【オランダ】その瞬間の興味を離さない

私たちが住んでいる地域…というか、ひょっとするとオランダ全体(?)には、”ちっちゃな牧場”のようなものがあります。
多くの場合は公園と併設されていて、動物たちがいます。

ちなみに、私たちがよく行く公園兼牧場には、牛、羊、ヤギ、豚、ウサギ、鶏…などなど。
どれも触り放題(言い方←)そして、放し飼いされているため、餌をやっても良いのです。
今となっては見慣れてしまいましたが、移住当初は、ふら〜っとやって来たおじさんやおばさんがナイロン袋を逆さ向けて、中に入っている野菜の切れ端や皮などを「バラバラ〜」っと柵内に落としていく姿は、なかなかショッキングでした。笑

「それ、家の生ゴミここに持って来てるだけやないか〜い!」
と、心の中で叫んだのを覚えています。←

まぁ、それはそれとして。
とにかく、大まかな指示はあるものの(パンやじゃがいもなどの炭水化物系はダメ、玉ねぎやネギ系もやめて欲しいとのこと)、家庭から出るだいたいの生ゴミは動物たちに餌としてあげることが出来ます。

この公園を発見してから、
「ヤギさんの公園に行こうか」
と娘に言えば、すぐに家を出てくれるようになりました。

また、これに加えて最近、彼が昔から大好きだというアニメ、“銀の匙”を観たことで、娘の動物に対する想いが爆発的に増幅し、動物の役割や、生や死についても興味を持つようになりました。

ちなみに、”銀の匙”はご存知の方も多いと思いますが、少し内容の説明を。

『銀の匙』とは、荒川弘によって2011年より週刊少年サンデーで連載されている漫画及びそれを原作とするアニメ、実写映画。舞台は北海道の「大蝦夷農業高等学校(エゾノー)」。主人公の八軒勇吾は札幌の私立中学に通っていたが受験に失敗し、学力競争と父から逃れるため恩師の勧めもあり大蝦夷農業高等学校に進学する。農業未経験者の八軒は仲間たちと汗と涙と泥にまみれ、農業の厳しい現実にぶつかりながらも成長していく。

というストーリーなのですが、
灘中学校では、中学3年間をかけてこの”銀の匙(中勘助 著)”を1冊読み込む。
という名物の”橋本先生”という方がいて、それについても一時期話題となりました。

「国語はすべての教科の基本であり,学ぶ力の背骨」
「早急に答えを求めてはいけない,すぐに役立つものはすぐに役立たなくなります」
と豪語するその方の教室は”奇跡の教室”と呼ばれたそうです。

…それはともかく、この”銀の匙”はとても深く、何度観ても泣けます。
娘は恐らく、1ストーリー(20分程度)について10回くらいは観てるんじゃないでしょうか。
ビデオテープであれば、擦り切れるやつです。←
娘はこうやってあらゆるアニメや映画を何度も何度も観直す。という行為を繰り返します。
アニメの中の語彙には難しいものもたくさんあるので、何度も観て理解しようとしているのかもしれません。
ストーリー自体は4歳の娘にも十分理解できるらしく、このアニメは彼女が哲学や命について学ぶきっかけになりました。(このアニメはとてもお勧めです!)

さて、
近くの公園with動物 × 銀の匙
という影響を受けて、娘の動物好きにはどんどん拍車がかかり。
道や公園などでゴミを見つけると、
「鳥さんが食べるといけないから」
と、拾うようになっていったのでした。
(こんな風に書くと、ド真面目な4歳に聞こえますが、公園でカラスを追いかけ回すこともあります…それはどうなん。←)

最初は「何で、鳥さんがゴミを食べるといけないの?」から始まった娘の質問。
そこから、彼が鳥の胃の中で溶けるもの、溶けないもの、などについて説明しました。
そして、それは大抵の場合プラスチック製のものが多く、公園の動物たちにとっても同じだということについても説明しました。
海に浮かぶプラスチックの写真を見せたり、前には釣り糸が絡まった亀の写真を見たこともありました。(@スケフェニンゲン博物館)

そして今日、そんな娘に「ゴミ拾い」を提案してみました。
すると、あっさり「やってみたい!」とのこと。
ということで、朝から一緒にゴミ拾い用のトングを買いに行き、いざゴミ拾いへ。

娘は少々完璧主義なところがあり、目に付いてしまう数々のゴミたち…
全然前に進めません。←
特に多いのがタバコの吸い殻。これは小さく、そして数も多い!

「何でこんなにタバコが落ちてるんや!」
と、半ギレしながらも、黙々と拾い続けていました。

オランダでは、”ゴミ拾い”を仕事として行っている役所の人たちを頻繁に見かけるので、こんな風に一般人がゴミ拾いをしているようなことはあまりないかもしれません。
それは税金できちんと街の清掃がなされている。ということでもあります。

ただ、私としては“娘の興味や意思を尊重したゴミ拾い”をしたいと思ったのでした。
4歳の娘が身長の半分くらいあるトングを使ってゴミを拾う姿を見て、
不思議そうに立ち去る人もいれば、
「ありがとう!」や、
「えらいね!」など、声をかけてくれる大人もいます。
親指を突き上げて笑顔で去っていくおじさんなんかも。

娘はたくさんの人たちに見守られながら、ゴミ拾いを続けていました。
娘の姿を見ながら、自分の興味や関心から生まれた内容に基づいて次のアクションを起こすこと。
これこそが本当の意味での「学び」だと感じました。

動物を守るためにできることを、自分の行動に落とし込んでいく。
上位目標への道筋を、自分の足下まで引くことができるかどうか。
これは、仕事においても大切なプロセスかもしれません。

子どもの興味というのはコロコロ変化しやすいものですが、その時々できちんと核になる部分を掴むことができれば、一気に深みを増すことがあります。
その時々の「興味があること」にきちんと耳を傾けてあげる余裕も必要かもしれません。

とにかく、近所の動物公園から始まった娘の興味は、
食物連鎖、環境問題、いのち、動物の生態系、自分はどこからきたのか、動物の一生、虫の一生、人間の一生…という風に広がりを持ち、

「人は死んだらどうなるのか/どこへいくのか」
「動物は死んだらどうなるのか/どこへいくのか」
「お父さんやお母さんはいつ死ぬのか」
「私はいつ死ぬのか」
など、最近は生物の在り方や哲学について考えているようです。

改めて、学びというのはいくらでも広がりをもてるものであって、
教科で括るというのは、とてももったいないことなんだなぁ。と感じています。

もちろん、今ある娘の興味も数週間すれば別のものに変わっているかもしれません。
でも、「あの時こんなことしたやん!」という行動に基づいた学びは、
きっと、ずっと心の中に残り続けていく。

自分たちが行う教育においても、そういった瞬間的な興味に基づいた「小回りの効いた学び」をどんどん展開していこう。とノートを開いたのでした。

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