【オランダ】私たちは”何者か”にならなくてはいけないのか?

先日、7歳〜思春期までをアメリカで過ごし、その後オランダに戻ってきたという、娘の同級生のパパと話をしました。
私はオランダに住む人たちと話をすると、彼ら/彼女らが持っている「オランダ」という国のイメージや印象について必ず聞くのですが、その意見にはポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあります。

今日はそのパパが話してくれたアメリカとオランダのギャップと、私自身が感じている「何者かにならないといけない社会の在り方」について書きたいと思います。

死ぬほど驚いたオランダの教育の在り方

「学校に通う」という体験をアメリカで初めて経験し、アメリカの公立小学校に通っていたというそのパパは、言語にそこまで苦労することもなく、成績優秀な方の生徒として過ごしていました。
ただ、彼の両親は生涯をアメリカで過ごすことは考えておらず、子どもの教育のためにもオランダに戻りたいと考えていたそうです。

オランダに戻って驚いたのは、教育環境の違いだと彼は言いました。
よく言えば「自由」で、悪く言えば「ゆるい」それがオランダの教育だと彼は言います。
成績が比較的優秀だった彼ですが、オランダでは満点を取ることがアメリカほどの評価を受けない…そのことにとても驚いたそうです。

アメリカで過ごしていた時、自分が算数のテストで「満点」を取れば、周囲の友達や大人たちが自分を称賛し、そこから次につながるモチベーションを得ていたような気がするという彼。

しかし、オランダでは自分が満点を取ってもそこまでの称賛を受けることはなく「みんなそれぞれ満足そう」という雰囲気があったそうです。
点数主義が良いとか悪いとかそういうことではなく、彼自身、点数が高いことで得てきた「ことば」や「態度」を得ることがなくなったことに、とても驚いたと言っていました。

逆に「満点を取れ」とも言われない

それと同様に、彼に対して「満点を取れ」というプレッシャーや良い意味の期待をかけてくれる人もほとんどいなくなったと言っていました。

点数がそこまで評価されないシステムの中で、自分の立ち位置を誰かと比べなくても良いということを自分の中に落とし込むには、相当な時間がかかったと彼は言います。
何度も言いますが、それが良いとか悪いとかということではなく、ただ単に彼がアメリカで受けた教育の中で得た価値観が、彼の中に残り続けていたということかもしれません。

ただ、彼の場合、幸運にもそこで勉強に対するモチベーションが落ちた訳ではなく、ただ単に考え方が「誰かと比べることをやめて勉強をする」ということに変化していったそうです。
正解が多い自分の答案用紙を見て「そうか、自分は結構これはできるんだな」と自分自身を理解し、それを学習へのモチベーションにつなげていくようになっていったのです。

「何者か」にならなくてはいけないと思っていた自分

「僕はアメリカにいた時、自分は何者かにならなくてはいけないと思っていたよ。何者かにならなくちゃ、社会で生きていけないと思っていたんだ」

彼の言葉で印象的だったのはこの言葉でした。

それはいわゆる”ソーシャルセキュリティ”の問題だと彼は言います。
ソーシャルセキュリティとは、人が長い人生の中で失敗をした時や、転んだ時、それを受け止めてくれる”ネット”のような存在のことで、社会福祉とも言います。

「何者かにならなくてはいけない」
「何者にもなれない自分は価値がない」

こういったプレッシャーが伴う社会は生きにくいかもしれません。
学校を辞めるという決断が、会社を辞めるという判断が、途中で寄り道をするという行動が、常識や規範から外れたとされる社会です。

私がかつて高校を中退した時の記事を書きましたが、私と両親が高校中退を「負けること」だと感じたのは、規範から外れる恐怖であり、その先の人生が何かしらの不利益を被ってしまうのではないかという不安でした。

“保護者の配慮不足”と”親子関係の亀裂”

「何者かになるための努力を怠ったあなたの行動は自業自得と呼びます」
そう言われる社会では、チャレンジをすることが難しくなります。

「人間誰でも寄り道OK。全てが学びと経験。支えるからやってごらん」
生まれた場所や環境に問わず、そう言われる社会の方が、多くの人たちの心を安心させ、のびのびと挑戦の二文字を追いかけることができるのかもしれません。

「何者か」にならなくてはいけないプレッシャー

高校で英語教諭として働いていた時、私は高校3年生を担当することが多くありました。「受験生」と称される彼らは受験を前に「何がしたいのか」「何になりたいのか」という質問を多く受けるようになります。

浪人を経験したくない学生と、浪人生の数字を気にする学校。
浪人をしたところで、その先1年の浪人生活を耐えられるほどの忍耐力を持ち合わせていないと言われる彼ら。

「何を学びたいのか」
「何がしたいのか」
「何になりたいのか」

オランダではこの選択を12歳という年齢で迫られる訳ですが、例えその選択が自分に合っていないと感じれば、やり直しをすることができます。
その制度が十分ではないと言われるにせよ、政府はその不十分さを受け止め、変化させるように努めてきていると言われています。

18歳で進路選択を迫られる日本では、大学入学後に転学をすることも、専攻を変えることも容易ではありません。
「もう18歳なんだから」と「選択するまでの期間が長かったのに何を考えてきたんだ」と言われ、その一度の選択が容易に変更できないことを知らされます。

私たちが自分らしく生きられる社会とは「何者か」になることも、ならないことも自分の好きなタイミングで決められる社会ではないかと思います。

「役に立つ」とか「役に立たない」とか。
そういった議論をなしにして、人の人生が緩やかに変化していくことを良しとする風潮や社会の在り方が、教育の全体を覆う緊張感を緩和していくのではないかと思っています。

この記事を書いたボーダレスライター に
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三島 菜央

Nao Mishima

  • 居住国 : オランダ
  • 居住都市 : ハーグ
  • 居住年数 : 5年
  • 子ども年齢 : 8歳
  • 教育環境 : 現地公立小学校

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