時世、登校することに不安がゼロかと言えば嘘ですが、「学校へ行きたい!」という彼女の気持ちを、親としては最大限バックアップしてやりたいと思います。

さあ、明日から行ってらっしゃい!(ウエルカム!私のひとり時間!:心の声)

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