【オランダ】パスポートも持ってない私が海外移住者に…

はじめまして、アムステルダム在住の有川敦子です。
大学院で教育哲学を学びましたが、今はオカン業に専念しています!

私たちは、6歳と4歳の娘たちと共に2020年の1月よりオランダへ移住し、早くも5ヶ月が経ちました。
アムステルダムの外れの、緑豊かな湖のそばで暮らしています。

はじめに、オランダ移住へといたる経緯を簡単にお伝えします。

遡ること、2013年。
長女を授かり、臨月まで仕事をしながらも穏やかな妊婦生活を送ろうとしていた矢先、夫が突然アムステルダムへ行きたいと言い出したのです…!

アーティストインレジデンス(滞在制作)といって、芸術家が一定期間どこかに滞在しながら作品を制作する仕組みが世界各国にあるのですが、そのオランダプログラムに選ばれたとのこと。
夫はその頃、映像の仕事をしながら、自身の作品を制作していました。
レジデンスは2年間で、1月にはアムステルダムに行くと言うではあ〜りませんか。

私は11月が出産予定、1月にアムステルダムに行く………えっと?

ちなみに私は海外になんの興味もありませんでした。
海外旅行も興味なし。ゆえに英会話も全くできません。(今もひどい語学力 )
パスポートすら持っていませんでした。

そんなこんなで怒涛の準備が始まり、無事に長女を出産し、夫は先に2014年1月にアムステルダムへ。
私は娘の首がすわるの待って、遅れてアムステルダムへと合流したのでした。

2015年5月・アムステルダム

そこからは…国内志向の私、乳飲み子連れての右も左も上も下も分からぬ初の海外生活に毎日おどおど、もうあまり記憶がございません…
そしてレジデンスプログラムの終了が近づいてきた頃、第二子を妊娠しました。
子ども二人をオランダでそのまま産み育てる覚悟のなかった私たちは、プログラム終了と共に日本へ帰国し(2016年)、日本で次女を産みました。

私にとっては居心地の良かった日本の生活はあれよあれよと月日が経ち。
2歳までアムステルダムにいた長女も年長さんになり、小学校進学が見えてきました。
義務教育のスタートを目前にし、自ずと、家族の今後の在り方、そして娘たちの教育について考え始めました。

夫は日本に戻ってきてからも数ヶ月単位で国内や海外へ滞在制作へと行くことがありました。
どうも東京の生活が合わない夫。オランダでは伸び伸びしてたな〜。
私は地方出身者、東京で娘を育てるってどんなかな。
中学受験するのか…!?お金かかりますな〜。

自由で個別学習ベース、自己決定できる力を大事にするオランダの教育…
お金もかからないし…
…オランダ戻る?いやいや〜
家族の皆が成長できる場所はどこ?
…オランダだったり?いやいや〜
果てしない自問自答を繰り返し、決めました。

戻っちゃえ〜〜!!!!

そこからは、オランダ語の家庭教師の先生に月3回ほどのゆるいペースで来てもらい、少しずつ準備を始めました。
そして、オランダ移住最難関の家探しを何とかクリアし、2020年1月、再びアムステルダムに舞い戻ったのでした。

それなら最初から日本に帰国しなければよかったやん…と思ったりもしましたが、東京の幼稚園生活は私たち母子にとって大切な時間でした。
私に生涯の友人ができ、長女も次女もお友だちと毎日毎日たくさん遊びました。
ママ友と浴びるほどお酒を飲みました笑。
引っ越しに当たってはママ友に死ぬほど助けてもらいました。
この選択は遠回りではなかったと・・・思っています!!!きっと!!!

2020年1月・アムステルダム初日

私たち家族のちょっとおかしなオランダ奮闘記を通して、オランダの教育・生活に興味を持たれている方の力に少しでもなれたら嬉しく思います。

どうぞよろしくお願いいたします!

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