【オランダ】芸能人保護者の謝罪会見は必要なのか?

こんにちは!

オランダで様々な方々にインタビューを繰り返しながら、この国の社会と教育に目を向ける日々を送っています。

子どもを育てていらっしゃる方には、この国にある「自立のための家庭教育」について話を聞くことが多いのですが、以前、このような記事も書きました。よければ一読していただければと思います。

「大学卒業後、親と同居」に眉をひそめるオランダ人の保護者たち

18歳〜20歳になったら実家を出ていきたいと思うように育てよう

「”可愛い我が子をずっと側に置いておきたい”そう思う感情は”健全な愛情”ではない」

以前インタビューをした子育て中のママはハッキリとそう言いました。
そして、同じ言葉ではないにせよ、多くの保護者が似たようなことを言います。

「18歳〜20歳になれば実家を出て自由を得たいと思う。それが年相応の心理的な発達段階では?」

そんな声も多く聞こえてきました。

住宅不足が続くオランダで、1人1部屋が簡単に叶わない状況は長く続いていると言われています。それでも、その年齢になれば自分でルームメイトやシェアメイトを見つけ、経済的自立精神的自立をセットにして生きていく。
オランダではそれがとても一般的なことだと多くの保護者が口を揃えて言います。

子どもを”成熟していない所有物”だと思う感覚を捨てよう

オランダでは生まれた時から子どものことを「個」だと思って育てる風潮があると言います。文字にすれば当たり前のことですが「世話をする」「面倒を見る」という日々繰り返す日常の中で「子どもは未熟である」ということを間違って理解してしまいそうになることはないでしょうか。

オランダで暮らす全ての人々や、オランダの全ての学校がそうであるとは言いませんが、基本的な文化としての「個人主義」という礎を持ったこの国では、何歳であっても「その人が選ぶ権利」を出来るだけ大切にします。

「何がしたいのか」「どうしたいのか」「自分で選んでも良い」

子どもを目の前にした時に「自分で選んでも良い」と言うことは、時に大人である自分自身の責任を問われる行為だと感じることがあります。
しかし、よく考えてみれば、大人が働く企業でも「自分で決めてみなさい。あとは私が責任を取るから」と言ってくれるリーダーを好む人は多いのではないでしょうか。

「子育てと大人の社会は異なる」
そんな声も聞こえてきそうですが、まさに「人のマインドセット」とは小さい頃からの繰り返しの中で培われるものだと思うのです。

子どもは「その年齢ながら」に何かを感じ、「その年齢ながら」に物事を判断しようとしています。子どもに対して「成熟していない所有物」だという感覚を捨てない限り、本当の意味での「健全な子離れ」は、やってこない。

私の周囲のオランダ人保護者はそう語りかけてくるのです。

成人の失敗に対して何故保護者が謝罪するのか?

芸能人の子どもが何か犯罪や失態を起こした時、保護者とされる人たちが報道陣の前に立ち謝罪をする…そんな風景が日本にはある。

そんな話をした時、私の周囲のオランダ人保護者たちはたいそう驚きます。
驚くというよりは、「笑う」という表現の方が適切かもしれません。

「保護者は何をしたの?」
「その成人した子を育てたんだよ」
「もう大人なんじゃないの?」
「そうだよ」
「何で保護者出てくる必要があるの?」

「それを観て満足する人がいるってこと?責任は罪を犯した本人が取れば良い話ではなくて?」

成人になり、親の手を離れた時点でその社会的責任は本人へと移る。
だからこそ、そこから本人が社会的責任を取れるように人を育てることが、その命をこの世に産んだ保護者の責任なのではないか。

保護者が謝罪することに満足する人々がいるとするならば、それを見て満足する人たちもまた「子離れ」や「自立」を履き違えている。
彼らはそんな風に感じているのではないかと思うのです。

自立とは何か、愛情とは何か

歴史的に見ても「個人主義」が根付くヨーロッパでは、決して「家族」という集合体を軽視しているわけではありません。
もちろんオランダで暮らす全ての人がそうでないにせよ、家族のイベントや季節の催しで「家族が集まる」というのはごくごく自然なことであり、そこには「家族を大切にできる」社会の在り方や考え方があるでしょう。

自立とは決して子どもを1人ぼっちで外の世界へ送ることではなく、振り返ればそこに家族や友達、支えてくれる人たちがいることを認識しながら、一歩一歩を踏み出していくことだと思います。

そして、その自立に向かう途中で必要なのは、子どもたちに愛情を伝え続け、自分の身の丈に合った挑戦をさせてあげることかもしれません。それは自分で選択することであり、自分の選択に責任を持つ練習とも言えます。

「見守っているからやってごらん」と言ってくれる上司やリーダーを信頼するように、「見守っているから選んでごらん」と言ってくれる存在が、少しずつ、本当に少しずつ子どもを成長させ、小さな信頼を積み上げていく経験につながるのかもしれません。

小さなかすり傷や、治癒できる感染症を患うことは、子どもの免疫を強くします。私たち保護者に必要なのは、その傷を、その感染症から完全に守り切ることではなく、その傷や病気を経験し、乗り越えるだけの生きる力を身につけさせてあげる勇気や覚悟のようなものなのかもしれません。

この記事を書いたボーダレスライター に
もっと話を聞きたい方はこちらをClick!

三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

and more...